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「南国王が武器や兵を集めているという情報が入っている」
ジェラルドの懸念に、ジルは眉をよせた。
「まさか、反乱ですか」
「国王が、自国で?」
嘲笑気味なジェラルドが返した。確かに、国王は反乱を起こす側ではない。
「じゃあ、まさかラーヴェ帝国と開戦を狙って……」
「可能性はあるが、断言はできない。ラーデアで対峙したのならば、わかるだろう。あれの目的は常に自分の享楽だ。自分が楽しければ、それでいい。そんなものに国民を巻きこむわけにはいかない」
そう語るジェラルドの背中は、よく知っている背中だった。父親から、竜神から、この国を守るのだと歩く姿。
そしてジルが知るかつての未来で、ジェラルドは自らの手で父親を討った。
(……もっと先の話だ。でもサーヴェル家も無関係じゃない……)
なぜならその内乱の少し前、両親は戦死している。
ラーヴェ帝国軍との戦いの最中だった。殺したのは南国王だとジルは聞いている。無謀な作戦に反対したサーヴェル家当主を、ラーヴェ帝国軍が攻めてくる中で南国王はうしろから斬り捨てたのだ。ラーヴェ帝国軍も驚愕した凶行だった。そして、南国王の凶刃から部隊を逃がすため足止めした当主夫人もその戦場で斬り殺されたと、ロレンスから説明された。
国境を守る家の当主が殺された――南国王討つべしと国がひとつになった瞬間だった。
戦場で命は軽い。ラーヴェ帝国と開戦した以上、どこで死んでもおかしくない。だからどんな死に方をしようが、いちいち私情を持ちこむな。そうしていいのは、素人だけだ。そう育てられたジルは、両親の死を戦場の死と受け止め、長兄も淡々とサーヴェル家の家督を継いだ。悲しくはあったが、それよりも最後まで主君をいさめ、部下を守る軍人であった両親を誇りに思った。
だからもし今、南国王と両親が戦場に出ることになったとしても、『南国王に殺されるかもしれない』なんて理由で両親を止めたりはしない。戦場に出れば殺すか殺されるかが当たり前で、意味がないからだ。
でも――戦争が起こらないなら、少なくとも両親は戦場に出なくてすむ。
(和平が整えば、クレイトスの内乱が起こらないわけじゃないが……ジェラルド様が南国王を牽制できれば、あるいは)
ぎゅっと拳を握って、ジルは答える。
「……わたしは、戦争をさけたいです」
ジェラルドのうしろから追いついて、隣につく。
もうジルは、ジェラルドのうしろについていけば正しいのだとは思わない。
「そのためのお手伝いなら、できます」
「ラーヴェ帝国の竜妃が?」
「でも、クレイトス出身ですから」
ジルをちらと見てから、ジェラルドが苦笑い気味に言った。
「結婚はできないが、戦争をさけるための手伝いはできる。普通、逆なんだが」
「……その点に関しては相性だと」
「わかっている。フェイリスに聞かれたら笑われそうだ」
穏やかに笑うジェラルドの声を聞きながらジルは迷った。
(女神の件……切り出してみる、か?)
一歩間違えれば、和平どころではなくなる劇薬だ。
だが、そもそも処刑されかかったあのときだって、ジェラルドが何を思っていたのかを聞いていない。許そうとは到底思わないが、どうしても女神の存在がちらつく。
果たして相手は、どちらだったのか。
「……フェイリス様は、お元気ですか」
まずは無難な話題からだ。ジェラルドは思い出したように眉根をよせた。
「今は避暑地にいる。暑いと食欲が落ちてよく体調を崩すから」
「ああ、そういえば」
「そういえば……?」
「っ両親からそう聞いたことが! フェイリス王女は夏は避暑地でおすごしだと!」
慌ててごまかす。そうか、とジェラルドは特に追及せず頷いてくれた。
「まだ子どもの体では魔力が安定しないのだろう。もう少し成長すればましに」
不自然にジェラルドが口を閉ざし、噛みしめるように言った。
「私の、こういうところがよくないのか」
「はい?」
「いや。妹を溺愛しているのが相性の悪さだと、先ほど――」
「ジル」
不意に、声が飛びこんできた。
考えるより先に、背中に震えがきた。夏の生ぬるい風を肌に直接吹きこまれたように、ぞわりと全身が粟立つ。
「へ、いか……」
「楽しそうだね。なんの話?」
笑顔で軽やかにハディスに尋ねられた。今日の晩ご飯はなんだと思う、と尋ねる口調と変わらない。
「た、大した話はしてないですが……陛下、ジークはどうしたんですか」
「外に出たところでちょうど本隊が到着したから、そっちを手伝ってもらってるよ。君こそ、カミラは?」
「ロレンスと会えたので、そっちに……あ、わたしがそうしろって言ったんです。特に危険はないと判断して」
へえ、と相づちを返す声にはなんだかひやりとくるものがある。気のせいだろうか。
「でも陛下、体調が悪いんじゃ……」
「そうなんだよね。ひょっとして、身を引くって聞こえたのは幻聴だったのかも」
「は?」
「幻聴ではない」
一瞬意味がわからず聞き返したジルをかばうように、ジェラルドがわって入った。
ハディスが薄笑いのまま目を向ける。簡素なシャツと黒のズボンを履いただけの恰好なのに、顔の造作がいいので妙な威圧感がある。だがジェラルドは臆さない。
「誤解させたのは私の落ち度だ。謝罪する。ジル姫に非はない」
「え、あの。わたし――」
「そうか、ならよかった。ちょっときてくれるかな」
くるりとハディスが背を向けた。
ジェラルドが眉をひそめて、それに続く。そうなるとジルも行かないわけにはいかない。
なんだか変な気分だった。中途半端に打ち切られた会話が、もやもやする。
「あなたも私に何か用が?」
「ああ、ジルから話しかけたんだ」
「……そうだが、それは」
「ただの事実確認だよ気にしないで。それより、あっち」
ハディスが足を止め、視界を譲るように身を横に引いた。
正面玄関前の、円形広場だった。両親への土産やら何やら本隊が積んできた荷物が、屋敷に運ばれている。特に目立つのは、四頭引きの豪奢な馬車だ。その前にジークが立っていた。
ジークが差し出した手に女性のほっそりした手が乗る。
金の細工でラーヴェ皇族の紋章がほどこされた馬車は、本来ならハディスとジルのためのものだった。逆説的に、ジルとハディス以外の人物が乗るなどあり得ない。ラーヴェ皇族でもない限りは。
(まさか)
まばたいている間に、ジークに片手を預けて、女性が馬車から降りた。
稲穂のような黄金の髪がゆれる。ジークに何事か告げられ、夏の空をそのまま写し取ったような瞳が、こちらを見て笑んだ。
飾り気はないが極上の絹でできているドレスの裾を優雅にさばき、まっすぐまずハディスの元へとやってくる彼女は、ラーヴェ皇族だ。馬車に乗っても何も問題ない。
「遅くなってごめんなさい、ハディス兄様」
「ちょうどいいところだったよ、ナターリエ」
「そのようですわね」
ころころと笑ってから、ナターリエはジェラルドを見た。ジェラルドは顔を背けるようにして、ハディスに硬い声で尋ねる。
「……彼女は? ナターリエ皇女とお見受けするが」
「僕は君からジルをかっさらった自覚はあるんだよ。そのお詫びだ」
ジェラルドが一気に顔を険しくした。そこへナターリエが、裳裾を広げ、腰を落とす。
「初めまして、ジェラルド・デア・クレイトス王太子殿下。ナターリエ・テオス・ラーヴェと申します。お目にかかれて光栄ですわ」
文句のつけようもない、完璧な淑女の礼だ。
ひややかなジェラルドの視線などどこ吹く風で、ナターリエが微笑み返す。
「夕食会まで僕の妹を案内してやってくれないか、ジェラルド王子」
「……」
「仲良くしてほしいな。和平への第一歩だ」
表情を消したジェラルドが顎を引き、ナターリエに手を差し出す。ハディスは勝ち誇った顔でそれを眺めていた。




