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屋敷の中はジルのほうが詳しい。きたのとは別の階段からおりて、裏口に回れば、人気もなく静かなものだった。ただし、屋敷に沿って歩く。暗殺疑惑などかけられてはたまらない。
ジェラルドは静かについてくる。
社交的で説明もうまいのに、雑談というのがあまり得意ではない、と聞いたのはいつだったか。以前の今頃か、もっと先だったか。
「今回はありがとうございます、色々手配して頂いて」
「……礼を言われるようなことではない」
だから会話が途切れやすい。これも以前と同じだ。
「どうしてそんなよくしてくださるんですか」
「君が気にすることでは――」
「わたしはずいぶん、ジェラルド様に失礼な態度をとっています。初対面で逃げましたし」
木漏れ日の下で少しうしろを振り返ってみると、ジェラルドが嘆息した。
「……やはり、逃げられたのか。私は」
傷ついたというよりは、納得のいく回答を得た、という顔だ。
「なら私も聞きたい。なぜ、逃げたのか……よからぬ噂でも聞いたのか」
「そこはもう、相性が悪かったということにしておいてください」
「相性」
眉をひそめて繰り返す王子様に、ジルは真顔で頷き返す。ここで『お前たちの禁断の関係を知っているからだ』などと口にするほど馬鹿ではない。それこそ、いつからああいう関係だったのかジルは知らないし、知りたくもない。
「それは……生理的に駄目とかそういうこと、だろうか」
気難しい顔で、繊細なことを尋ねられた。うーんとジルは考えこむ。
「そういうわけじゃないんですが。……ええと、ジェラルド様にはフェイリス王女様がおられますよね。とても仲が良いと聞いています」
「ああ。……まさか、それが気に入らないとでも?」
「そうですよ。わたし、嫉妬深い女なんです」
そういうことにしておくのが平和な気がした。ジェラルドはそれでもとは言い出せないはずだ。事実、返答に困っている。
(それに、この反応。……ジェラルド様は聞いていないんだな、フェイリス様から)
ジルがやり直していること。かつて、このひとの婚約者だったことを。
「わたし、フェイリス王女は苦手なんです」
「フェイリスが……?」
信じられない、というような顔で見られて、なぜか得意になった。胸を張って頷く。
「はい。はっきり言えば嫌いです。敵だと思ってます。ほら、相性が悪いでしょう?」
しばらくジェラルドはまじまじと信じられないものを見るような顔をして――それから、不意に、小さく笑った。
これにはジルのほうがぎょっとする。
「そんなことを堂々と言うなんて、度胸がある」
ゆるめた頬には十五歳という年齢相応の、無邪気さがあった。
「ありがとう。わざわざ説明してくれるとは。気を遣わせてしまったな」
「えっ? いえ、別に、そんな、ことは……」
「いずれにせよ、ロレンスの言うとおりだとは、わかった」
このひと、こんなふうに笑うのか。知らなかった。
その衝撃から抜けきらないジルを置いて、ジェラルドが優しい口調で尋ねる。
「クレイトス出身ということで、ラーヴェ帝国で何か、理不尽な目に合ったりは?」
「な、ないですよ。そんなこと」
「そうか。ならよかった」
何かつけ込む気かと身構えてしまったので、あっさり頷かれると調子が狂う。慌てて顔をそむけ、先に歩き出した。
「とにかく、必要以上に気遣ってくださらなくて大丈夫です。そんなふうにされると、その、なんだか気まずいので……」
「迷惑、ということか」
「いやそこまでは! ……べ、別にラーヴェ帝国にクレイトスの人間が嫁ぐのは、初めてってわけじゃないんでしょう? 三百年前にも前例があるってさっき聞きました」
うしろからゆっくりついてきていたジェラルドの足が止まった。ジルは振り向く。
「それは、ロレンスが?」
頷くと、ジェラルドが目を細めた。
「余計なことを」
「……なんですか。何かあるんですか」
尋ねながら、ジルはふと気づく。三百年前。
ラーヴェ帝国で、天剣がなくなったときだ。そのとき、竜神の血統がラーヴェ皇族から失われたのではないか――そういう推測を、聞いたことがある。
「……聞いて楽しい話ではないと思うのだが」
これは何かあったと言っているも同然だ。逆に気になる。
「かまいません。教えてください」
肩から息を吐き出して、ジェラルドがまっすぐジルを見た。
「三百年前、和平の証として当時のクレイトス国王の王女がラーヴェ皇帝……竜帝に嫁いだ」
「クレイトス王族の姫君が、竜帝にですか?」
「ああ。まだ十にもならない年齢で嫁いだらしい。竜帝は既に二十歳前後で、竜妃もいた。正真正銘の政略結婚だ。だが、結婚生活は十年ともたず姫は離縁され、同時に休戦条約も破棄――戦争になった」
それが前例か。
(ロレンスのやつ、わざわざ持ち出したな)
ものすごい顔になったジルに、ジェラルドが気まずそうに付け足す。
「だから、聞いて楽しい話ではないと言った」
「わかってます。聞き出したのはわたしですから。でも、それ……」
よく女神が許したな、と言うのはやめておいた。その姫が女神だった可能性もある。それに三百年前だ。今と状況も違うだろう。
「……こちらのことではないから詳細は残っていないが、クレイトスの姫にとって、ラーヴェ帝国での生活はあまり幸せなものではなかったようだ」
途中で言葉をにごしたジルのあとを引き継ぐように、ジェラルドがつけたした。ああ、とジルは言いたいことをつかむ。
「だからわたしが理不尽な目にあってないか、気にしてくださってるんですね」
「間諜と疑われてもおかしくない立場だろう」
「大丈夫ですよ。そんな奴らは蹴り飛ばしてやります」
「……そういえば、君は聖槍を折るような少女だったな」
眼鏡を押しあげたジェラルドは、迷うようにいったん言葉を切った。
「ひとつだけ。君は、君の家族がどれだけ心配しているかは、理解するべきだ」
真剣にそう言われて、わずかにジルはたじろいだ。大袈裟な、と笑えない空気があった。
「三百年前、嫁いだクレイトスの姫も幼いとはいえ、魔力は当然強かった。君より強力な後ろ盾もあった。だが、うまくいかなかった」
「……状況が違います。わたしは、竜妃として嫁ぐわけですし」
「竜妃も離縁のごたごたで死んでいる。竜帝に嫁いだ女性は、すべてみな不幸になりがちだ」
「それはクレイトス側の迷信でしょう」
さすがに聞き捨てならずにジェラルドをにらむ。
ふとジェラルドが頬に自嘲を浮かべ、軽く首を振った。
「……だめだな。身を引くと宣言したのに、つい口を出してしまう」
「え……」
「未練だな」
つぶやいてから、ジェラルドがジルの横を通り過ぎた。
「気にしなくていい。三百年前のようにはさせないために、私はいる。それだけだ」
ジェラルドが木漏れ日の下を再び歩き出した。
反発し損ねた中途半端さが気まずい。ジルはそのうしろに続く。
「それは、こちらの台詞です。絶対、三百年前みたいにはなりませんから」
「なら目的は同じというわけだ。それで? 話は終わりか」
「……。竜帝と組もうと思うほど、ひどいんですか。国王陛下の動き」
今、共有しておきたい情報はそこだ。ああ、と背中でジェラルドが答えた。
年始の不定期更新、おつきあいありがとうございました!
次回からは月水金の朝7:00の更新に戻りたいと思います(次の更新は明後日になります)
また200話のお祝いもありがとうございました。感想はもちろんのこと、ブクマや評価、何より読んでくださる皆様のおかげで続けられております。
まだまだジルたちのお話を書き続けたいので、今年も応援していただけたら嬉しいです!
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