16
適当に本棚から本を引っ張ったが、中身は子ども向けの聖典だった。竜帝が休む部屋に女神の教えを諭す本を置くとは、なかなか気が利いている。寝台脇の本棚にそれを返しながら、ジークは尋ねる。
「で、なんのための仮病だ?」
起きているという予想は当たった。布団の中から、声が返ってくる。
「仮病じゃないよ。気分は最高に悪い。起きてたくない。何もしたくない」
「なら引きこもりか。なんか嫌なことでもされたのか」
「別に。みんな親切だよ。でも全然、僕の理想どおりじゃない……わかってたけど」
これはストレスによる体調不良だな、とジークは判断した。
「嫁さんの実家へのご挨拶とかそんなもんだろ」
「お土産だって、いっぱい準備したのに。ご挨拶だっていっぱい考えたのに。早くラーヴェに帰りたい。相手にするならうるさい兄上たちのほうがまだましだよ……」
「もう少し我慢しろよ。隊長の実家なんだから」
「わかってるよ。……帰りたいとか、安心する気持ちはわかるようになったから」
ラーヴェ帝国にいる上のきょうだいが聞いたら泣き出しそうだ。
ごろんと寝返りを打ってこちらを向いたハディスが、上目遣いでこちらを見る。
「それより、ちゃんと合流できた?」
「ああ、指示通りだ。そろそろこっちに着くだろ。しかしなんでまた、こんな不意打ちみたいな形にするんだ?」
「不確定要素は多いほうがいい。どうしたってここは向こうに有利な戦場だから。奇襲をかけないと負ける」
方針はジークにも納得できる。具体的には何をしようとしているかが、さっぱりわからないだけだ。
「夕食会に間に合えばいいけどね」
「で、肝心の皇帝様が夕食会は欠席で本当にいいのか?」
尋ねながら、ふと窓の外に人影をふたつ見つけて、目を剥いた。よりによってそのタイミングで、ハディスがのそりと起き上がる。
「そうだな。状況によるけど着替えるのも面倒だし……どうしたの」
乱暴にカーテンを閉めたジークはぎくりと振り返る。
「いや。日の光がまぶしいかと」
「……。外に何があるのかな?」
にっこり笑顔を向けられて、ごまかせないことを悟った。腹をくくったジークは、閉めたばかりのカーテンを開き直し、念だけ押す。
「早合点してキレるなよ。大人なんだから」
立ちあがったハディスが、窓際にきた。
こういうとき、ぴくりとも表情を動かさないのがこの皇帝の怖いところだと思う。何を考えているのかわからない。
「……大人だと、早合点してキレない?」
「そうだ。どういう状況かわからんだろ。息を吸って吐いて、まず落ち着け」
「でないと嫌われる?」
「わかってんなら――っておい! ああもう!」
言ったそばから、踵を返したハディスが早足で部屋から出て行く。慌ててジークはそれを追いかけた。こういうときに限って、なだめ役の相棒がいない。そしてジークはなんとなく、今回ジルをあまり当てにしてはいけない、と思っている。
なぜならここは故郷なのだ。敵陣だと思えと要求するほうが酷だろう。
あいたカーテンの向こう、窓の下では、敬愛する隊長と敵だと認識している王子が、楽しそうに散策していた。




