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(……ああ、ひょっとしてジークとカミラがラーヴェ帝国を捨てた原因は、彼女か)
あの六年後の世界で、スフィアは死んでいる。
事件の中身は変わっているだろうが、北方師団の失態を狙ってベイル侯爵が何か事件を起こしたのは間違いない。ジークもカミラも、それに巻きこまれた。ふたりとも聡いから、今のようにベイル侯爵の狂言を疑ったのだろう。そして、経緯はどうであれ、スフィアは今と同じようなことを言ってふたりを逃がした。
だが、彼女の言は父親に受け入れられなかったのだろう。それどころか、皇帝陛下の婚約者候補を殺して回るという罪を着せられ自死させられたのではないか。あげく、自分で殺しておきながら娘は無実だと責任をとれと厚顔無恥にベイル侯爵が言ってのけたのだとしたら、ハディスがベイル侯爵家の断絶という苛烈な制裁にまで踏み切ったのも理解できる。
そのあとジークとカミラはクレイトス王国で傭兵になり、ジルと出会った。
つまり、ふたりはラーヴェ帝国に戻らなかったのだ。ふたりともクレイトス王国にきた経緯をあまり語らなかったが、もしこれが原因なら当然だろう。
自分達を無事逃がすためにたったひとり残った少女が、汚名を着せられて死んだ。何もできなかった。
そんな話、自分が情けなくて口にしたいものではない。
ただの想像だが、そうはずれていない気がした。
「そんなことをしなくても、全員、助かる手はあります」
全員がジルを見た。ジルは見張りの兵士に声をかけた。
「見張っていた女の子の顔を覚えてますか?」
「わかります。あっ――わかりました、その子をさがして証言してもらう!?」
「さがす必要はありません」
かぶっている帽子を脱いだ。ピンを引き抜いて首を振ると、髪が流れ落ちる。
そして見張りの持っている上着を奪い取って、袖を通した。
ぽかんとそれを見ていた見張りの兵士とスフィアが、同時に叫んだ。
「あー!? ど、どこに逃げたのかと思ったら!」
「あ、あの、あのときの、ハディス様がつれてきた女の子……!」
「やっぱりね、女の子だと思った」
「まあそうだろう。クレイトスからきたガキがそう何人もいるわけがない」
ジークとカミラは驚くよりもすっきりしたという顔だ。
ジルはぐるりと周囲を見回す。
「ジル・サーヴェルといいます。お察しの通り、わたしが密偵扱いされてる子ども。つまりわたしもあなた達と同じ、はめられた側です。ですが、敵はまだわたしに気づいていません」
ジルは座りこんでいるジーク達に振り返る。ぎりぎり、見おろす目線の高さだ。
「これは勝機です。策も単純明快でいい。囚われている他の北方師団の兵を助け、スフィア様を守り、賊から軍港を取り戻します」
「……被害者のスフィアお嬢様を助け、軍港を取り戻すことであなたの密偵疑惑を晴らすってわけね」
「それだけではありません。ベイル侯爵の私軍がくるまでにスフィア様を守って軍港を取り返せば、北方師団も汚名返上ができるでしょう。その状況なら誰がわたしに密偵疑惑をかけようとしたのかも、必ず問題になります。そうすればベイル侯爵も簡単にもみ消すことはできません。――ですがスフィア様、要はあなたです」
「は、はひっ?」
スフィアが動揺しきった声をあげた。ジルはスフィアの前で片膝をつき、大きな瞳をじっと見すえて、言い聞かせる。
「何が原因であれ、あなたが死ねば、そこを必ずベイル侯爵は突いてくる。だからわたしは、あなたを守ります」
「あ、あなたが、私を、ですか……?」
「はい。ですがあなたには、お父上を告発していただくことになります」
さっとスフィアの顔が青ざめた。
「できますか。できなければあなたもいずれ、始末されます」
できないなら、スフィアを助けても無意味だ。覚悟を決めてもらわねばならない。
スフィアは取り乱さなかった。悲壮な決意をした顔で口を動かす。
「ひとつだけ……確認していいですか」
「わたしで答えられることであれば」
「ど、どうして私を助けるんですか? 私はあなたの恋敵のはずです!」
「わたしは今のところ陛下に恋をする予定がないので、スフィア様の恋敵ではありません」
「えっ」
スフィアのほうが呆けた顔になった。
ここのしこりをのぞいておかねば、あとあと面倒になるので、ジルは丁寧に説明する。
「わけあって婚約……というかもう結婚したようですが、それはそれ、これはこれです。形だけの夫婦です。恋愛感情は互いにありません。むしろ皇帝陛下がわたしに――十歳の子どもに恋愛感情があったら問題では?」
「じゃ、じゃあハディス様は……何か深い事情があって、あなたを……?」
そういうことにしておこうと、はっきり答えずに誤魔化す。カミラが笑い出した。
「か、形だけの夫婦って、最近の子どもはすごいこと言うのね!?」
「おい。ならお前が皇帝陛下に直訴しても、信じてもらえないんじゃないのか?」
「そ、そうです。あなたがハディス様を裏切る可能性だって……」
「形だけであっても、互いにそれぞれを選んで夫婦になった理由があります。皇帝陛下はわたしを手放さないはずです」
呪いをふせぐため、ハディスにはジルが必要だ。
ジルはジェラルドとの婚約を回避するためにハディスが必要だ。
「それに、しあわせにすると約束しましたので」
「……ハディス様を?」
「はい。ですから、わたしはスフィア様と同じ、陛下側の人間です。それを信じていただけませんか」
スフィアは苦痛をこらえるような顔で黙る。
迷わせてやれる時間はあまりない。
だが、ジルは待った。ジークもカミラも、見張りの兵士もせかさない。
父親を告発するのだ。
それが正しい行いだとしても、葛藤があって当然だ。ここで迷わない人間のほうが信用ならない。
だが、決断できない人間も助けられない。
そしてスフィアは、重い決断から逃げなかった。
「あなたを信じます、ジル様。わたしはお父様を……告発します」
ならば、ジルはその決断の重さに答えられる人間でありたい。
「わかりました。わたしがあなたを全力でお守りします。――あなたの勇気に敬意を」
胸に手を当てて、騎士の礼をする。スフィアは頬を赤くそめて、何度もまたたいた。
「ふ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「おい、あれで本当に十歳のガキなのか? しかも男じゃなく女?」
「男女も年齢も関係ないわよ。ああいう手合いは生まれつきだから」
ひそひそいうジークとカミラを無視して、ジルは立ちあがる。
「では行動を開始しましょう。時間はあまりありません。ベイル侯爵の私軍が着くまでにカタをつけなければ、手柄を横取りされかねないので」




