15
夕方頃、本隊到着の知らせと同時にジルに呼び出されたふたりの竜妃の騎士は、寝台でうんうん唸っているハディスを見て言った。
「……まあ、予想はしてたけどねぇ。陛下だもんねぇ」
「求婚しにきた相手の実家でぶっ倒れられるって、肝が据わりすぎだろ」
感心と呆れを半々にしているカミラとジークは、ハディスの護衛としても信用できる。
これでジルがべったりひっついている必要もないだろう。
「陛下をまかせていいですか。夕食会があるんです。陛下はこれじゃあ無理ですけど、わたしだけでも出席したほうがいいと思うんです。ジェラルド様もきてるので」
「あ? あの眼鏡王子か、マジかよ」
「それ大丈夫なの、ジルちゃん」
途端に目が剣呑になるふたりは、一度ベイルブルグでジェラルドと対峙している。ここでぶり返されては困ると、ジルは慌てた。
「だ、大丈夫です。実家のことも大事にせずに陛下と結婚できるよう、色々手はずを整えてくれていて、敵意は感じません。どうも、南国王が関係しているみたいで」
「……あの、ラーデアを半壊させたやつか」
ジークが顔をしかめる。ジルは頷いた。
「あちらの対処のために、こっちと手を組むという判断をしたみたいです。待遇の良さに戸惑いはしますけど、今のところは問題ないかと」
「やたらめったら疑っても疲れそうねえ」
「もちろん、警戒はします。ロレンスもいますし」
ロレンスを連れてきているのは、身分がそう高くなく使い勝手のいい部下だからだ。だがジェラルドに重用されているのも事実である。一時期ロレンスと行動をともにしていたふたりなら、意味は伝わるだろう。
カミラが意味深に口の端をゆがめた。
「あの狸坊やね。挨拶しなくちゃ」
「……向こうも挨拶したがってましたよ」
「状況はわかった。とりあえず、今は問題ないってこった。ってことは仕事はいつもどおりだな。皇帝陛下の介護だ」
大雑把だが本質は逃さないジークが、ソファにどっかり座る。カミラが微苦笑を浮かべた。
「アタシたち騎士のはずだけどねえ。でも夕食会って、支度は大丈夫なの、ジルちゃん」
「そんなに格式張ったものじゃないので。一緒にきた使用人も、今は荷解きに手を取られてるでしょう。一部はまだ到着してないようですし……」
予定より遅れた隊があるとかで、ジークとカミラは先行してきたのだ。
「大丈夫ですよ、実家ですから」
噛みしめるように言うと、カミラが頬に人差し指を当てて考えた。
「まあ……いいのかしら? スフィアちゃんには叱られそうだけど」
「う。非常事態だということで、見逃してもらえれば……」
「ジル……」
もぞり、と布団の中からハディスが青い顔を覗かせた。目を覚ましたらしい。
「陛下。大丈夫ですか」
「だめ……今になって、山道とか罠とかいっぱい思い出して、もう……!」
「それ、ほぼ隊長のせいじゃねーか?」
「だから言ったでしょージルちゃん、陛下に無茶させちゃだめって」
「――疲労がたまっちゃったんですね! ゆっくり休んでください! わたしはちょっと偵察にいってきますので!」
ハディスの顔に布団をかぶせ直して、ジルは部屋を辞した。ひどい、とか聞こえた気がするが扉を閉ざせば聞こえない。
だが廊下を歩き出したところで、すぐ扉が開いてカミラが出てきた。
「ちょっと待って、ジルちゃん。アタシも一緒に行くわよ」
「大丈夫ですか? 陛下の看病、ジークひとりで」
「ああみえてジークは陛下のお守りうまいわよん。それに、あーんな厳つい顔が動き回ると威圧になっちゃうでしょ。適所適材。ジルちゃんのご家族にも挨拶したいし――それに、ジルちゃんは竜妃なんだから」
不意打ちで告げられた立場に、ジルは黙った。目ざといカミラにはすぐ気づかれる。
「あらやだアタシ、変なこと言った?」
「いえ。……わたし、竜妃、なんだなあと思って。今更なんですけど……」
「え、何。陛下捨てたくなっちゃった!?」
「なんでいきなりそうなるんですか、縁起でもない! そうじゃなくて……教えてもらえなかったんですよ、ジェラルド王太子がきてること」
おそらくリックとアンディの仕事は、ジェラルドの護衛か伝令役だ。だからジェラルドが本隊より先にやってきたジルたちに対応できた。先手を取るには大事なことだ。
「わたしはもう、サーヴェル家の娘じゃないのかもしれない、と思ってしまって」
「それは嫁ぐ先がラーヴェ帝国だからだよ、ジル姉」
階段の上から声が降ってきた。見あげたカミラがまばたく。
「……双子?」
「弟です。右わけがリック、眼鏡をかけてるほうがアンディ」
「お、ひょっとして竜妃の騎士ってやつ!?」
リックが階段の手すりを跳び越えて廊下におりた。と思ったら、勝手にカミラの手を取って、ぶんぶん上下に振る。
「初めまして、ジル姉が世話になってまーす。おねーさん? おにーさん?」
リックに笑いかけられ、あっけにとられていたカミラはすぐに持ち直したようだった。
「おねーさんでお願いするわ。ほんと、そっくりねえ」
「同じにはされたくないですけどね。俺はアンディといいます。粗忽な姉がお世話になってます」
「誰が粗忽だ!」
「ジル姉だよ」
階段をおりてきたアンディにさらっと断言された。
「皇帝陛下、倒れたって話じゃないか。ジル姉が無理に試練の道を通らせたからだよね」
「そ、れは……いや、それだけじゃないと思う! 異国で、疲れが」
「しかも手順が間違って無効って。ほんと目先のことに確認なしに飛びつく癖、直したほうがいいよ。機動力は大事だけどね。夕食会とかもどうせ想定してなかったんでしょ? 母さんが呼んでる。支度させるって」
え、とジルは一歩引いた。
「か、格式ばったものじゃないって聞いたけど」
「常識で考えなよ。王太子殿下がいるんだよ。サーヴェル家として許せるわけないだろ。俺たちも窮屈な格好させられるんだし」
「そーそー、ジル姉もちゃんとしてもらうぜ。弟が正装すんのに姉が逃げるとかなしだろー」
サーヴェル辺境伯のご令嬢。姉。耳慣れた立場に、ふっと心が軽くなった。アンディもリックも、よく知っている弟の笑顔だ。
「しかも、王太子殿下の求婚を蹴って国王陛下にまで目をつけられてるときたらね。少しは母さんと父さんを思いやりなよ」
「あれなー。なんでそんなにもててるんだよ、ジル姉。変な魔術でも完成させたのか」
「本当にお前たちは口が減らないな。……わかった。お母様の人形になってくる」
母親は可愛い物好きだ。さぞかしリボンとフリルのついた重たそうなドレスが待っているのだろう。口の減らない弟たちはからから笑ってそうしたほうがいいと同意する。
「どんなおうちかと思ってたけど。仲がいいのねージルちゃんたち」
くすくす笑ってカミラがそう言った。それでリックが振り向く。
「そーだ、おねーさんはどうする、夕食会。ジル姉に護衛がいるとは思えねーけど」
「リック、喧嘩を売っているなら買うぞ」
「んーどうしようかしらねえ。家族の団らんを邪魔するのは野暮だし……」
「あれ、カミラさんひとりですか?」
今度は廊下の奥からロレンスが顔を出した。カミラが振り向いて手を振る。
「お久し振り~狸坊や」
「……そのあだ名、変更にならないんですね。ジークさんは?」
「陛下の護衛。あらやだ背が伸びた? 成長期ねえ」
気さくに笑ってカミラがロレンスの頭のてっぺんをぽんぽんなでている。ロレンスは笑いながらその手を振り払った。
「ちょうどよかった。皇帝陛下の夕食をどうしようかと思って。部屋まで運んだほうがいいですか?」
「あーそうねえ」
打ち合わせを始めたふたりに、なんだか懐かしくなってしまう。ジルは先ほど弟たちがおりてきた階段の手すりをつかんだ。
「ロレンスと打ち合わせお願いします、カミラ。わたしはお母様のところへいくので。夕食会に出るのは家族とジェラルド様くらいですから、わたしのことは気にせずにカミラたちも夕食とってください」
「そう? なら、ジークと一緒にロレンス君にたかっちゃおうかしら」
「はははお断りします」
「陛下のこと、お願いしますね」
それだけ言い置いて、階段をあがる。にぎやかな階下の声を聞いていると、なんだか知らず笑えてきてしまった。
ロレンスだけではない。カミラとジークは、かつての未来で弟たちとも面識があった。それがまた違う形で再会を果たすのだから、運命とはわからないものだ。
(ずっとこんなふうにいられたらいいな)
ちゃんと別邸の造りだって覚えている。足取りが軽くなってきた。
その前に、ふっとひとつ影が現れる。
「あ……」
つい声をあげてしまったジルに、すれ違いかけていた人物も遅れて顔をあげた。
ジェラルドだ。書類を読んでいてこちらに気づいていなかったらしく、少し驚いた顔をしている。だがすぐに顔を伏せるようにして視線をそらした。
そのまま目礼のような仕草だけして、ジルとすれ違おうとする。
――嫌われているという自覚がある。
ロレンスの言葉が蘇った。結構なことだ。嫌うだけの理由が、ジルにはある。
だが今のジェラルドにはない。そう思った瞬間、声をあげていた。
「あの、ジェラルド様!」
答えはなかったが、足は止まった。ゆっくり、黒曜石の瞳がこちらを見る。
苦さと、懐かしさがこみ上げた。
いつも冷静なひとだった。国王代理の重責を負って、弱音ひとつ吐かない。甘い笑顔を見せるのはせいぜい溺愛する妹だけ。
それでもたまにジルに対して、どう接していいかはかりかねているような、困った顔をすることがあった。そのときと同じ顔だ。
「お忙しいところすみません。もしよろしければ、散歩でもしませんか」
「……散歩? なんのために」
「お礼を言いたいんです」
だからジルも困らせないように、笑ってみせた。




