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「よろしければおふたりとご一緒させてください。そのほうが護衛などの手間もはぶけるでしょう。出発するまでお世話になるのが心苦しいですが」
ハディスの提案に、母親が目をぱちぱちさせた。
「よろしいんですか。なんにもないところですから、退屈されてしまうかもしれませんわ」
「いえ。彼女の育った場所を、見てみたかったので」
にこりとハディスが笑う。一瞬、周囲は見惚れたようだったが、あとでジルはそわそわしてきた。
なんだか今、とても恥ずかしいことを言われた気がする。
「お手数をかけますが、滞在を許していただけると嬉しいです。僕はまず、僕自身をご両親や故郷の方々に知ってもらいたいとも思っているんです。ご迷惑でないなら、今は僕を皇帝ではなく彼女のただの求婚者――いっそ義理の息子とでも扱って頂ければ嬉しいです」
ふむ、と父親がふくよかな体をゆらした。
「それは……皇帝陛下がそれでよろしいと仰るなら、まあ、こちらとしては。お前はどうだい、シャーロット」
父親に目を向けられ、おっとり母親が首を傾ける。
「こんな素敵な方が義理の息子になるなら大歓迎だけれど、いいのかしら……」
「もちろん、義母上」
丁寧な呼びかけに、まっとシャーロットが頬を染めた。
「いいわねえ。こんな上品で優しそうな息子、うちにはいないもの。ねえ、あなた」
「う、うーん。お前がそう言うなら……ほ、本当に問題ないですかな?」
「はい。僕は妻にはひざまずくと決めているので」
ちらりとハディスに見られて、ジルは慌ててうつむく。なんだかさっきからずっと恥ずかしくて、両親の顔が見られない。
「でしたら、麓の屋敷に辿り着くまではそのように致しましょう」
もともと、ラーヴェ帝国からは、ハディスとジルの結婚の前提として婚約契約書を作りたいと申し入れてある。その話し合いの場は、サーヴェル家の本邸ではなく、ラキア山脈の麓にある別邸だった。
お土産などを運ぶ本隊もそちらへ向かっているし、仕切り直しとしてはそのほうがいいだろう。
ハディスがにこりと笑う。
「有り難うございます。では堅苦しいお話は、あとまわしで」
ふと両親の笑顔に緊張がはしった気がして、うつむいたままジルはまばたく。
だが、次のハディスの言葉に仰天した。
「よかったらぜひ、彼女の昔話など聞かせて頂ければ嬉しいです」
「えっだ、だめです!」
「あらあらまあまあ、そういうことならまかせてくださいな」
目を輝かせたのは母親だ。嫌な予感しかしない。
「感慨深いわねえ。ジルがこーんな素敵な男性をつれてくるなんて。しかもしっかり求婚してくださる方よ。よかったわねえ、あなた」
「う、うーん。その、本音を言うならまだ早いというか、年齢差もどうかと思うのだが……」
「あら。ジルが厨房のコックさんと結婚する!って言ってたときと同じこと仰って」
「お母様!」
真っ青になったジルの横で、ハディスが明度を最大値にあげた笑顔を作る。
「へえ、コックさん! 可愛いですね、妬けるなあ」
「へ、へい、陛下。子どものときの話ですから」
「あら、まだジルは子どもじゃないの」
母親がまた余計なことを言う。それに笑顔でハディスが頷いた。もちろん、目は笑っていない。
「そうですよね。何年前ですか。――詳細をぜひ」
「へへへへへ陛下! よかったら案内しますよ、屋敷とか外も! ね!?」
必死でハディスの服の裾を引っ張りまくると、ハディスがちらとこちらを見た。
「じゃあ、君の部屋が見たいな」
「え」
今度は別の意味で固まった。記憶をどこから引っ張り出せばいいかわからないが、確実に言えることがある。
自分は今も昔も、片づけが苦手だ。
ジルが不在の間、使用人が部屋の掃除をしてくれていると思うが、果たしてハディスに見せて大丈夫な状態なのか。あれやこれや、どこにあるのだろう。
「え、えーっと……ち、散らかっているので……」
「ひょっとして何か見せたくないものがあるのかな、僕に。コックさんの何かとか!」
「あ、ありませんよ! た、ただ、恥ずかしいじゃないですか……」
「ジル。ごまそうとしてもだめだよ。だまされないから」
「は!?」
かちんときて顔をあげたジルに、ハディスはきっぱり言い切った。
「今まで僕がどれだけ君の物を片づけてきたと思ってるの。今更、恥ずかしがる必要ある?」
それはそうかもしれないが、両親の前で言うことか。
父親は目を白黒させているし、母親は興味津々でこちらをうかがっているではないか。いい見世物だ。
だから、ぶちっと切れた乙女心のあり方はきっと正しい。
「へっ……陛下が朝から晩までわたしにべったりだったからじゃないですか!」
「ごっ、ご両親の前でそういう僕が誤解されるようなこと言わないでくれる!?」
「何が誤解ですか、真実ですよ陛下のばか!」
実家には地雷が埋まっている。
だがジルがその真実に気づいたのは、散々地雷を掘り起こしてどっかんどっかん爆発させて焼け野原にしたあとのことだった。