18
「ほら泣かない泣かない。このお兄さん嫌みっぽくて上から目線で粗野だけど、ただのツンデレで難しいこと考えられないから盾に便利よ!」
「オイ本気で斬り捨てるぞ、そこのオカマ」
「蜂の巣にしてやるからそこ座れ」
「ほぉ、手を縛られてどうやってだ?」
「それはてめぇも同じだろうが、この戦闘狂」
六年後と同じように喧嘩を始めたふたりに、ジルは呆れる。泣いている場合ではないと、顔をあげた。
今のふたりは部下ではないから、命令はできない。だが、スフィアがさっきから脅えて硬直している。
「やめてください、ふたりとも。スフィア様が脅えています」
「それがどうした。ガキは黙って――」
すっと立ちあがったジルは、自分を縛る縄をその場で引きちぎった。このふたりに有効なのは、きちんと力を見せつけることだ。
案の定、しんとその場に静寂が満ちる。
「まずお互いの情報をすりあわせましょう」
「おい待て、涼しい顔で何をしたお前!? 手品じゃないだろうな!?」
「……魔力を持ってるのね。ってことはクレイトス王国からきた子どもってあなた?」
冷静なカミラに、ジルは頷く。
ラーヴェ帝国は竜が生まれるかわりに、魔力を持つ人間はそう多くない。逆説的に魔力を持った人間はクレイトス王国出身だということになる。
「おい……ってことはこのガキ、例の」
「あなたたちは、北方師団に勤めている兵士であっていますか?」
ジークとカミラ、そしてまだ目を回している見張りの兵士の制服を見て、ジルは確認する。
「そうよ、なりすましじゃなく本当の兵士。やっぱりこの騒ぎ、北方師団もやばいやつなのかしら?」
「だと思います。敵は北方師団の兵士になりすまして潜入、軍港を占拠し、ベイル侯爵家のスフィアお嬢様を人質にしました。間違いありませんね、スフィア様」
ジルが視線を後方に向けると、スフィアが我に返ったようだった。
「は、はい。あ、私、スフィア・デ・ベイルと申します……」
「アタシたち北方師団を嫌ってるベイル侯爵のお嬢さんが、北方師団が警備する軍港で敵襲に巻きこまれて人質になる。あらやだ、詰んでない?」
「つ、詰むって。そもそも、クレイトスからきた女の子が手引きしたって……」
「そこからあやしいだろうが。手引きしたはずのそのガキを敵がさがしてるんだぞ。そこの見張りの話を信じるなら、だがな」
「ど、どういうことですか」
「う……」
スフィアの疑問に答える前に、床に転がったままの見張りの兵士が身じろぎする。目をさましたらしい。
「ここ……は……はっあの女の子はどこに!? どうして上着だけになって!?」
「あらいいタイミングで起きたじゃない。見張り君、アタシたちのこと覚えてる?」
「あ……はあ、あなた方は騒ぎを聞きつけて、助けにきてくれた……」
見張りに顔を見られないよう、ジルは自然にスフィアの隣に移動した。
「あの……つまり、どういうことですか? 私たちをここに閉じこめた賊達が、手引きした女の子をさがしてる……?」
「起こり得る結果を考えれば簡単よ。襲撃者はまず北方師団になりすまして入りこみ、ベイル侯爵のお嬢さんを人質にとって、軍港に立てこもった。きっとベイル侯爵家の私軍が動くでしょうね。ここまではお嬢様でも戦闘狂でもわかるわね?」
「余計な一言をつけないと説明できない病気か、お前は」
「で、見事ベイル侯爵の私軍が賊を討ち取ったら? 役立たずの北方師団は価値なしと判断されて、ベイルブルグから引き上げることになる。しかも皇帝陛下の連れてきた子どもが手引きしたなら、北方師団の失態もあわせて陛下の大失点よ。運良く侯爵令嬢が死んだ日には、しばらくはベイル侯爵の天下になるかもね」
さっとスフィアが顔色をなくした。ジークがそれを鼻で笑う。
「娘は尊い犠牲か。お貴族様が考えそうなことだ。……胸くそ悪い」
「同感。でも、気づかないほうがましだったかも。アタシ達が見張りクンの悲鳴を聞いて駆けつけたとき、監禁部屋の中に女の子はいなかった。敵も大慌てで、見張りクンに女の子はどこだって尋ねてる有様だった。そうよね?」
「は、はい。敵は私にいったいどこへ行ったのかと何度も……ですが私もさっぱり、気づいたらこの状態で」
ジルの上着をひろげて、見張りの兵士が首をかしげる。カミラが肩をすくめる。
「じゃあやっぱり女の子の手引きは敵の嘘。攪乱情報ってやつよ。なら誰が手引きしたのかしら。その女の子が手引きしたと嘘をついて、一番得になるのは……?」
「お父様……」
呆然とスフィアがつぶやく。ジークが「言い方」と靴の先でカミラを小突いたが、カミラは意味深に笑うだけだ。見張りの兵士が、何度か瞬いて確認する。
「ちょっと待ってください。では、我が北方師団も利用されたということですか?」
「今日はやたら警備が手薄だった。貴族のぼっちゃん方は既に買収されたんだろうよ。残ってるのは後ろ盾のない平民組だからな。こんな偶然、あり得ないだろう」
「今は例の女の子が見つからないって騒ぎで、アタシらみたいに捕まるだけですんでるかもしれないけど、いずれそっちも殺されるでしょうね。生かしておく理由、ないものねー」
ジークとカミラの言に見張りの兵士はうなだれる。どっかりと座りこんで、ジークが投げやりにつぶやく。
「ベイル侯爵の軍がきたどさくさで国外逃亡でもするしかないな」
「こ、皇帝陛下に事実を申しあげればいいのでは!?」
「無理よ。見張りクン、こんな貧乏くじ引いたってことはあんたもアタシたちと同じ平民組でしょ? 誰が聞いてくれるの。北方師団の死体に参加するだけよ」
「わ……私が、聞きます」
スフィアの言に、ジークとカミラが静かな目を向けた。それは貴族という特権階級に対する疑いの眼差しだ。
人の良さそうな見張りの兵士でさえ、不安げな目をしている。
「だから助けてってなら無理な話だぞ、お嬢様。不本意だが、この状況じゃ俺達も生き残るのに手一杯だからな」
「そ、そうではありません。皆さんは、どこかに隠れてください。こ、国内がだめなら国外でもいいです。わ……私は、そう、皇帝陛下のお茶友達ですから」
目を丸くする三人に、つっかえつっかえ、スフィアが説明する。
「そう簡単には殺されないはずです。密偵の女の子が見つからないならなおさら、被害者である私の証言が必要でしょう。どうにかして、事実を皇帝陛下に伝えます。陛下はこんなこと、捨て置く方ではないです」
「でもねえ、北方師団のおとがめはまぬがれないでしょ。蜥蜴の尻尾斬りは十分ありえるわ」
「でも、ちゃんと話せばわかってくださる方です。誰も、あの方と話そうとしないだけなんです。私がお話して、皆さんは何も悪くないことをわかってもらいます。ですので逃げる際は、私を置いていってください」
誰が見ても無理をしているとわかる顔で、スフィアが微笑んだ。
ジークとカミラが、息を呑む。見張りの兵士も両目を見開いていた。
――スフィアは、自分が足手まといだから置いていけと言っているのだ。