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「あっちょ、ジルちゃん!?」
「お茶の時間はどうしたんだ」
出入り口を見張っていたカミラとジークにも答えず、まっすぐ宮殿を出た。階段は三段跳びだ。
今の時間、ハディスは執務室にいる。
「りゅ、竜妃殿下。現在、会議中で誰もいれるなと――」
「どけ、緊急だ。失礼します、陛下!」
勇敢にも立ちはだかろうとした帝国兵をよけ、執務室の扉を音を立てて開く。
まず振り向いたのは、執務机の前にあるソファに座っていたヴィッセルとリステアードだった。ふたりともしかめっ面になっている。
「ジル!」
だが部屋の主である夫のハディスは、ぱっと顔を輝かせた。
「どうしたの、おなかがすいた? おやつはもう少しあとだよ」
にこにこしているハディスの心配に、顔が赤らむ。そんなに自分はいつもお菓子をねだっているだろうか。
「ち、違います」
「え、違うの? 今日のお菓子を聞きにきたのかと」
「それも大事ですが違います! ナターリエ殿下の件です。婚約って本気ですか!? しかもジェラルド様と!」
「誰だ、情報を漏らした奴は」
面倒そうにつぶやいたヴィッセルの言葉は、肯定の意を含んでいた。
「わ、私、です……」
ジルを追いかけてカミラやジークと一緒にやってきたフリーダが、そう言ってジルのうしろにすぐ隠れた。ヴィッセルが舌打ちして正面のリステアードを見る。
「情報管理もできないのか、無能」
「……申し訳ない。あとで原因解明と再発防止を検討する。フリーダ、さがっていなさい。お兄様はまだ仕事――」
「な、なん、で、ナターリエおねえさまなの!」
精一杯張り上げたのであろう同母妹の声に、リステアードが困ったように眉をよせる。頬杖を突いたヴィッセルが答えた。
「和平交渉の一環だ。年齢的にも釣り合いがとれる。将軍の姉上を送りこむわけにもいかないだろう」
「だ、だからってっナターリエ、おねえさま……」
「言っておくがこれはナターリエからの提案だ。私は反対した」
一生懸命、兄たちに訴えようとしていたフリーダが、びっくりしたように固まる。内心、ジルも驚いた。フリーダとジルの表情を見てヴィッセルが皮肉っぽく笑う。
「私の案だと思ったか? 残念だったな。私はそういう賭けには打って出ない」
「なんで……おねえさま……」
「それが最善だと思ったからよ」
出入り口から凛とした声が響いた。振り返ったところに、仁王立ちしたナターリエと苦笑いをしているエリンツィアがいる。
「なんなの、大騒ぎして。またお兄様たちが喧嘩してるのかと思って、エリンツィア姉様をつれてきちゃったじゃない」
「いいじゃないか、ナターリエ。わたしだって毎回、弟を殴り回りたくはない。お前たちもそうだろう?」
最年長の姉にぐるりと見回されて嫌そうな顔をする弟たちは、最近何かしら喧嘩をするとまず言い訳より先に頭をはたかれている。
なついているナターリエと頼りにしているエリンツィアの姿を見て気が緩んだのか、フリーダの目が潤んだ。
「おねえさま……お、お嫁に、いっちゃうって、ほんとう……?」
「まだ先の話よ。打診も顔見せも決まってないんだから。でも、悪くない話でしょう?」
にっとナターリエに笑われて、フリーダが目をぱちぱちさせた。まさかの前向きなナターリエに、ジルは仰天する。
「ジェラルド王子ですよ!? いいんですか!?」
「和平を結ぶなら敵国じゃなくなるし、神童だって噂じゃない。顔も悪くないわ」
「じゃなくて、最低の腐れシスコン野郎ですよ!?」
怒鳴ったあとで口を両手でふさいだ。それはジルの、かつての死因だ。
ぱちりとまばたいたエリンツィアが首をひねる。
「確かに、ジェラルド王子とフェイリス王女の仲の良さは有名だが……何か問題が? 私としては弟たちに見習ってほしいくらいなんだが」
「よそはよそ、うちはうちですよ、姉上」
かつてフェイリスと対峙したことがあるリステアードが、その場を誤魔化すように言う。フリーダが聞き耳を立てているからだろう。
だが、未来でジルが処刑されることになったのは、ジェラルドと彼の実妹であるフェイリス王女との禁断の愛を目撃したのが原因だ。
言いふらす間もなく見事に冤罪をでっちあげられ拘束、処刑と話が進んだ。ナターリエも同じ目に遭わないとなぜ言えるのか。
だが、そんな醜聞を公言して和平交渉が台無しになっても困る。何よりこんな荒唐無稽な話を、いったいどう伝えればいいのか。
「いずれ我が国の国母となる女性が、隣国の王族に対し軽率な発言をすべきではない。礼儀作法以前の問題だ。まさか、和平という概念から私は説明しなければいけないのか?」
あげく、ヴィッセルに嫌みを言われる始末だ。ジルは視線を泳がせる。
「こ、言葉が、悪いのは認めます。でも――あの兄妹は、特殊っていうか……」
「どうせならもっと正確に表現すべきだ。あれはシスコンなどという微笑ましい関係ではないだろう。殉教者と女神だ。あの妹に何かしようものならば、ジェラルド王子はいくらでも手を汚す。ラーヴェ帝国の皇女だろうが、うまく始末してみせるだろう。まだ若いが、それだけの権力も知恵もジェラルド王子にはある。神童というのはそういうことだ」
ヴィッセルの評価に、フリーダが顔を青ざめさせる。ヴィッセルはナターリエを見ないまま続けた。
「だから私は反対してるんだ。戦えもしなければ特に頭が回るわけでもない、とどめに魔力もない凡庸な皇女が魔術大国でうまくやれるわけがない。せいぜい利用されて終わりだ」
「やってみなくちゃわからないでしょ」
「と、本人がこう言うんだ。どうせだったら説得してほしい」
匙を投げたようなヴィッセルの態度に、リステアードも難しい顔で黙っている。フリーダがおずおず、ナターリエの手をにぎった。
「お、おねえさま、どうして……?」
「今が好機だからよ」
凛とナターリエが顔をあげた。




