軍神令嬢は結婚の道を踏破中
片足を蔓で巻き上げられ逆さに吊り下げられた夫が、質問した。
「……ねえ、ジル。僕、どういう状況?」
「はい。陛下は罠にはまり、魔力の蔓に巻き上げられて木に逆さ吊りになってます!」
そうじゃない、とジルの夫は力なく首を横に振った。その顔色はやや悪く、服装も全体的に薄汚れてラーヴェ帝国の皇帝という威厳はあまり感じられない。
だが竜神ラーヴェの生まれ変わり、天剣を携えた正真正銘の竜帝ハディス・テオス・ラーヴェは、とにかく顔立ちがよろしい。泥にまみれようが月のような玲瓏さをたたえる美貌が損なわれることもなく、土埃をあびた黒髪も物憂げな金色の瞳も、嘆息と一緒に下ろした睫の先が作る陰まで完璧に美しい。
逆さで木に吊り下げられる姿でさえ、天上の絵画のようだ。
だが見惚れている場合ではない。逆さ吊りのままでは、頭に血が上ってしまう。ただでさえ夫は体が弱いのだ。
ハディスとは別の罠、地面に足を縫い付ける魔法陣に片足を捕縛されていたジルは、よいしょ、という声と一緒にぶちぶちぶちぃっと音を立てて魔力の蔓を引きちぎった。
「今、お助けしますね、陛下」
「いや……大丈夫だよ、自分でおりられる……そういうことじゃないんだ……」
「じゃあ早くおりてきてください。頭に血が上って、体調が悪くなったら大変です」
「僕、君のご両親に結婚の許しをもらいにきたんだよね」
逆さ吊りになっているハディスの真下までやってきたジルは、そのつぶやきにちょっと恥ずかしくなって頷く。
すると穏やかに微笑んでいたハディスが突然、叫んだ。
「なのにどうして、ラキア山脈で突然のサバイバルさせられてるの!?」
「どうしてって……うちの本邸はラキア山脈の中腹にあってですね」
「だからってなんなのこの山、道が道じゃないし魔術の罠だらけ! どうかしてる、下手な戦場よりひどい!」
「陛下、あんまりゆれたら危ないですよ」
興奮で叫ぶたびにぶらぶらとゆれが大きくなっていく。だがハディスは構わず両手で顔を覆った。意外と三半規管は強いのかもしれない。
「ぼ、僕、失礼のないように一生懸命、身なりとか整えたのに……っ!」
「大丈夫ですよ、陛下はどんな恰好でも美形です!」
「お土産とかだって、たくさん準備してっ……」
「ちゃんと本隊が運んでますから」
「この道を突破したら結婚できるって何それ! ラーヴェ帝国なめてる!? 実は僕、なめられてる!? ねえ!? 天剣でここ一帯、吹き飛ばしていい!?」
「あーもう、それがしきたりって話なんだからつべこべ言わずに足動かせってーの!」
天剣という言葉に反応したのか、わめくハディスの胸から竜神ラーヴェが出てきた。
白く長い肢体に翼が生えた生き物。竜を模した形なのだろうが、威厳はなく愛嬌がある。よくハディスに「羽の生えた太ったヘビ」などと評されているが、ラーヴェ帝国の守り神、空と理を守護する竜神だ。そしてハディスの育て親でもある。
「吹き飛ばすったって、お前まだ魔力半分しか戻ってないだろーが。ただでさえ神域に近いラキア山脈は磁場で魔力が狂いがちだ。そんなあぶねーことできるかっつーの」
「やればできる」
据わった目をするハディスの頭を、ラーヴェがぺしんと尻尾で叩いた。
「できてもやるなっつーんだよ。結婚の許しがほしいんだろ。嬢ちゃんの両親に頭さげにきたんだろ。しっかりしろ、嬢ちゃんが困ってるだろうが」
育て親に鼻先で説教されたハディスが嘆くのをやめて、眼下のジルを見た。
ジルはちょっと気まずくなって視線をさげる。
「すみません、うち、ちょっと特殊で……変わってますよね、魔術の罠だらけの道をふたりで突破して屋敷に辿り着けば結婚を許す、とか」
「そっ……そんなことないよ!」
慌てたようにハディスがくるりと空中で一回転して、ジルの前に跪いた。足首に絡みついていた蔓は跡形もなく綺麗に消え去っている。魔力の気配さえ感じさせない早技だ。
ジルは内心で感心した。このひとは、息をするようにこういうことができる。
「大丈夫だよ、ごめんねジル。想定外のことが多すぎて、びっくりしただけなんだよ。ふたりでちゃんとお屋敷まで辿り着こう」
「ほんとですか」
「うん。君の両親に結婚の許しがもらえるよう、僕、頑張るよ」
「じゃあ、次の関門、頑張りましょう」
ジルが指さした先には、大きな石造りの門と壁が道を遮っている。ジルと握り合った手をゆるめて、ハディスが顔をこわばらせた。
「え、関門……なんでわざわざ関門なんて準備して……?」
「あの門、ただの門じゃないだろ。魔力が走ってないか」
「よくわかりましたね、ラーヴェ様! あの門は同じ魔力圧で通り抜けないとぐちゃってなるんです!」
「ぐちゃって……」
「サーヴェル家は求婚者を殺しにかかる家風なのか?」
やや青ざめたハディスとラーヴェに、ジルは首を横に振った。
「大した魔力じゃありませんよ。わたしと陛下なら平気です!」
「うん、そうかもしれないけど……その……殺しにきてる家風が僕、ちょっと、ほんとにちょっとだけだけど、怖いかなあって……発想的にね?」
「何を言ってるんですか、そんなの序の口です!」
「序の口なのか」
ラーヴェの確認に、はい、と元気よくジルは答えて、門のほうに体を向けた。
「次からは魔獣が襲いかかってくるって聞いてます! 頑張りましょう陛下!」
「ねえ君、実は楽しんでない……?」
「これがサーヴェル家風『ふたりの初めての共同作業』なので! 憧れだったんですよ!」
気合いも入るというものだ。ハディスが遠い目をした。
「そ、そっかあ。……そこは僕、普通にケーキ入刀とかにしたいなあ……」
「俺もそこは同意する……」
「ケーキもいいですね!」
ハディスは料理がうまい。お菓子もそんじょそこらの菓子店のものよりおいしいものを作ってくれる。つい頬が緩みかけたジルは慌てて気を引き締めた。
「ここから先は私の両親も苦戦したそうです」
「……参考までに聞くけど、この道を突破するのにどれくらいかかるものなの」
「平均半月、最短記録は一週間と聞いてます。ただわたしたちは最短記録以上に時間をかけてしまうと、色々間に合わなくなるかもしれません」
サーヴェル領最南端の港町から普通の道を行く本隊は、ラキア山脈から少し離れた街道を通って麓にあるサーヴェル家の別邸に向かって行軍しているはずだ。本隊の規模や荷物の量からして、およそ十日ほどかかる見込みである。そして、ジルたちが今いる道の出口は、ラキア山脈中腹にある本邸の近くに出る。早く辿り着かねば、本隊を出迎えるため麓におりる両親と入れ違ってしまう可能性が高い。
まして、本来の予定に遅れる形になっては格好がつかない。
「ですがわたしと陛下ならきっと大丈夫!」
振り向いたジルは、立ちあがったハディスをにこにこ見あげた。
「ふたりで新記録、出しましょう! お父様とお母様をびっくりさせるんです! わたしのきょうだいも! そうしたら結婚を許してもらえたも同然です!」
自分の選んだハディスがどんなにすごいかわかってもらえる。期待で胸をいっぱいに膨らませるジルに、ハディスが光のない目で笑った。
「そうだね、頑張ろうか。……ラーヴェ、天剣で吹き飛ばしていいか」
「嫁さんの実家との付き合いだ。限界まで頑張れ」
「妻帯者ってつらい……」
「いきますよ、陛下! わたしたちならできます!」
気合いを入れ直して両の拳を握り、ジルは大きな歩幅で歩き出そうとする。そして関門である石造りの大きな扉を蹴り開けた。




