エンドレス奇襲作戦④
突然竜妃をマントでくるんで転移し、姿を消した皇帝に会場がざわめき始める。それをぱんと手を鳴らして遮ったのは、ヴィッセルだった。
「失礼。皆様、皇帝陛下は急用で席をはずしただけですので、ご安心を」
ヴィッセルの笑顔にはどこか有無を言わせない強さがある。一緒にいるリステアードが何も言わないということも功を奏した。穏やかなバイオリンの曲も流れ始めて、その場はおさまる。
ほっと息を吐き出してから、エリンツィアがつぶやいた。
「どうしたんだ、ハディスは」
「びっくりしたんでしょ」
最初はあっけにとられたが、無言でジルをかっさらっていった兄の姿を思い出し、ナターリエはふふんと笑う。フリーダが目を輝かせた。
「ジルおねえさまが、綺麗だったから……?」
「そうよ。してやったわ。当分このネタでからかってやりましょ」
「ナターリエ」
背後からの優しいがぞっとする声色に、ナターリエの背筋が伸びた。おそるおそる振り向くと、今やいちばんの長兄となったヴィッセルが微笑んで立っていた。
「さっきのはお前だな?」
「な、何よ。別に何も悪いことはしてない……」
言い訳は、一瞬だけ薄く開いたヴィッセルの眼光に消えた。
「ハディスがこじれたら、誰が責任を取るのか考えたことは?」
「……」
「せっかくだ。話をしようか、きょうだい水入らずで」
フリーダがさっと背後に隠れ、横でエリンツィアが頬をかく。リステアードだけが周囲を見ながら、「ほどほどにな」とつぶやいた。
■
「……ナターリエ?」
眼光ほど強くはない声に、ジルの反応が遅れた。
「は、はい? ナターリエ殿下が何か」
「君をこうしたの」
「は、はい……」
「だよね。君にこういう悪知恵を吹きこむとしたら、あの子しかいない」
はあっと疲れ切ったようにハディスがジルの肩に額を落とす。
「ほんと、やめてほしい……何これ。信じられない」
責める口調に、ぎゅっと心臓がしぼられるような心地になった。声が少し震える。
「す、すみませ……に、似合わな」
「やめてよ。綺麗になるのなんて、もっと先だと思ってたのに」
息が止まりそうになったのは、強く抱き締められたからだけではない、と思う。
「いきなりなるなんて、ずるいよ。心臓、止まるかと思った」
「び……びっくり、させちゃいましたか」
たぶんそういうことじゃないと思うのに、うまく言葉が選べない。こういうとき、自分は恋愛経験のない子どもだと痛感する。
「そういう問題じゃないよ。どうしたらいいの」
「ど、どうしたら、って……」
「君のこと誰にも見せたくない」
きっと大人の女性だったら、動揺して隙だらけのこの男を翻弄するのに。
なのに自分はまだ子どもで、うろたえるしかできない。
「あ、あのっ! 今だけ、なので、心配されなくても――った、大変なんですよこれ、朝からみんなで準備して、だから、すぐ元に……」
「戻れると思うの? もう子どもじゃないって、教えておいて」
下から迫るように金色の目が近づいてくる。顎を親指と人差し指でつかまれた。
「好きだよ、ジル」
初めてハディスが笑った。
「震えてる? 怖い?」
「こ、わくはない、ですけど……」
「じゃあ、逃げないよね」
そもそも逃がす気がハディスにない。こんなふうに、部屋の隅にジルを追い詰めて。
ぎゅっとジルは目を閉じて、息を止めた。それ以外どうしたらいいかわからない。
「ジル」
そして近づいてきたハディスの唇を、頭で迎え撃ってやった。
ごっというにぶい音のあとに口元を押さえて悶絶したハディスに、ジルは仁王立ちする。
「もう、陛下は極端です! すぐ調子にのるし」
「だ、だからって、この雰囲気でこういう対処する!?」
「焦らなくったって、こんなのすぐ戻りますよ。服を脱いで、化粧を落とすだけで」
そう言って、落ちたマントをハディスの肩にかけ直した。眉をよせて黙っていたハディスが、ぽつりと返す。
「ならそれ、僕にやらせてくれるんだよね」
「は?」
「僕の知らないところで勝手に綺麗になっておいて、勝手に戻るなんて許せない」
下から睨めつけるように光る金色の目が、完全にすねている。呆れてジルは肩を落とした。
「言ってることめちゃくちゃですよ陛下……」
「君のせいだ。僕は悪くない」
清々しいまでの責任転嫁だ。
(ああでもこういう男だったな。最近、ちょっとかっこよくなっただけで)
そう思うと、なんだか笑いがこみ上げてきた。
むっとハディスの眉がよる。
「なんで笑うの……」
「だ、だって。陛下、子どもみたいです」
そのまま笑っていると、強く抱き締められた。ちょっと苦しかったけれど、その乱雑さがハディスの動揺だと思うとくすぐったく感じるから、重症だ。
「あの、陛下」
「何。文句言ったって君が悪いから離さない」
「わたしの口紅、陛下からもらったやつですよ」
腕の力をゆるめたハディスが、ジルの顔を覗きこんだ。期待と不安をその金色の瞳に見て取って、ジルは頬に手を伸ばす。
「でも、返済は大きくなってからって言ったのは陛下ですから」
「……ほんとに、詐欺だ……」
ぐったりしたような声にジルはまた笑う。
ぎゅうっとジルに抱きついてくるハディスは、まるで両思いになった頃のようで、それを懐かしく思いながら、頭を撫でた。
(大人の女って、こういうことかな)
面倒だなんて思ったりしない。いっぱいいっぱい甘やかしてあげよう。びっくりさせたのは自分だ。でも、調子にはのらせないように。
きっとそれが恋愛戦闘力、というやつなのだ。
■
「……あの、陛下」
「何」
「そろそろ、離れようかなーって思いませんか」
ジルを膝の上にのせ、執務机で書類を決裁しているハディスは、にこりと笑い返した。
「また目を離したら勝手に綺麗になるかもしれないじゃないか」
「……」
昨夜からずっとこの調子でまとわりついてくるハディスを最初は可愛いと思ったが、そろそろ限界だ。
不本意だが、同じ執務室で黙々と作業をしている面々に、そっと助けを要請する。
「あの……ヴィッセル殿下」
「ハディスの気が済むまで黙ってそこに座っているのが君の仕事だ」
「リ、リステアード殿下!」
「仕事が進むならあえて目をつぶろうと思う」
目は開いて仕事をしてほしい。
だが誰も助けてくれないのはわかった。ナターリエもヴィッセルからこんこんと諭されてまいったらしく「あとは頑張って」と言われたきりだ。エリンツィアとフリーダは、ハディスと仲良しだとにこにこしていて当てにならない。
「めんどくさい……」
「今、まさかめんどくさいって言った?」
「い、いえ! ただ……なんでこんなことになってしまったのかと」
「君が僕をびっくりさせるからでしょ」
それはそうかもしれないが、こうなりたかったわけではない。ハディスだってずっとジルを膝の上にのせたままではつらかろうに、移動も抱きあげて運ぶわで、これではジルにべったりだった頃に逆戻り――いや、それ以上だ。
(……仕返しもかねてやってるよなあ、陛下)
自分を不安がらせたり動揺させたらこうなるぞ。そう言いたいのだろう。
そこはまあ嬉しいのだが面倒は面倒で――恋愛って難しい。
ひそかに溜め息をついたジルは、さらさらと目の前で書かれるハディスの筆跡を見る。綺麗な字だなあと思っていると、その頬を別の手で軽くつままれた。
「もうちょっと頑張ったら、解放してあげる」
「ほ、ほんとですか」
そう答えてからはっとした。これではまるで、自分が音を上げたみたいではないか。いや実際、困っているのだけれども。
「懲りた?」
案の定、ハディスはなぜか楽しそうだ。
「僕は大人だからね。許してあげる」
あんなに動揺していたくせに、まるでそれを忘れたような笑顔でハディスが余裕を見せる。
負けた気分になって、ジルはむくれたまま黙った。
どうやったらこの男の余裕をぶち壊してやれるだろう。昨夜は勝ったのだ。またきっと勝てるはず。今度こそ、完璧に。
そう思うことは、いわゆる『最初に戻る』でまったく解決にならないとジルが気づくのは、当分先の話である。
お付き合いありがとうございました!
次回更新はまた来月以降になりますが、今度こそ正史ですたぶんきっとおそらく…!




