エンドレス奇襲作戦①
※書籍版3巻・購入者特典オーディオドラマのネタを含みますが、知らなくても読めます※
「陛下、うちの娘と踊ってやっていただけませんか」
背後で聞こえた会話に、ローストビーフかロブスターか悩んでいたジルは、つい聞き耳を立ててしまった。
「一度、陛下に直接お目にかかりたいと、ずいぶん今夜のために頑張ったのです。こんな気さくなパーティーでもなければ叶わぬ夢ですので、ぜひ娘の今後の勉強のためにも」
父親に背を押されたご令嬢は、皇帝陛下の前で真っ赤になって縮こまっている。年はまだ十六歳くらいだろうか。緊張している娘を見て、ハディスがふわっと微笑んだ。
「僕でよければ」
「ほ、本当ですか」
「ぜひ」
うわずった声で確認する令嬢は、どこまでも初々しく、敵意はなさそうだ。などと考えていたら、振り向いたハディスが身をかがめて、ジルの頬に手を伸ばした。
「ジル、またあとでね」
あ、と思ったときはもう遅かった。とても自然にジルの頬に口づけをひとつ落としたハディスは、乙女の夢を詰め込んだような優雅な仕草で一礼し、娘の手を取ってフロアの中央に進み出ていく。
(またやられた……)
ジルは頬を片手でなでて、半眼になる。
現在、天空都市ラーエルムの帝城では、小さな夜会の開催が多い。内乱だなんだと今まで落ち着かなかった印象を払拭するためと、正式にハディスの婚約者になったジルを社交慣れさせるためである。
とにかく子どもで許される年齢のうちに場慣れしろ、という方針は大変ありがたい。パーティーは立食式でご馳走が出てくるときもあって、ひとりで留守番をしているよりもジルはご満悦だった。たとえば今、目の前にあるローストビーフとかである。
だが、ジルとハディスでは身長差がありすぎてダンスができない。そうなると夜会だというのにダンスのお相手がいない皇帝陛下にお嬢様方が詰めかけるのである。
ハディスはそもそも人なつっこいし、友達百人を夢見ていたひとである。来る者拒まずだ。特定の誰かに入れ込むのではなくまばらにならば、変な問題も起こらないだろうとヴィッセルもハディスの人気取りのため推奨している。ハディスはハディスで末端貴族のご令嬢の顔と名前まで覚えているものだから、皇帝陛下に覚えていていただけたと心酔する者達も増えてきた。いいことだ。
しかも計算なのか素なのか、ハディスは誰かと踊る前に必ずジルに声をかけていく。何があろうと竜妃が一番である、という意思表示だ。だが、ジルに許可は求めない。皇帝の権威と竜妃への敬意の合わせ技だ。
ハディスは皇帝だ。それでいい。人気者になっていくのも誇らしい。
だが。
「このままだと陛下を神器でシャンデリアから吊してしまいそうです。どうしたらいいでしょうか」
「なんで発想が吊すなのよ」
昼下がりのお茶会で相談したジルに、げんなりナターリエが答える。いつもどおりぬいぐるみを抱いて現れたフリーダは目をぱちぱちさせていた。ラーヴェ帝国将軍をやっているエリンツィアはときどき出席の、ラーヴェ皇族女子の定例お茶会である。
「ええと……でも、ハディスおにいさまは……ジルおねえさまにいつも、ちゅって……」
言いながら恥ずかしくなってきたのかフリーダが赤くなってうつむく。いつもならつられて赤くなってしまうジルだが、今日は溜め息が出た。
「陛下が浮気してるとは思ってませんよ。大事にしてくれるし、疑う余地もないっていうか……でもそれが不満?っていうか……」
「とりあえずパーティー内で夫婦喧嘩はやめてね、ジルちゃん」
「皇帝暗殺未遂で竜妃がつかまるとか洒落にならんからな」
竜妃の騎士として出入り口で警備をしているカミラとジークが口を挟んでくる。本来なら口を挟むことは許されない立場だが、ナターリエもフリーダも許してくれたのでこうしてたまに会話に入ってくる。
「わかってますけど……でもなんか腹が立つんです! 陛下のくせに!」
立ちあがって拳を握ったジルに、フリーダが目をまん丸にして、ナターリエが頬杖をついた。
「ちなみにハディス兄様って夜這いしかけてきた?」
「きません! 陛下のくせにこないんですよ! 陛下のくせに!」
「いやジルちゃん、そこきたらアタシたちが大変だからやめて」
「っつーか、それが普通だろ」
「普通ってなんですか!? わたしが色気がないって話ですか!?」
わかったふうに水を差す部下ふたりをにらむと、部下はそろって焦りだした。
「色気っつーかそもそも年齢がだな……いくらなんでも無理っつーか」
「無理ってなんですか!」
「ジルちゃん、落ち着きましょ? ほらおいしいお菓子よー」
「お菓子は言われなくたって食べます!」
「ええと……ジルおねえさまは、ハディスおにいさまを、困らせたい……?」
小さなフリーダの確認に、ジルの膨れ上がった感情がいきなりしぼんだ。
「そ、そういうんじゃなくて……ただ……なんか、もっと……だって……」
椅子に座って、ぼそぼそ口の中で言葉をさがす。
ラーデアでひとりで英雄になって帰ってきたハディスは、変わった。もともとそういう強いひとだとジルは信じていたけれど、そうなったハディスに喜んでいるだけじゃない自分がとても嫌だ。
普通の女の子は天敵だ。ラーデアで感じた小さな不安が、なんだかどんどん大きくなってきている。
ぎゅっと拳を握って、ジルは唸った。
「女神がいっそ襲撃してきたらいいのに……!」
「やめなさいよ怖いこと言わないで!」
「だって女神はぶん殴って白黒つけられるじゃないですか! でも他の、普通の、可愛い女の子は……殴るわけには……」
うつむくジルに、みんなが顔を見合わせている。
だん、とジルは机を拳で叩いた。
「もういっそ陛下との結婚武術大会とか開いたらだめですか!? わたし優勝目指して頑張ります!」
「ああ、ベイルブルグの空でやってた陛下が優勝賞品なやつね……」
「女神以外参加しねーだろそれ」
「ジルおねえさま……あんなにハディスおにいさまに好かれてるのに、ヤキモチ……?」
フリーダの指摘にかっとジルの頬が赤くなる。
「ちがっ違います! ちょっと、そうかもしれないけど……違います、わたしは……」
「自分に自信がないんでしょう」
果実水をぐるぐるストローで回しながら、ナターリエがつまらなさそうに言った。
「ハディス兄様、中身はともかく見た目いいし所作も完璧だもの。年齢どうこうもあるけど、あれと並んで遜色ない女なんて、それこそ女神しかいないんじゃないかってくらい」
「女神なら大丈夫です、折ります」
「なら自信持っていいんじゃないの? いちばん強い敵と戦えるんでしょう」
そんなふうには考えたことがなくて戸惑うジルの正面の席で、フリーダが喜ぶ。
「かっこいい、ジルおねえさま……」
「あ、有り難うございます……で、でもわたし、戦えるだけで」
「何が戦えるだけ、よ」
呆れたようにナターリエに言われて、ジルは混乱する。
「え、じゃあ結婚武術大会を開けばいい……?」
「武術大会から離れなさい。はい立って!」
「はい!」
ナターリエに勢いよく命じられて、椅子を蹴ってぴしっと背筋を伸ばして立つ。
じっと観察されているので、緊張したまま待っていると、ナターリエがふうっと嘆息した。
「いいわ。次のパーティー、協力してあげる」
「え?」
「わからないでもないもの。最近、ハディス兄様すごくかっこいいわよね。ハディス兄様のくせに」
何かが通じた気がして、ジルは急いで何度も頷く。
「そうなんです、陛下のくせに!」
「あ、あの……ハディスおにいさま、困らせるのは……だめ……」
「何言ってるの、あんただってリステアード兄様を部屋の外に叩き出して三日三晩謝らせ続けたことあるくせに」
「え、すごいですねあのリステアード殿下を」
「あれは」
目を見開いて笑ったフリーダが、全身に魔力を立ちのぼらせながらぬいぐるみをぎりぎり引っ張る。ひっとナターリエ以外の全員があとずさった。
「おにいさまが、悪いから……」
「そ、そうですか……」
「で、具体的に何するんだ」
「シャンデリアに吊すのはなしよー」
ジークとカミラが脱線しかけた話を戻してくれる。
「まっとうな、普通の手段よ。ドレスと化粧」
「へっ?」
まばたいたジルにナターリエが立ちあがる。
「わたしの化粧係を貸してあげる」
「あらやだ、メイクアップってやつね!? アタシも手伝うわよ」
はしゃいで手を挙げたカミラをじろりとナターリエがにらむ。
「だめよ。男子禁制。無意識で手を抜くでしょ」
「ええー……?」
「で、ですがわたしはまだ子どもなので……」
「あなた、強いとかそういうのが目立ちすぎてるだけで、素材いいわよ。立ち方とかとっても綺麗」
「えっ」
そんな褒められ方をしたことがなくてただただ驚くだけのジルに、フリーダがにこにこ顔に戻って言った。
「ジルおねえさま、かっこよくて、美人だから……」
「他ならぬハディス兄様がしょっちゅう言ってるじゃない。大きくなったらすごい美人になる、どうしようって」
「あ……あれは陛下がわたしを買いかぶりすぎというか……そ、それにわたし身長は伸びると思いますけど、体つきのほうは自信がないというか」
ついでに言うなら他でもないハディスに「色気がたりない」などと言い放たれたこともある。
(あ、思い出したらむかついてきた)
未来がわかっているというのは、こういうときつらい。
「今はまだ余裕よね、ハディス兄様。まだまだ先の話だと思ってるから、油断してる」
でも、未来は変わる。
今、この瞬間にも。
「そこを突き刺してやれば、面白いものが見られそうじゃない?」
要は奇襲作戦だ。
少しも自信はないけれど、顎を引いたジルは、思い切って頷き返した。




