ラーデアのパン屋さん⑤
竜帝が作ったパン、となると御利益を期待されるのは当然の流れでもある。
ラーデアの復興が始まって十日ほど、再開したおばあさんのパン屋さんは、変わらず繁盛した。おばあさんが「戦争が終わったら店をたたむつもりだったんだけど、どうしようねえ」と言っているくらいだ。
(続いてほしいな。……おばあさんが大変なのはわかるけど)
雇ったパン職人のひとりは、まだ若くパン屋で開業を本気で目指している。だからそのひとに継いでもらうのはどうだろう――という話になっているが、まだ決まっていない。
レシピを含め、今の店を整えたハディスの意見が聞けないままだと、どうにも決め手に欠けるのだ。
ハディスはどうしているのだろう。皇帝となるとこちらから気軽には会いにいけない。
だが、軍のひともパンを変わらず買いにくるので、ハディスの様子について少しだけならユウナたちの耳にも入ってくる。
「パン屋、起き上がれるようになったらしいぞ」
街の人やハディスと一緒に戦った兵たちは、ハディスをパン屋と呼び続けている。もちろん公の場では違うのだろうが、癖になっているのだろう。それで咎められることもないらしい。
そして真っ先に情報を得るのはカウンターで接客しているユウナだ。
「よかったー。おばあさん、喜びます。心配してたから」
「書類に囲まれてるって聞いたぞ。皇帝様は大変だなあ」
冗談まじりに、どこか哀愁をこめて兵は笑う。変わらずパン屋と呼んでも、やはり何か見えない壁ができてしまったのかもしれない。
(それって寂しいなあ)
ハディスが書いたパンのレシピも、荷物も、そのまま残っているのに。
「ハディスさんに伝言って無理ですよね……」
「まあ、俺らは下っ端だからなあ。サウス将軍に伝えるのがせいぜいだ。そんでサウス将軍がヴィッセル殿下に伝えてって形になるかな」
復興で忙しいだろうに、あまりそんな手間をかけさせたくない。
もう少し待とうか、そんなふうにおばあさんやみんなと話していたときだった。
見知らぬふたりの男性が並んでやってきたのだ。
「こんにちはー! 竜帝陛下のおつかいよー」
明るく挨拶をしてくれたのは、泣きぼくろが妙に色っぽい男性のほうだ。もうひとり、体格のいいほうは難しい顔で周囲を見回している。
ぽかんとしたユウナは、慌ててカウンターから外ヘと出る。皇帝陛下の使者だ。
それを見て、泣きぼくろがあるほうが手を振った。
「いいのよ、かしこまらないで。ごめんね、お仕事中でしょう?」
「は、はい。あの……皇帝陛下の」
「そうそう。アタシたち、皇帝陛下の荷物を引き取りにきたの」
「えっ」
自分でも驚くくらい動揺して、そのまま声が出た。その声を聞いて、泣きぼくろの人がまばたく。
視線がからみあって、変な間があいてしまった。
それを遮ったのは、体格のいいほうのひとだ。
「陛下が世話になったパン屋だって聞いてきたんだが、ここであってんのか? ばあさんがやってるって話だったが」
「え、ああ……ええと、合ってる……と、思います。その……荷物って、ハディスさんのですよね? あ、私は売り子です」
「ああうん、聞いてるわ。店主のおばあさんと、女の子の売り子と、パン職人がふたりいるはずって。みんな無事かしら」
「あ、はい」
「陛下の荷物ってまだある? あ、心配しないで。なくなってても別にお咎めとかないから。陛下が荷物ここに置きっぱなしだって聞いてるだけよ」
「あ、あります……けど……」
おばあさんもいないのに、渡してしまってもいいのだろうか。
(もう二度と会えないんじゃないの?)
それはよくない気がする。ぎゅっと拳をにぎって、ユウナは顔をあげた。
このふたりは皇帝陛下の使者だ。ただの町娘なんてどうとでもできる。そう思うと怖かったけれど、勇気を出した。
「あるのは、ハディスさんの、荷物なので」
ふたりがそろってまばたく。
「本人の許可もなく、勝手にお渡しするのはできません。……ええと……すみません、おばあさんも、いないし」
うまく言えない。でもそうとしか言えなくてうつむいていると、泣きぼくろのひとのほうがにこっと笑った。
「そうね、わかったわ。アタシたちが不躾だったわね」
「え……」
「一応、言い訳するとね。陛下はちゃんと自分がここにくるって言ってるのよ。お世話になった挨拶がしたいって」
顔をあげると、泣きぼくろのひとがおどけて笑う。
「でもねーほら、あれでも陛下、皇帝でしょ? いつにこれるかわからないし、先に荷物だけでも引き取ろうって気を利かせたつもりだったんだけど……ほら、皇帝陛下の荷物なんて大したものは入ってなくても、持ってるのも怖いじゃない? でもごめんなさいね、逆に気が利いてなかったわ」
「……確かに、世話になった先に臣下をよこして荷物を出せ、は失礼だな」
嘆息まじりに体格のいいひと言った言葉に、ユウナは慌てる。
「す、すみません! こ、皇帝陛下が失礼だとか、そういうつもりじゃ……」
「いいのいいの。実はね、説明面倒だからってアタシ達、陛下のおつかいって名乗ったけど、実は違うし」
「え」
それは詐欺ではないか。驚いたユウナに、泣きぼくろのひとがお茶目に片眼をつぶる。
「あなた度胸あるし、いい子ねえ。周囲のひとたちもみんないいひとじゃないの」
遠巻きにだが、周囲にはこちらの様子をうかがっている近所の人々がいた。みんな顔なじみである。それらをぐるりと見回して、泣きぼくろのひとが笑った。
「まあそうじゃなきゃ、あの陛下は見向きもしないか」
「は、はあ……いえ、でもあのその、じゃあハディスさんの話は……?」
「ああ、本当じゃないけど嘘でもないわよ。アタシたち、正確には竜妃殿下のおつかいなの。竜妃の騎士ってやつね」
「え」
さらに驚いた。詐欺ではないのは安心したが。
「だから安心して。ちゃあんと言ってやるわよ、挨拶にこいって」
「そ、そんなつもりじゃないんですけど!」
「いいだろ。陛下、すごく気にかけてたからな、ここのこと」
ふたりがずいぶん気安く話すことにユウナは気づいた。おそらくだが、ハディスに近いひとなのだ。
それにハディスのことをさん付けで呼んでも怒りもしない。
「……ハディスさんは元気ですか。寝込んでるって聞きましたけど」
おそるおそる尋ねると、泣きぼくろのひとが笑って頷く。
「もう起き上がって、書類の山に埋もれてるわよ。復興計画とかラーデア大公の就任の手順とか、色々決めなきゃいけないことが多いらしくて。あとはね、やっぱりこの状況でしょ。どさくさに紛れて盗難とかする不届きな輩がいるから、警備もね。見回りもしなきゃいけないから、とにかく人手が足りなくて」
混乱に紛れて盗みや追い剥ぎを働くよそ者がいるらしい、というのはユウナも耳にしている。
「一応、俺らもその見回りなんだがな。っつーわけで、なんか困ったことは? なんでも言っとけ」
意外にもいかつい顔のひとが問いかけてくれた。ユウナは慌てて首を横に振る。
「こ、この周辺はあまり被害もなかったので、大丈夫です。炊き出しとかもいただきましたし……家がなくなったひとは城のほうで仮住まいにさせてもらえてるって聞きました。家も希望者にはまとめて住宅街を作るとか……わ、私はよくわからないんですけど、おばあさんが、こんなに手厚い戦後処理は初めてだって」
「あーまぁな。竜妃の領地で、皇帝が直々に指揮してんだから、面子かかってんだろ」
「……きっと竜妃殿下がラーデア大公に就任しても大丈夫じゃないかって、みんな言ってます」
竜妃の騎士だというなら、そのあたりも伝えておいたほうがいいだろう。目配せし合ったあとでふたりは笑った。
「ありがと、喜ぶわ」
「まぁあれだ。陛下は抜け出してでもくると思うから、そのときはよろしくな」
「ぬ、抜け出す!?」
仰天するユウナにからから泣きぼくろのひとが笑う。
「気にしなくていいわよぉ、ちゃあんと回収しにくるから。それに、帝都からここにくるのだって陛下、独断だったしね」
「えっ」
「ここでその辺の経緯、どう話してたんだ、陛下は」
「お、奥さんがあとからくるって……駆け落ちみたいな話は、聞いてましたけど……」
ユウナの答えにいかつい顔のひとはしかめっ面で嘆息し、泣きぼくろのひとは腹を抱えて爆笑した。
「あっははははは! 何それウケる、ジルちゃんに告げ口しましょ」
「やめとけ、せっかくうまい具合におさまった隊長の怒りが再熱するぞ」
「それがいいんじゃないのー。あー面白い。貴重な情報ありがと、お嬢さん。じゃ、また何かあったら声かけて。アタシたち、街の見回りしてること多いから」
「は、はい……あ、あの!」
踵を返そうとしたふたりが足を止めた。
何がなんだかよくわからないがこれだけは言っておかねばならない。
「は、ハディスさんには、こちらにくるときはちゃんと、出てきてもいいときにきてくださいって伝えておいてください……!」
でないとこっちがどうなるかわからない。
青い顔で進言したユウナにまたも泣きぼくろのひとがおなかを抱えて爆笑し、体格のいいひとは呆れた顔になったがしっかりと頷いてくれた。