ラーデアのパン屋さん①
*やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中3巻発売御礼*
ユウナは近所のパン屋のおばあさんの素朴な小麦パンを三日に一度、買い出しの最後に買いに行く。それはひとりきりのおばあさんが元気か確かめにいく、ご近所付き合いの一環でもあった。
(閉まってないといいけど)
おばあさんのパン屋さんは、朝早いが閉まるのも早い。他の用事に時間をとられて予定より遅くなってしまったので、路地裏に回る。最近、大通りにひとが増えたので、路地裏のほうが近道になるのだ。
馴染みの通りに出て角をまがると、おばあさんのパン屋さんが見えてきた。まだ開いている。急いで駆けよったユウナは、カウンターから内側に声をかけた。
「おばあさん、ユウナです」
昔ながらのパン屋さんはショーウィンドウから見える店内なんてものはなく、対面式のカウンターで販売するだけだ。正面に硝子のケースの中に飾られたパンを選んで取ってもらう形になるので、残っているパンを確認しようとケースを見て驚いた。
ほとんど商品が残っていないのは想定内だが、残っているものがいつもと違う。卵をはさんだおいしそうな惣菜パンや、さくさくした生地を使ったクロワッサン、見目も果物や柔らかそうなクリームに彩られて、形もとてもしゃれている。
(え、何これ。苺のジャムパン? こんなの売ってたっけ)
「いらっしゃいませ」
若い男の声がして、ユウナは姿勢を正した。
カウンターの向こうから青年が顔を出す。年齢はユウナより少し年上だろうか。つやつやの黒髪をちゃんと三角巾にしまって、清潔なエプロンをつけている。ユウナを見た金色の瞳が少しおっかなく思えたが、すぐににこりと安心させるように笑ってくれた。
優しそうなひとだ。
だが、思わず息を止めてしまうくらいの美形だった。
「どれにしましょうか?」
「はぇっ?」
柔らかくて心地いい声に尋ねられて、声がひっくり返った。慌ててばっと口をふさぐと、カウンターの向こうで目をぱちぱちさせたあと、青年がくすりと笑う。
「びっくりさせたかな。ごめんね」
優しく謝られて、慌てて首を横に振る。それから、じわじわ頬が熱くなりだした。
一応、ユウナだって年頃だ。しかもこんな王子様みたいな青年は初めて見るものだから、どう対応すれば正解なのかわからない。
「今日からここで住み込みで働かせてもらってるんだ」
「そ、そう、ですか……す、すみません、何か」
「大丈夫、今日はみんなからびっくりされてるから」
いつも和やかにおばあさんが出迎えてくれるところに、突然若い男性が現れたらそれはみんなびっくりするだろう。しかもこの美貌。くる場所を間違えたのかと咄嗟に思うに違いない。
だがエプロンをつけた青年は、トングを持ってもう一度尋ねる。
「それで、何にしようか?」
ここはパン屋なのだ。それを思い出した。
「あ、ええと……小麦の、パンを、三つ。いちばん安いので……」
なぜか恥ずかしくなって語尾がすぼんでいく。だが青年は身をかがめてパンを取って笑った。
「おいしいよね、おばあさんのこのパン。僕も好き」
「……えっ」
こんな、別世界からやってきた王子様みたいなひとが、あんな素朴なパンを。ついそう思ってしまったが、青年は気にした様子はなくパンを紙袋に入れてくれる。
「こういうのって年齢なのかなー。僕にはこの味はまだ作れないよ」
「……パ、パンの、見習い職人の方、なんですか」
「うん、そう」
パン屋より王子様でもやってたほうがお似合いな青年はあっさり頷き、カウンター越しに商品を渡してくれた。慌ててユウナは代金分の硬貨を差し出す。
「そう、おばあさんは元気だから大丈夫だよ」
「えっ」
「みんなから聞かれるから」
苦笑い気味の青年に、ユウナは相づちを返す。確かにこのパン屋に訪れる皆は、日々のパンを求めてくる一方で、おばあさんの様子を見にきている節がある。
「もし会いたいなら、明日なら、おばあさんが店にいるよ」
「あ、あなたは明日、お休みなの?」
まだ緊張するが、あまりに青年が気安いものだから意外と普通に話せた。
「ううん。僕は明日、街中に行商しにいこうと思ってるんだ。だからおばあさんに店番をお願いする予定」
「でも、そんなにおばあさんは量を作れないでしょう? あなたがひとりで全部作るの?」
「うん。手伝ってもらいつつだけど……おばあさん、腰痛があるんだよね。あんまり無理してほしくなくて。今も休んでもらってる。今日もいつものパン以外は僕が作ったんだよ。よかったよー売れてくれて」
心底ほっとしたような言い方に、つい笑みがこぼれてしまう。
「ここのパン屋さん、今でこそ縮小営業だったけど、昔は大繁盛だったんだって。みんなの目が厳しいから、見習いをするなら大変かも」
「ああ、うん。おばあさんのパン、おいしいからわかるな」
「頑張って。何か困ったことがあれば言ってね。手伝うから」
そう言うと、青年はにっこりと笑った。
「ありがとう。ここはいい街だね」
そういう言い方をするということは、余所からきたのだろう。ラーデアは初めてに違いない。
どうしてここにきたの、などと聞ける仲ではない。少し考えてユウナは答えた。
「そうでしょう。今日からあなたの街よ」
きょとんとしたあとで、青年はつぶやく。
「そうか、僕の街か……」
「あなた、名前は?」
「ハディス」
どこかで聞いた名前だなと思った。逆に言うならどこにでもありそうな名前だ。
頷き返してからユウナは気づく。まだ名乗っていなかった。
「わたしは」
「ユウナさん」
先に答えられてびっくりしていると、ハディスと名乗った青年は笑った。
「さっきそう挨拶してくれたよ」
「そ、……そうだった?」
「おまけつけといたから、よかったら食べて、感想聞かせて」
またね。
そう手を振られたユウナは、慌てて後ずさりして胸にパンを抱き、家に急ぎ足で向かう。
一息吐き出せたのは、家についてからだった。
「……びっくりした」
食卓に、知らず抱きしめていた紙袋を置く。中を見ると、頼んでいないパンがあった。
おまけのパンだ。
「……」
家族が帰ってきてからだと、気まずい気がする。思い切って取り出し、食べてみた。
そしてまた驚く。
「おいしい……」
柔らかいパンの生地の中から、少し甘酸っぱい苺のジャムが染み出てくる。
きっと遠からずあの青年は、色んな意味で有名になるだろう。そう思った。