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「はいと言え、今すぐ! ハディスを泣かせる気か!? それでも兄か!」
「リ、リステアード殿下!」
忌々しい異母弟が胸倉をつかんでがくがくゆさぶってくる。それを横からこれまた忌々しい少女が止めにかかった。
「もう、陛下に内緒でついてきたんですよ! 飛び出しちゃ台無し……」
「……ジル」
ハディスに名前を呼ばれた少女が、びくっと背筋を正して振り返る。
「……き、聞いてたの……?」
「えっ!? わ、わたしは……その、なんにも、聞いてないです、よ!」
「ほ、ほんとに? 聞いてない? 絶対?」
「は、はい! わ、わたしとの結婚のためにクレイトスと和平、とか……!」
言いながら真っ赤になった少女につられたのか、ハディスの頬も赤く染まっていく。そしてふたりそろって両手で顔を覆って隠してしまった。恥ずかしいらしい。
「おい、聞いているのかヴィッセル!」
「やめろリステアード、お前のせいで全部台無しだ」
さらには異母姉まで出てきて、リステアードを引きはがしてくれた。
「それで、兄弟喧嘩はここまででいいか? 答えは決まってるんだろう」
優柔不断なくせに、こういうときだけ頼もしく見える。ヴィッセルは唇を引き結んだ。
(弱さの肩代わり、か。……そんなふうに思わせていたなんて)
弟と自分の願いが、いつの間にかずれていた。それを寂しいと思う――けれど。
「……ハディスが望むなら、しょうがないでしょう。ハディスは私の弟だ」
「本当か!? なら今後、ハディスを自分の思い通りにしようとはしないな!?」
「そんなふうに企んだことはないですよ。――ところでご存じですか、リステアード様」
にっこり笑ったヴィッセルに指を突きつけられ、リステアードが勢いを止める。
「私はあなたより一年四ヶ月年上です」
エリンツィアが小さく噴き出した。顔を赤らめたリステアードが反論しようとする。
「な、なんだ! だからって僕は――」
「ええ、安心してください。兄面しようなんて思いません。私とあなたの血筋は、大変相性が悪い。特にあなたの兄のことは、虫唾が走るほど気に食わなかった」
「お、お前に、兄上の何がわかる!」
「わかりませんよ。図書館に引きこもる末端の皇子にわざわざ話しかけにきて、同母の立派な弟がいらっしゃるのに私も弟だなんて綺麗事を本気でほざき、自分が死ねば必ずハディスが呼び戻されるからあとは頼んだなんて言って死ねる、そんな馬鹿のことは」
返事に詰まってしまったリステアードとは対称的に、エリンツィアは目を細めた。
「それは、お前の天敵みたいなラーヴェ皇族だな」
この異母姉は、ヴィッセルがラーヴェ皇族を嫌っていたことをちゃんと知っている。
そう、ヴィッセルはラーヴェ皇族が嫌いだった。自分を、弟を否定するこの国を蹂躙してやりたかった。
(全部全部愚かだと笑って切り捨てていけば、楽だったのに。私も、ハディスも)
――でも。
「ハディス」
しゃがんで地面にぐりぐり人差し指を押し当てていた弟が顔をあげた。
すぐさま横から少女が――弟の嫁、すなわち義妹が立ちはだかる。守っているつもりらしい。生意気だ。
「いいよ、わかった。お前がそう望むなら、私はお前の選択に従おう」
ぱっとハディスの顔が喜色に染まる。こういうところは変わらない。
「ほ、ほんとに? 兄上はそれでいい?」
「いいよ。お前が幸せなら。私はお前にふさわしい兄になりたかっただけだから」
虚をつかれたようにハディスがまばたいた。腰を折って目線を合わし、ヴィッセルは続ける。弟にちゃんと伝わるように。
「お前がクレイトスと和平を結べというならそうするし、三公を押さえて国を平定しろっていうのなら、やってみせよう」
「じゃ……じゃ、ジルとの結婚は? 認めてくれる!?」
「別に認めてもらわなくていいですよ、陛下。竜妃の神器も持ってますし」
ヴィッセルに向ける不信を隠さず、少女が言う。
ここは大人の態度を取るべきだ。可愛い弟のためなのだから。
「もちろん、認めよう。帝都に戻ったら早速、婚約のお披露目をしよう。それから結婚式の準備もね。三百年ぶりの竜妃様だ。結婚式で竜帝が持つ手袋の刺繍も完璧にこなしてもらわなければ」
ハディスの隣で少女が青ざめる。自分の勘が当たっていたようで、笑みを深めた。
「礼儀作法にダンス、刺繍、料理、詩。花嫁修業、頑張ってもらうよ。できないとは言わせない」
「こ、この小舅……って陛下!?」
ぐらりと傾いたハディスの体を、少女が受け止める。ぶるぶる震えながら弟が少女にすがりついた。
「き、気が抜けて……さ、さむ……体温がさがっ……死ぬ……!」
「し、しっかりしてください! ラーヴェ様、中に入って陛下をあっためて! 担架!」
あの少女は竜神も見えるのだ。
(竜妃なら当然か)
倒れた弟を助けようとリステアードが、エリンツィアが、わらわらと人がよってくる。
もうヴィッセルが呼ばなくても集まるのだ。
その光景を見たいような見たくないような気分で、ヴィッセルは後始末の指示を出すためにその場を離れる。
ラーデアの復興、帝国軍の再編成、ハディスの味方とはまだ言えない三公の調整、クレイトスとの交渉、方針が百八十度転換しても仕事は山積みだ。ハディスを裏切る輩はこれからも出るだろう。変わったことなど何もない気がする。
ああでも、いつか始末するつもりで一度も会っていない婚約者殿に会ってみようか。
朝日が昇り夕日が沈む世界は変わらない。でも、自分の手で変えられるものもあるのだからと、ヴィッセルは空を見あげた。
ここまで読んでくださって有り難うございます。
あとはエピローグを残すのみ、明日はお休みさせていただいて明後日(日曜日)に更新して、第三部完結となります。
今後の予定などは完結時に色々お知らせできたらと考えておりますので、宜しくお願い致します。
エピローグがくるまでのつなぎにどうぞ、ということで現在新作を連載しております。
「令嬢探偵は推理をしない、本当に」という注意書きみたいなタイトルですが、相変わらずチートな主人公がバトって殴る探偵怪盗にカップルですので、興味のある方は宜しければチェックしてやってくださいませ。
それではエピローグまでジルたちを宜しくお願い致します。