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撃ち合った剣の先で、男は笑った。
「自己紹介が遅れたね。僕はクレイトスの王様だ。ルーファスっていう。気安くルーファスお兄さんと呼んでくれ。優秀な息子に隠居させられてしまって暇で観光にきていたんだよ。まだ三十代なのに隠居生活。ひどいと思わないか?」
おしゃべりな男だ。下から天剣を打ち上げ、ハディスは答える。
「さっきも言った。興味がない」
「なるほど、なるほど。そういうふうに君は答え、しゃべるのか。これでも若い頃は色々考えたものでね。竜帝とはどんな顔だろう。どんなふうにしゃべるのだろう。どんなふうに笑い、泣き、戦うのか!」
天剣によく似た形の剣が振り下ろされた。天剣と撃ち合ってもひびひとつ入らない。それどころかつい最近、目にした記憶があった。
叔父が持ってた偽物の天剣だ。女神の聖槍から作られたそれ。
他の誰かが持つならまだしもこの男は、クレイトスの国王。すなわち女神の夫となった、竜帝の代役だ。天剣と同じだけの威力を出すことも不可能ではない。まして、ハディスは今、魔力を半分封じられている。
「僕の知ったことじゃない」
「一人称は僕! 答え合わせは楽しいな、わざわざ会いにきた甲斐があった」
「そうか。なら早く帰ってくれないか」
冷たく言うと、にいと唇の両端を持ちあげて、ルーファスが笑った。
「そうはいかない! 竜妃ちゃんにまだ会っていないからね」
眉をひそめたハディスの前で、ルーファスが唇を舐めた。
「竜妃がいてこそじゃないか。僕たちの戦いは」
「……どういう意味だ」
「ああ、ああ、知らないのか。そうだな、理の竜神は合理的だ。都合の悪いことはすぐに忘れる、理性を保ち続けるために!」
横に払われた剣に、体勢を崩す。その瞬間、魔力を直接鳩尾に叩き込まれた。
「僕は憐れに思うよ。すべてを覚えたまま狂っていく、我らが愛の女神を」
そのままルーファスの魔力が四散した。咄嗟に両腕を広げて、結界を張る。
「なるほど、街を守るか。ではご期待どおりに」
にいと笑ったルーファスが大きく剣を振り下ろす。そのままそれは魔力の攻撃に変わった。
受け止めきれずに、ハディスは地面に背中から激突する。血を吐いたが、すぐさま起き上がった。起き上がらなければ死ぬ。
案の定、上空からルーファスが追撃にやってきていた。
「さあ本性を見せろ、竜帝――!」
ハディスをその黒い目に映していたルーファスが、振り向きざまに剣を振り払った。だがその動きを縫い止めるように、次々攻撃が降ってくる。
「……ラーヴェ」
『ああ』
竜妃の神器の光だ。ハディスの前に流星のように少女が舞い降りた。
「そこまでです、国王陛下――いえ、南国王」
自分に向かってきた魔力の矢をすべて払い落とし、地面に足をつけたルーファスが振り返る。
「僕を知っているのか。ああ、そういえばサーヴェル家の姫だと小耳に挟んだ。――では、君が竜妃ちゃんかな」
「そうだ」
手にした黄金の弓を黄金の剣に変えて、その切っ先を突きつける、小さな背中。
戦女神のように美しいその姿に、ハディスは手を伸ばした。
なんて有様だ。ハディスを見たジルの感想はそれだった。
立ってはいるが、あちこち裂傷だらけ。三日三晩寝込むのは間違いない。これでは首に縄をかけて吊すこともできないではないか。
「だめだ、ジル。君では勝てない。さがってて」
しかも何を言うかと思ったら、そんなことを言い出す。
かちんときたジルは、伸ばされた手をつかみ、背負い投げてやった。
地面にひっくり返ってぱちぱちしているハディスの胸倉を、ぐいと持ちあげる。
「今、なんて言いました陛下?」
「え、……ええと、いくら神器があっても、勝て、な……っく、苦し、ジル、息が」
「再会して第一声がそれか馬鹿夫ーーーーーーー!」
ぎりぎり両手で首を絞めてやる。ぽかんとしているルーファスがうしろにいるのだが、あとまわしだ。おかまいなしにハディスに凄む。
「他に言うことがあるだろうが!? 勝手に出て行って、パン屋ってなんだ!」
「あ、ごめ、でも、ここは僕にまかせて、ジルは」
「まだ言うか! ――わたしがどんなに心配したか、知らないで!」
叫んだジルにハディスが黙った。ぐいと目元の汗を――汗だ、汗に違いない、自分はそんなに甘くない――を腕でぬぐって、ジルはルーファスに向き直る。
「わたしの陛下をこんなにしたのは、あなたですね」
「おおむねそうかな」
「引く気は?」
「ないね。金の指輪を持っていない君の神器に、負けるわけがない」
言われてジルは自分の左手に目を落とす。確かに、金の指輪はない。ジルの魔力が戻っていないからだ。金の指輪が竜妃の証である以上、魔力の増減に竜妃の神器の威力が関わるのは当然の帰結だ。
「それに、せっかく君に会いにきたんだ。せいぜい楽しませてもらわないと!」
「ジル! ――って!」
懲りずにジルの前に出ようとしたハディスを、蹴っ飛ばしておいた。邪魔だ。
「わお。なかなかの恐妻じゃあないか、竜妃ちゃん」
「よそ見をしている暇はないぞ!」
黄金の剣を握って振りかぶる。難なくルーファスはそれを受け止め、そのまま流れるようにジルを跳ね飛ばした。体勢を立て直そうとしたジルは背後をとられ、背中に柄の底を叩き込まれる。起き上がったハディスが叫ぶ。
「ジル! よせ、僕が相手でいいだろう!」
「ふむ。こんなものか? 期待したのだが」
ジルは回転して地面に着地するが、すぐさま上からルーファスの追撃がきた。重圧で地面が円形に沈む。両手で下から支える黄金の剣が、押されていく。
(強い!)
ハディスが押され気味だったときからわかっていたが、想像以上に力量の差があった。
魔力量も、おそらく武器もだ。
「これではがっかりだぞ、竜妃ちゃん。新しいのに替えたほうがいいのでは?」
ためしているつもりなのか、笑いながらルーファスが上から押してくる。片膝を突いたまま、ジルは唸った。
「あ、たらしいの、だと……っ」
「そう。君を殺せば、また彼は新しい竜妃をさがすだろう」
そんなこと。
奥歯を噛みしめたジルは顔をあげる。左手の薬指に指輪は戻らない。魔力が足りない。黄金の光が薄くなっていく。ルーファスが憐れむように目を細める。
「それが理ってものさ。君には荷が重いだろう。竜帝は、竜神は、愛など解さない――女神の愛ですら、届かないのだから」
なぜか脳裏に先ほどの出来事がぐるぐる回った。あんな男、好きにならなければよかった。
あれは絶対ろくでもない神話のかけらだ。
だが、それがどうした。
(わたしが、好きなのは陛下だ)
知っている。この恋は勘違いなんかじゃない。
気合いだ。両膝に力を込めて、立ちあがる。黄金の魔力が輝いた。
「いい、たいことは、それ、だけかあぁぁぁぁ!!」
押し返されたルーファスが両眼を見開く。
黄金の剣を横に振り払った。同時に手の中で剣が槍に変わる。斜めに吹き飛ばしたルーファス目がけて、ジルは大きく黄金の槍を振りかぶった。
まっすぐ投擲した黄金の槍をルーファスは刺さる寸前で受け止める。だがそのまま鞭に形を変えた竜妃の神器が、ルーファスの体を搦め捕った。
その鞭の先と、ジルの左手の薬指に輝く指輪がつながる。
「だったら女神に、わたしのほうが陛下が好きだって伝えておけ!!」
上空で鞭をつかんだジルは、そのままルーファスごと地面に叩きつける。
地響きと一緒にルーファスが沈み、その衝撃で、上から建物が崩れ落ちていった。




