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爆発音が響いた。神殿の粗末な寝台から身を起こし、あくびをする。何が起こるか楽しみに待っていたので、着替えは必要ない。
(外からの攻撃か。異変に気づいたノイトラール竜騎士団あたりが動いたかな)
だが、精鋭のノイトラール竜騎士団を率いるエリンツィア皇女の部隊は帝都。レールザッツ公も、ルーファスが置いてきたクレイトス軍から目を離すわけにはいかないはずだ。連れてきた魔術士共で対応できるだろう。出て行ってもつまらなさそうだ。
もう一度寝るか、とシーツを取り直したそのときだった。
びりっと全身で感知した魔力に、一気に目が覚めた。
「ルーファス様。奴らは戦うことを選んだようです。既に神殿に兵が入り込んでおりますが、いかがされますか」
「ああ。僕が出よう」
寝室の扉をあけた護衛が、フードの下で怪訝に思うのが伝わった。
「わからないかい? 突撃時かな。ものすごいのがいただろう」
「……申し訳ございません。私には感知できておらず」
「いやいやかまわないよ。相当の相手だ。私も今の今まで気づかなかったくらいのね」
思えば、城での捕縛魔術が失敗したのも、最初の街への攻撃が阻まれたのも、さっきの魔力の持ち主かもしれない。クレイトスほどではなくても、それなりに魔術に対応できる兵がいてもおかしくはないので不審に思わなかったのだが、これまで息を潜めていたのだろう。
それが一瞬だけ、存在を示すように力を誇示した。
呼んでいる。
ルーファスの口元が、知らずにたりとゆがんだ笑みを浮かべた。
■
最初の一撃で魔術士ふたりを吹き飛ばした。
雄叫びをあげて第一部隊がサウス将軍が閉じこめられているであろう地下へなだれ込んでいき、ハディスの背後から第四部隊が神殿の中央へと突っこんでいく。
「全軍、突撃! まずは魔術士をさがしだせ!」
たとえ魔力がなくともこれだけの人数でどうにかできないなら、帝国軍など名乗らないでもらいたい。その思いをこめて叫んだら、くらりとめまいがした。ふらついたハディスを、顔なじみの兵が慌てて支えてくれる。
「だ、大丈夫ですかパン屋!」
口調と呼称が合ってないな、と思いながらハディスは手を振る。
「敬語使わなくていいよ。大丈夫。魔力を使ってるのに寝てないから少しきただけだ」
「ね、寝てない……た、確かに。え、でもこの状況下で寝れるか?」
「寝れない。お前らが無能だから」
つい本音が出た。
「あと食事も消化にいいものじゃなかったし、そういえば薬湯も飲んでない……」
「や……やっぱり休むか!?」
「僕が休んだら全員死ぬぞ」
ハディスの答えを裏付けるように、壁の向こうが爆発した。悲鳴があがり、何人かが倒れる。
舌打ちしたハディスが対応しようと剣を振る前に、誰かが叫ぶ。
「見つけたぞ上だ、壁の上と屋根の上! 追え、逃がすな!」
「ひるむな、全員でかかれ!」
「パン屋を信じろ!」
ちゃんと指示をきくのはいいことだが、最後の言葉になんだか拍子抜けした。そうしているとハディスを支えている兵に、がっしりした体格の兵が声をかける。
「おい、どうされたんだパン屋殿は。まさか敵の攻撃をうけたのか!?」
「いや、違う。でも疲れが出てきてるみたいだ。ごめんな。頼りっぱなしで」
肩を支えた兵の言葉に、ぽかんとした。逆側から体格のいい兵もハディスを支える。
「すまん、だがもう少し辛抱してくれ。今あんたが倒れたら、士気にかかわる」
「……別に、指示通りにしてればいい。サウス将軍も見つかれば十分だろう」
「かもな。だが、俺たちは今、お前が必要なんだ」
ぱちりとハディスがまばたき返すと、少し視線を泳がせながら兵が言った。
「お前、パン屋にしとくには惜しいな。どうだ、今からでも俺たちにつかないか」
「やめろよ、パン屋は皇帝派だ」
「ああ、そうだったそうだった。なのに反皇帝派の俺らを……お人好しだなあ、お前」
生まれて初めてそんなこと言われた。そのせいか、言い訳みたいな言葉がこぼれ出る。
「……だって、パン屋のおばあさんにはお世話になったし」
戦いの気配を悟ったおばあさんは、ハディスの手を握って心配してくれた。食べておいきとパンをくれた。ハディスはあのパンが好きだ。真似できない、素朴なあの味。
「街のひとだって、たくさん、心配してくれて……」
すまない、ありがとう、頼む、お願い。かけられた声がなぜか今になって、神殿の地下から響く爆音と一緒に蘇る。その音に喰わせていい命ではない。そう思った。
「それに君たちを見捨てたら、きっとお嫁さんががっかりする……」
「お前、嫁さんがいるのか! そりゃあ戻らなきゃいかんな」
「だ、大丈夫だ。お前は命にかえても無事に帰してやるぞ」
命をかけるのか、自分のために。自分の肩を支えているものをハディスは不思議に思う。
「魔術士十六人目、重傷を負わせました! 残りも捜索中!」
「第四部隊の被害、負傷者七十五名、死者は二十六名ほどです!」
自分にかけられた報告に、遅れてハディスは顔をあげる。
「なら動ける者は街に回れ。まだ外ヘの攻撃が続いてる。あっちにも数人いるはずだ」
「はっ」
「サウス将軍を発見したぞ! 無事だ!」
どこからか歓声があがった。ハディスは一息ついて、肩を貸してくれたふたりの背をそっと押した。
「じゃあ、僕はここまでだ。第四部隊もサウス将軍の指示に従って街に撤退しろ」
「ここまでって、パン屋。お前はどうするんだ」
「厄介なのが残ってる。早く撤退しろ、死ぬぞ」
「パン屋」
かけられた声に、ハディスは振り向く。サウスだった。
一日もたっていないのに、無精髭ものびてくたびれた顔になっている。だが、命に別状はなさそうだ。兵に肩を借りているが、自分の足で歩けている。
――ただし、右腕がない。
「話は聞いた。聞きたいことがあってな。まず助けてくれて、感謝する。私を……兵たちを」
ハディスは答えなかった。ハディスや兵たちの視線の先を追ったサウスが、かつて右腕があっただろう箇所に視線を落とし、苦笑い気味に答える。
「最初、一撃目でな。油断をしていたわけではないんだが、相手が大物だった。あれは――クレイトスの南国王だ」
興奮気味だった空気が一気に静まりかえった。ハディスは顎で神殿の出口をしゃくる。
「早く手当てしてもらったほうがいい。破傷風にでもなったら命に関わる」
「南国王の名前に、驚かないんだな。……どうして我々を助けたんだ。パン屋」
責めるような問い詰め方にハディスは顔をしかめる。サウスが左手で拳を握り、何かを決意したように顔をあげる。
「お前は、竜帝だろう!!」
「そうだ、お前が竜帝だ!」
頭上からまっすぐ、魔力の光がサウス目がけて飛んでくる。
サウスの肩を引いたハディスは、そのまま天剣で攻撃を受け止めた。
あちこちに飛散した魔力が神殿の柱を、壁をつらぬき、天井が崩落し始める。兵と一緒に尻餅をついたサウスが啞然とそれを見ていた。
「て、天剣……」
「逃げろ、早く!」
「なぜ……なぜ助ける、我々を!」
そんなことが今、重要か。舌打ちしたいのをこらえて、ハディスは怒鳴り返す。
「いちいちうるさいな、ここは僕の国だ! 守って何が悪い!!」
「正しいぞ、何を壊し何を守るか選べてこそ王!」
攻撃の威力があがり、ハディスの目の前で魔力が爆発した。直撃は回避したが、どこからか飛んできた破片がハディスの頬に朱を走らせる。
「パ、パン屋!」
「いいから早く撤退しろと言っている、邪魔――ッ!」
聞き慣れてきた呼び名に言い返す前に、死角から打ち込みがきた。今度は踏ん張れず、勢いのまま神殿の壁を突き破り、上空に打ち上げられる。と思ったら、即座に上から一撃がきた。
受け止めたが着地はできずに、背中から街の建物の壁にぶつかって、ずり落ちる。
『ハディス。誰か巻きこむのを気にしてたらあいつには負けるぞ』
わかっている。だがまだ街の住民の避難が終わってない。できるだけ周囲に被害を出さず、ジルが竜妃の神器を手に入れるまでこちらに引きつけて、倒すのだ。
(ああ、ほんと妻帯者はつらい)
切った口の中の血を吐き出して、ハディスは立ちあがる。
「さっきのはなかなかいい見世物だった。そう、君の玩具だよ、この国は」
夜明け前の空に、初めて見る男が浮かんでいた。身なりの整った、壮年の男性だ。気品のある顔立ちは王子様然としていた。胸を当てて一礼する様も、優雅だ。
「初めまして、竜帝くん。お会いできて光栄だ。私のことは知ってるかな?」
「興味がない」
素っ気なく答え、天剣を構える。男はおかしそうに笑い、気障っぽく前髪をかきあげた。
「さすが、本物は言うことが違う。だが冷たくされると悲しいな。お互い、生まれたときから因縁の仲じゃあないか」
金髪の前髪の下にあった黒い瞳が物騒に光る。月の光のような金髪に、黒曜石の瞳。クレイトスの王子――兄が必ず持って生まれる色だ。
竜帝の髪と瞳を逆転させた、女神の守護者。
「仲良くしよう。僕は君の代役なんだから」
血のにおいのする風に黒髪をゆらし、金色の目を細めて、ハディスは天剣を振り上げた。




