39
ラーデアから少し離れた村にリステアードは竜をおろした。金目の赤竜――ブリュンヒルデを見た村の人間は好意的で、村にある煉瓦造りの建物をひとつ貸してもらうことができた。兵たちも村の住民もラーデアを気にしているが、今は休憩が先だと言い聞かせて休ませている。
そんな中、大きめのテーブルと椅子があるだけの粗末な部屋で、ジルはリステアードからクレイトス王国の書状に目を通し、互いの情報をすり合わせていた。
ハディスがパン屋になるとラーデアに向かった話を聞いたリステアードは一瞬気を失ったが、リステアードが帝都から出たあとの動きをしっかり説明してくれた。
それをジルはまとめてみる。
「つまりこういうことですか。レールザッツ領に、クレイトスからラーデアを観光したいという貴人の護衛としてクレイトス軍がいたのは本当。そしてレールザッツ公がラーデア領に大量の食料や武器を売りさばいていたのも本当」
「そうだ。ただし、僕のお祖父様――レールザッツ公は、ラーデアの内部情報をさぐるために商人を通じて情報を仕入れさせていた。そうすると、ラーデアでは確かにサウス将軍を含めた帝国軍が集結していたが、クレイトスから竜妃の神器を守るためにきたと住民まで口をそろえて言っていることがわかった。しかも、本当にクレイトスから軍らしきものが我が領にやってきている」
これはどうなっているのか。
三公のひとりであるリステアードの祖父、レールザッツ公は不用意に刺激してはならぬと判断し、詳細がわかるまで帝都への報告を控えた。それを同じようにラーデアを注視していたノイトラール公があやしんだ。そういう流れらしい。
「しかもノイトラール公にはラーデアの補佐官から陳情がいっていたようでな。街を帝国軍が乗っ取っているが、レールザッツ公がそれを支援していて自分は身動きがとれないと。まあこの補佐官は風見鶏で有名で、普通なら誰も耳を貸さないのだが、ノイトラール公はエリンツィア姉上と気質が似て人がよくてな……」
困っているようだし、ひとまず帝都にそのまま報告しておこう。
そういう判断でヴィッセルに話がいき、リステアードが帝都で囚われることになった。
「僕が念のため説明にいったら、驚いておられたからな。だが僕やレールザッツ公への疑いを晴らすため協力を約束してくださった。そもそも狸で有名なレールザッツの動きを把握しているあたりは、さすがの直感なのだが」
「でも一昨日になって突然、レールザッツ領からクレイトス軍が帰国し始めた。この書状で」
机のうえにある書状に、ジルはもう一度目を落とす。机をはさんで向かい合っているリステアードが、溜め息まじりに頷いた。
「クレイトスの国璽が押されているので偽造の可能性は限りなく低いが、一応、君に確認してもらおうと思ってな。王太子の筆跡かどうかわかるか?」
「署名はそうだと思います。書状の文面はロレンスですね」
どちらも見覚えのある筆跡に、ジルは端的に答える。書状の内容は簡単だ。
――ラーヴェ帝国レールザッツ公爵領に滞在している軍はすべて、即座に帰国するよう命じる。なお、ジェラルド・デア・クレイトス王太子の責において、その場にいない者を置いて帰っても不問とする。
「置いて帰っていいのは、ラーデアに観光に行ったっていう貴人のことですよね」
「おそらくは。しかも我々宛にはこうきている」
下に重なった二枚目の書状をリステアードは引っ張り出す。
――軍が出航して以後、ラーヴェ帝国ラーデア大公領内で起こる騒ぎとクレイトス王国とは一切無関係である。処分はすべて、竜帝ハディス・テオス・ラーヴェ皇帝陛下と竜妃ジル・サーヴェル嬢に一任する。
「……これを読んだからリステアード殿下は、置いていかれた貴人――クレイトスからの客人が何かするのだと思ってラーデアにきたのですね」
「そうだ。どう見てもこれは招かざる客人がラーデアで何かたくらんでいる、という警告の書面だろう。しかしそうか、これを書いたのはあのときの従者か……先回りしてくるとは」
偽帝騒乱のとき、リステアードはロレンスと共に行動している。だから、一兎を追って五兎くらい狙うロレンスの性格をわかっているのだろう。
ジルは頷き返した。
「おそらくラーデアで反乱を起こしこちらの国力を削ぐ作戦があったんでしょう。ですがそれをこちらに見破られると看破して、件の客人を切り捨てる方向にしたんでしょうね。てっきり竜妃の神器を狙ってくると思ってましたが……」
「何かあるのは確実だな。まさか和解でもしてくるのかと思うような書状だ」
「え? そこまでですか?」
眉をひそめたリステアードが、二枚目の書状の一点を指した。
「気づかないのか。竜妃と君の名前があるだろう」
「あ、はい……」
「クレイトス王国が君を竜妃と認めた。ラーヴェ帝国はこれを無視できない」
へ、とジルは間抜けな声をあげてしまった。
「竜帝が竜妃だと言っている人間のことを、クレイトス王国が認めた。しかも君はクレイトス出身。刃向かうことはクレイトス王国に物申すのと同じことになる」
「え……じゃ、じゃあわたし……ちゃんと竜妃になれますか!?」
「竜妃になれるもなにも、君は竜妃だ! ハディスが選び、竜神ラーヴェが祝福したときからそう決まっている!」
珍しくリステアードが声を荒げた。忌々しげに書状をにらみ、指でこんこんと叩く。
「それを横から、まるでクレイトスが認めてやろうとでも言いたげに! 何様だ!?」
「あ、なるほど……そういう解釈に……」
「いいか、奴らの承認など関係ないと言うためにも竜妃の神器が必要だ! それを持つ者が竜妃であることはラーヴェ帝国では当然なのだからな」
クレイトスに認められて竜妃が誕生しましたという形では、ラーヴェ帝国として格好がつかないということだ。
「つまり、ラーデアの件はラーヴェ帝国が片づけないとだめってことですよね……」
「そうだ。万が一にも竜妃の神器がなくなったりしてみろ。クレイトスから竜妃を賜ったような格好になる!」
政治にうといジルだが、国の面子に関わることだとは理解できた。同時に、がっくり両肩が落ちる。
「ロレンスはそれも見越してですよね、これ」
「だろうな。ラーヴェ帝国で竜妃が現れたと言いたいなら、面倒事はこっちで片づけろ。もし片づけられなかったら、竜妃はクレイトス王国から賜ったんだと笑ってやる。そういうあからさまな嫌がらせだ!」
さすが、相手の嫌がることを率先してやるが信条のロレンスである。
「でも、やるべきことがわかりやすくていいです。ラーデアを取り戻しましょう。この書状のことをヴィッセル殿下が知ったら、どう出るかもわかりません」
「そうだな。クレイトスから竜妃を賜るのかと煽って君を排除しようとしかねない。まったく内も外も……!」
「何より、この流れでラーデアにいる彼らを反乱軍として処分するのは忍びないです」
ジルの言葉に、肩を怒らせていたリステアードが深呼吸をして頷く。
「まんまと利用されたようだしな。……ハディスがどう判断するかはわからんが」
「陛下ですか?」
「……ヴィッセルのやり方はともかく、結果はいつもハディスに利をもたらしている。だからハディスもヴィッセルを信じているんだろう。あの警戒心の強いハディスが、ヴィッセルだけは疑わない」
悔しさを噛みしめるような口調で、リステアードが視線をさげた。
「あのふたりにしかわからない、何かがあるんだろう。僕にはわからない、何かが」
「リステアード殿下……」
「……どうせ、ろくでもないことだろうがな」
ジルを心配させまいと軽く笑ってみせるリステアードに、ジルも少し視線をさげた。脳裏に浮かぶのはハディスの何がわかると、問いかけるあの目。周囲を糾弾するあの声色。
――そう、ヴィッセルは、未来のハディスに少し似ている。
「わたしもそれはなんとなく、わかります。でも、知ってますか? 陛下はよくリステアード殿下の話をするんですよ」
「想像はつく。文句ばかりだろう」
「はい。今日は兄上がこうしたああした、ひどいうるさい、それはもういっぱい。つい最近まで、陛下はご兄弟の話なんてひとことも口にしなかったのに」
リステアードが少し瞳を見開いた。
「リステアード殿下は陛下にとって、ちゃんとお兄さんのひとりです。ヴィッセル殿下と変わりませんよ」
何やら眉間にしわをよせて苦悩したあと、大袈裟にリステアードは嘆息した。
「あれと僕を一緒にするとはな。まあ、しかたないか」
「そうですよ。陛下はしかたないひとです。ラーデアにパン屋になるって行っちゃうようなひとなんですから」
あれにはヴィッセルも呆然としていた。リステアードがどっと疲れた顔になる。
「まったくだ、あの馬鹿……どうしてそうなった」
「でも、陛下は変わりました。ひょっとしたらラーデアの兵も助けてくれるかも――」
「リステアード殿下、竜妃殿下! ラーデアから伝令の兵が到着しました!」
ジルとリステアードは同時に椅子を蹴って立ちあがる。先に声をあげたのはリステアードだ。
「本物か!?」
「竜妃殿下がつれてきた帝国兵に確認致しました! 元帝国兵で間違いないとのことです。それにあの――パン屋の伝令とも言っておりまして……」
本物だ。リステアードが、机に突っ伏して唸る。
「あ、あの馬鹿は、ラーデアで本当にパン屋をしてたのか……!?」
「でも、陛下ですよ! 今すぐ通せ!」
叫んだジルに兵が敬礼を返す。
――そして伝令から伝えられた内容と作戦に、ジルとリステアードはふたりして机に突っ伏す羽目になった。




