38
空からおりてきたハディスに、おろおろしながら顔なじみの兵が声をかけてきた。
「だ、大丈夫かパン屋……お、お前、魔力があるんだな……?」
ハディスは魔力の輝きを失っていく魔法陣を見つめながら、頷いた。
「うん、ちょっとだけね。それより、さっき街のどこかに攻撃が落ちただろう。助けに行ってあげて」
「わ、わかった。おい、何人かついてこい!」
「な、なあパン屋。あの魔法陣は、何を攻撃してるんだ。外に何かいるのか?」
「対空魔術で街の外にいる竜を攻撃してるみたいだ。方陣が薄くなってきてるし、そのうちあの魔術は消えるだろう。でも、また新しい魔術を組んでくるだろうね」
そんな、と悲鳴じみた声が次々にあがる。
「あんなもので攻撃されたらひとたまりもないぞ!」
「でもあんな大がかりな魔術は相当魔力を消耗する。あの魔術を組んだ魔術士はあと数日はまともに動けないと思うよ」
ジルやハディスのように規格外な魔力量を持っているのなら別だろうが、ひとりで魔術を維持するにも魔力量という限界がある。
「クレイトスからきたのは二十四人だっけ? 城でふたり、この魔術が消えれば三人。ということはあと二十一人だ」
「あ、あと二十一人って、お前」
「大丈夫、物量で押せば対応できる」
ひとりを除いては、という言葉をひそかにハディスは呑みこんで笑ってみせる。さっきの神殿の爆発を起こした魔力、あれだけは桁違いだった。だが、ただでさえ突然の襲撃と魔術を目の当たりにして尻込みしている兵たちに、余計なことを教えて脅えさせても意味がない。
「それより、サウス将軍と合流しよう。魔術士戦はとにかく魔力を消費させるように動くのが基本だ。きちんと作戦を立てて行動すれば勝機は――」
『神殿ハ、我々ガ占拠シタ!』
甲高い声がハディスの声を遮った。
「こ、今度はなんだよ!」
「鳥だ、鳥がしゃべってる!」
「これもクレイトスの魔術かよ!?」
『投降セヨ、投降セヨ! 猶予ハコレヨリ二十四時間!』
木に止まった小鳥が、塀に並んでいた鳩が、街中で飼われている鶏が、一言一句同じように叫ぶ。
『武器ヲ捨て投降セヨ、帝国兵! サウス将軍ハ捕ラエタ!』
『二十四時間以内ニ投降セヌ場合、街ヲ焼ク! 住民モ全テ殺ス!』
大きな動揺が兵たちの間に走った。城門から続く大通りでも、住民が騒ぎ始めている。
『投降セヨ、逆賊ドモ! オ前達ハ袋ノ鼠ダ! 助ケモコナイ!』
『街カラハ出ラレナイ! 投降セネバ全滅! ヒヒヒヒヒヒ』
不気味な笑い声を最後に、鳥たちの首から上が吹き飛んだ。甲高い悲鳴があがり、子どもたちが泣き出す。兵たちの動揺も混乱も止まらない。
「サ、サウス将軍が、捕らえられた……?」
「たす、助けに行かないと! 救出作戦を、まず」
「どうやってだよ! ま、街の住民の避難のほうが先じゃないのか!?」
「無理だよ、外に出られない。ほら、新しい魔術だ」
ハディスが促すと、その先を見た兵たちが悲痛な顔をする。上空の魔法陣は消えたが、今度は街を取り囲むように透明にゆがむ壁が見えた。魔力でできた壁だ。それに向かってハディスは拾った小石を投げてみる。ばちっと音がして、小石が炭になって崩れ落ちた。
街から出ようとしてあれに触れればどうなるか。ためしたい人間はいないだろう。
(ずいぶん手慣れたやり方だな。混乱と恐怖を煽る方法もわかってる)
下手をすれば住民が兵たちに武器を向ける流れだ。しかも、竜妃の神器がある神殿が占拠されてしまった。
「に、二十四時間以内に投降しないと、街がさっきみたいな攻撃で……!?」
「どうするんだよ、サウス将軍もいないのに!」
「静かにしろ!!」
怒鳴ったハディスに、周囲が静まり返った。嘆息して、ハディスは振り返り、全員を見渡す。
「まずは住民は城の地下に避難させろ。あるいは家の地下室に詰め込め。上空からの魔術の攻撃に耐えられる。あとは戦力の把握だ、動ける兵を全員、城に集めろ」
「だ、だけ、だけどパン屋、お前……」
「ぐだぐだ言っている時間があるのか、猶予は二十四時間。それも敵が本当に待つかどうかわからないんだぞ」
「だ、だがサウス将軍もいないのに」
「自分たちで竜妃の神器をクレイトスから守ると豪語したのは、嘘か」
冷たいハディスのひとことに、兵たちが息を呑む。
「結局ゲオルグもサウスもお前たちも、口先ばかりか」
次に兵たちの目に、表情に、反射的な怒りが浮かんだ。反抗する元気はあるらしい。
結構なことだ。嘆息してハディスは腰に手を当てた。
「何をうろたえてる。竜妃の神殿を取り返して、あの軍旗をおろさせればいいだけだよ。帝都からきた軍に逆賊として処分される前にね」
「わ、わかっているように言うがな、パン屋! それがどれだけ……!」
「しかも助けだってきてる」
対空魔術を外に向けてあれだけ撃ったのは、竜で飛んでいる集団があったからだ。
「それとも、命を惜しんで投降するか? サウス将軍だってまだ生きてるだろうに。まあ、このままじゃクレイトスのいいように、反乱軍の首謀者にでもされて終わるけど」
「そ、そんなことはさせない!」
「ああそう。じゃあさっさとその命を有効に使うことに時間と頭を使え。――お前らの大嫌いな皇帝に、馬鹿だと笑って処分されたくはないんだろう?」
笑うハディスに挑むように、兵たちが表情を引き締めた。やるぞ、という声がどこからともなくあがる。
やけくそもまじっているだろうが、このまま士気を維持しなければならない。ハディスもまだ魔力が半分しか回復していない状態で、この街と竜妃の神器を守らねばならないのだ。
ジルがくる前に、街も神器もクレイトスに蹂躙されたなんて洒落にならない。
「なら、伝令を誰かやってほしいんだけど。外にいる助けと連携がとれたほうがいい」
「パ、パン屋……さっきから言う、外にいる助けってなんなんだ」
「竜妃か、リステアード第二皇子じゃない? たぶんだけど」
ざわっとざわめきが広がった。顔なじみの兵が慌てたように言う。
「ど、どどど、どういうことだ?」
「確認が先。ただ、あの魔術の壁に僕の魔力を同調させて外に出すことができても、出たあとも攻撃してくるかもしれない。わかりやすく言うと伝令は死ぬかも」
「は!?」
「僕が一応守るけど絶対は保障できない。で、誰から死んでくれる?」
にっこり笑ったハディスに、引きつった顔で兵たちが唾を飲みこむ。それを見てハディスは表情を消し、舌打ちした。
「使えない連中だな。ならいい、足手まといになる前にここで死ね」
「お、俺がやります!」
「いえ、俺にやらせてください!」
次々挙がった手に、ハディスは肩をすくめた。やるなら早くやる気を出してほしい。
さてどう使っていこうか。考えこむハディスに横からそっと顔なじみの兵が声をかけた。
「パ、パン屋……さ、さっきから気になってたんだけど、その剣ってどこから出てき――ましたか?」
そういえば天剣を出しっぱなしだった。気づいたハディスは、空とぼける。
「さあ。どこかで拾ったんじゃないかな」
『なんだとハディスてめぇ! ここは竜帝だって名乗り出るところだろ!』
「僕はただのパン屋さんだよ」
薄く笑ったハディスに身震いした顔なじみの兵は、そうかとぎこちなく頷き返した。




