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突然のナターリエの申し出に、エリンツィアが顔をしかめた。
「そうしたいのは山々だが、私までここを離れてしまってはお前たちが」
「大丈夫よ。ね、フリーダ」
顔を出したフリーダがこくりと頷いた。
「大丈夫……ジルおねえさまから、お守り、かしてもらったの……」
「おいそれってまさか今持ってるそのハディスぐ」
「見ないふりしなさいよジーク! アタシたちは何も見てないわ!」
何やら騒がしい竜妃の騎士たちは放っておいて、ナターリエはエリンツィアを見あげる。
「ここで兄弟喧嘩を始められるほうがよっぽど迷惑よ。お互い譲るってことをしない馬鹿兄たちでしょ」
「……それはそうだが。私の言うことなどあの子たちが聞くかどうか」
「なら殴ってでも止めるのよ。エリンツィア姉様は一番上なんだから、鉄拳制裁よ」
誰にでも優しくて情け深い異母姉は、実は強いのだ。少なくともヴィッセルとリステアードあたりは本気を出せばのされるだろう。
過激な異母妹の発言に、エリンツィアはまばたいたあとで、自分の手をにぎったり開いたりしながら見つめる。
「そうか……そうだな。私にたりないのはそれかな」
「そうよ。私たちの分までやっちゃって」
その手を握ると、エリンツィアが笑い返してくれた。
「わかった。……だが、ハディスの命令で竜が飛んでくれないんだ。これではどうにも動けない」
「下位竜まで伝わる命令なら、そんなに複雑なものじゃないはずよ。下位竜は地名を覚えるとか複雑なことができないもの。ラーデアに飛ぶな、なんて命令はできないはず。しかもノイトラールからきた竜が飛んでくれるなら何か穴が……ねえ、竜たちはどんな様子なの?」
エリンツィアが目をぱちぱちさせながら答える。
「そうだな。竜騎士団の竜は乗ろうとすると舎から逃げ出してしまう」
「たとえば城下町の、商人が使う荷運びの竜なんかはどう?」
「飛ぶ。ただし、竜騎士団や帝国兵を見ると逃げてしまってな……」
「なら、乗せる人間を兵かそうでないかで判別してるんだわ。でもどうやって見分けて……」
ナターリエと一緒に考えこんでいた竜妃の騎士のひとり、カミラがふと顔をあげた。
「……ノイトラールからの急使って、竜騎士よね?」
「ああ、普通に考えればそうだと思う」
「なら軍服で見分けてるんじゃない? ノイトラールの竜騎士なら軍服が違うでしょ」
「それだと私や君たちまで逃げられるのはおかしい。私たちは帝国兵の軍服を着ていない。ヴィッセルが連れてきた兵たちも、帝国兵の制服の支給が間に合ってない者も多い」
エリンツィアの指摘にナターリエも同意する。軍服といってもサイズの違いや階級によっては細かい違いがある。そんな細かい部分まで下位竜は覚えられない。
(でも、いい線はいってるはず)
ナターリエはエリンツィアと竜妃の騎士だというふたりの格好を見比べる。見つけるのは違いではない。共通点だ。そう考えて、はっとした。
「……わかった、腕章! 帝国軍の紋章よ!」
軍旗にも使われている、竜の意匠だ。臨時的にその意匠が入った腕章を、エリンツィアもジークもカミラも左腕につけている。制服を支給されていないヴィッセルに連れてこられた兵たちも同じものをつけている。
「下位竜だって形くらいなら覚えるわ。その意匠を身につけた人間を乗せて飛ぶな。そう命令されているとすれば……」
「腕章をはずせば飛ぶ。――ためしてみよう。行くぞ、カミラ、ジーク」
「え、アタシたちもなの!? まだ飛べないわよ無理よ、見たでしょこないだの無様な姿!」
「実地訓練だ! 飛ばないと死ぬと思えば飛べる!」
「本気で言ってんのか!?」
「ラーデアに竜妃の騎士がいないと格好もつかないだろう!」
問答無用でエリンツィアがジークとカミラの襟首をつかんで引っ立てていく。行動すると決めたらこの異母姉は早いのだ。だがふと足を止めた。
「ありがとう、ナターリエ。フリーダ。いってくるよ。あとはまかせた」
振り向いた異母姉に、フリーダと顔を見合わせてから、笑顔を返す。
「いってらっしゃい。まかせて」
「みんなで……帰ってきてね」
「もちろんだ」
頼もしい返事と一緒に、わめくふたりを連れて姉は城の奥に姿を消した。ふうっと嘆息してから、ナターリエは自分のひどい格好を思い出す。
「やだ、湯浴みして着替えなきゃ示しがつかないわ。皇女なのに」
「ナターリエおねえさま……何かいいこと、あった?」
手をつないだフリーダが小さく尋ねる。ナターリエは顔をしかめた。
「いいことなんてあるわけないじゃない。ひどい目にあったわよ。でも――少しだけ、自信ができたわ。私も皇女、ちゃんとできるみたい」
大きな目をまん丸にしてから、フリーダが口元をほころばせる。
「……うん。おねえさまは、素敵だもの……」
「ありがと。なら、できることをやらなきゃね。戻ってきた竜妃陛下とお茶会ができるように、根回しをしないと」
わかりやすくフリーダがぱっと顔を輝かせて、こくこくと頷いた。
「そういえばお守りってなんなの?」
「あの、あのね……くまさんのぬいぐるみと、鶏さんなの……」
「何よそれ? あの竜妃、ほんとにわけわかんないわね」
助けてやらないといけない。竜妃も、兄たちもだ。
小さな妹の手を引いて、ナターリエは少し胸を張って歩き出した。
■
「帝国兵は精鋭ぞろいだと聞いていたのだが、こうもあっけなく神殿が落ちるとは」
規則正しく石造りの廊下を歩きながら、男はつぶやいた。
小さな神殿だった。手入れこそされているが、造りも華美ではない。いくつもの石柱が高い天井を支えているが、それだけである。なんでも、普段は司祭や巫女はおろか警備も配置されていないのだとか。となると、たどり着くまでに誰何する兵がいただけにぎやかではあったのだろう。
今はごろごろと転がる帝国兵の死体と血が、粗末な床を彩っている。
「ええ、ルーファス様。この日のために私めが準備を進めて参りましたので」
うしろからついてくる猫背の男が粘ついた口調で答える。名前は覚えていない。確か、ラーデア大公の補佐官だ。竜妃の神器と引き換えにクレイトス王国に亡命を願った売国奴。
(醜い)
殺してしまおう。そう決めた瞬間に、右腕を動かした。にやついた笑みを貼り付けた顔が半分、綺麗に切れて転がる。
突然絶命した案内人に、つれてきた兵たちは見向きもせず、必要なことだけを尋ねてくる。
「×印をつけたラーデアの軍旗を掲げました。あとはいかがなさいますか」
「もちろん、竜妃ちゃんを待つに決まっている。ああ、竜帝くんでもかまわないがね」
「帝国軍は皇太子が牛耳っているとの情報が入っております。くるでしょうか」
「なぁに、待つのに飽きたら帰るさ。外形はラーヴェ帝国の内乱だし、優秀な息子も怒りはしないだろう。ああ、雑魚の処分はまかせたよ」
死体を一瞥すらせず、祭壇に辿り着いた男は、説教台らしきものに腰をおろして微笑む。
「そもそもあの子だっていけない。竜妃なんてものを内緒にするなんて」
「本物でしょうか」
「それを確かめにきたんだよ。まあ最悪、ここで開戦してしまってもいい。息子は大変だろうが、いつだって父親の尻拭いをするのは息子の仕事だ」
かつて自分がそうだったように。
笑う男に、フードをかぶった魔術士たちが跪く。
「あなたのお心のままに、ルーファス・デア・クレイトス国王陛下」
「今はお忍びだ。気軽に南国王と呼んでくれ」
長い足を組み、金の前髪を指ではらって天井を見あげる。
ここは理と空の竜神ラーヴェの治める国。
その空から奪った色の衣装をまとい、男はにっと笑った。