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「ゲオルグ様は、ラーヴェ皇族を僭称するあなた方とこの腐りきったラーヴェ帝国を守ろうとしたんです。クレイトス王国とハディスからね」
嘲笑から一転、無表情でヴィッセルが告げる。
「自分が負けたあとのことも当然、考えていたはずです。もちろん、作戦とも呼べないお粗末なものでしょうが、その遺志に従って帝国兵は動いている。忠義に厚いことだ」
「じゃあ、ラーデアにいる帝国兵は何をしてるんだ。ラーヴェ皇族を守るためというなら帝都にいなければならないだろう」
「知りませんよ、そこまでは」
興味がないのか、雑にヴィッセルは答える。だが、エリンツィアは食い下がった。
「だが、お前になら想像がつくだろう」
面倒そうに眉根をよせたヴィッセルが口を動かす。
「……そうですね。竜妃の神器でも守ってるんでしょう、クレイトスに渡すまいと」
ぽかんとしたエリンツィアに理由を尋ねられる前に、ヴィッセルが続ける。
「ラーデアで叔父上の補佐をしていた輩がクレイトスと通じているという噂が前々からありました。自分が負けたあと、そいつがハディスの処罰を恐れてクレイトスにおもねる可能性は高いとみてたはずです。竜妃の神器は格好の手土産でしょう」
「そ……それが本当なら帝国軍がやっていることは反乱ではないだろう! それをお前」
「勝手にラーデアに集結し、占拠し、武器を取り、クレイトスと戦おうとしている。こちらの命令はきかない。放っておけば彼らはラーデアで自治権を要求するか、軍事政権でも樹立させるでしょう。クレイトスと戦うためと謳ってね。反乱と大差ありませんよ、そんなもの」
「そうかもしれないが、国を守るつもりなら和解できるはずだ!」
「彼らが忠義を向けているのは叔父上だ。ハディスではない」
エリンツィアが批判を呑みこんだ。誰も、声をあげられない。
「そもそも彼らにとってハディスは自分たちの主君を討った怨敵です。和解などありえないでしょう。そして叔父上から散々聞かされているはずですよ。一度でもハディスに刃向かった軍など、私が許すはずがないとね。だから帝都から逃げ出した、所詮その程度の輩だ」
「……お前と叔父上は、仲良くやっているものだとばかり……だから、お前も叔父上の娘と婚約したのだと」
呆然としているエリンツィアの感想は、皆も同じだった。だがヴィッセルは笑い飛ばす。
「一度も会ったこともなければ興味もありませんよ、婚約者殿なんて。私はハディスのためにフェアラート公の力がほしかったですし、叔父上はハディスを押さえ込むため私を取りこみたがってましたから、利害が一致していただけです」
ナターリエの手をぎゅっとフリーダがにぎった。なんとも言えない顔でエリンツィアが静かにヴィッセルに尋ねる。
「……ハディスは知っているのか。帝国軍がラーデアに集まった理由を」
「話してありますよ」
当然とばかりに言い放ったヴィッセルに、エリンツィアがほっとした顔になった。
「そうか。……だからハディスは、帝都を出たんだな」
珍しくヴィッセルが返事に詰まった。そこへ、城の奥から兵が駆けてくる。
「ヴィッセル皇太子殿下! ノイトラール公より急使の竜が参りました、ラーデアが蜂起したそうです!」
ヴィッセルは動揺も見せず、冷静に尋ね返す。
「そうか。既に出した兵がラーデアに到着するまでは?」
「途中、ノイトラール公に竜をお借りできれば、半日というところです」
「ノイトラールからきた竜は飛べるのか」
「はっ! 我々が近づくと逃げようとしますが、ノイトラールからの乗り手が乗る分には問題ないようです。ですが、一頭だけですし休息が必要です」
「わかった。では準備ができ次第、私が出る。――ということです、エリンツィア様、ナターリエ様、フリーダ様」
ヴィッセルがそれぞれの皇女の顔を見つめて、低い声で告げる。
「これ以上、ハディスの敵を増やすような真似はお控え頂きたい」
「私はハディスの味方だ」
言い返したエリンツィアに、ヴィッセルは鼻を鳴らした。
「言葉だけではないことを願いますよ。では失礼します」
静かに踵を返して、ヴィッセルが城の中へと入っていく。エリンツィアが嘆息した。
「……私の弟たちの中でも格別に厄介だな、あの子は」
「おい、あの皇太子を弟扱いするのか。敵だろう、どう見ても」
「そうとは言い切れない。あの子は――」
「あいつも幼女趣味の皇帝も、叔父様にも誰にも守ってもらえなかったのね」
ナターリエが初めて気づいたことに、皆が黙りこんだ。
クレイトス王国とハディスから、ラーヴェ帝国とナターリエたちを守るために、叔父は遺志を遺した。その中に、ヴィッセルとハディスのふたりは入っていない。あのふたりの得体の知れなさや性格の悪さを考慮すれば当然かもしれない。けれど、最初にあのふたりを敵視したのはどちらだったかといえば、きっと自分たちのほう――自分の親たちだろう。
「結果だけみたら、あいつは皇帝の敵を潰して回ってるもの」
ただし、一切の容赦はせずに。ナターリエの言葉に、エリンツィアが視線をさげる。
「そうだ、ナターリエ。ヴィッセルはな、やり方はともかくハディスの味方なんだよ。私たちよりも、はるかに昔から」
文句を言おうとしていた竜妃の騎士たちも黙ってしまう。
「でも……皇帝はラーデアにいる帝国兵を助けるつもりなんじゃないの? だからひとりでラーデアに向かったんじゃ……」
ナターリエの質問に、エリンツィアが頷く。
「おそらくそうじゃないかと思う。ハディスは変わったから。だが、ヴィッセルは認めないだろう。……あの子はずいぶん、ここで苦労したからな。ハディスがくる前も、きたあとも」
周囲は味方の顔をした敵ばかり。隙を見せればすぐ裏切られる。そんな中で皇帝の冠を戴いた弟と、皇太子になった兄。そこにはどんな会話が、葛藤が、絆があるのか、ナターリエたちには知りようもない。――けれど。
「だからって、放っておいちゃだめよ」
ナターリエの言葉に、エリンツィアが顔をあげた。
誰も信じられない。頼れない。自分しか。その感覚はナターリエにもよくわかる。ナターリエも庇護を失った皇女だったからだ。もしフリーダやエリンツィアがいなかったら、同じようになっていたかもしれない。
そう思うと、なんだか腹が立ってきた。
「エリンツィアお姉様、お願い。ラーデアに向かって」