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帝城に戻ったナターリエを待っていた出迎えの言葉は、おかえりでも心配したでもお叱りでもなかった。
「よくやった」
ぼろぼろで臭いもひどいだろうに、ためらいなく強く抱きしめられた。
ナターリエの胸の奥から何かがこみ上げてくる。それを誤魔化すために、わざとそっけなく言った。
「お、大袈裟なのよエリンツィア姉様は。ちょっと捕まったくらいで」
「そんなことはない。よくやってくれた。私ではできなかった。お前とフリーダにしてやられてたときのヴィッセルの顔と言ったら!」
それはちょっと見てみたかったかもしれない。
「お前は、勇気のある子だ」
ノイトラール公というラーヴェ帝国でも大きな後ろ盾を持ち、本人も精鋭の竜騎士団を率いるエリンツィアに手放しで褒められると、恥ずかしくなってしまう。答えられずもじもじしていたら、回廊の奥から転がるような勢いでおとなしい異母妹が駆けてきた。
「ナ、ナターリエ、おねえ、さま……っ!」
「フリーダ」
「ご、ぶじで……よかっ……よかっ……!」
感極まったのか、くまのぬいぐるみを抱きしめて泣き出してしまった異母妹の前に、ナターリエは膝を突く。
「大丈夫だって言ったでしょ。泣かないの、フリーダ」
「お、おねえさま、も、泣いてる……っ」
「え、うそ」
慌ててナターリエは自分の頬に手を伸ばすと、指先が濡れた。どうりで、やたら視界がかすむと思った。苦笑いが浮かぶ。
「それでもよ、泣かないの。――私たちは、皇女なんだから」
ひくっと喉を鳴らし、涙で濡れた目をフリーダがあげる。言葉にならない想いをこめて、力一杯抱きしめると、小さな手で抱きしめ返された。
エリンツィアがナターリエをここまで送り届けてくれた竜妃の騎士たちに向き直る。
「ご苦労だったな、ジークにカミラ」
「いえいえ。名誉な役割だったわよ、皇女さまの護衛なんてね」
「竜に乗るよりはな。馬だからな」
「それで、ジルはどうした。ローは?」
低くなったエリンツィアの言葉は軍人のものだ。邪魔をしてはいけないと、フリーダとふたり黙って会話を聞く。
「ローちゃんはジルちゃんが連れてったわ。ラーデアに向かうために」
「やはり竜の王の命令ならば飛んでくれるか。こっちはまだ竜が逃げ回ってどうしようもない」
「隊長に追いつくのは無理だな。そういや、フェアラート軍の動きが気になったんだが」
身長の高い、大剣を使うジークのほうは、ヴィッセルがつれてきた軍を帝国軍とは呼びたくないらしくフェアラート軍と呼ぶ。
「帝国軍の潜伏場所をさがしもせず、まっすぐ南下してったぞ。どういうことだ」
「それは、ラーデアに向かったからですよ」
柔らかい声に、その場の全員が振り返った。
「おかえりなさいませ、ナターリエ様」
まるで臣下のような言い方だ。呼びかけられたナターリエは立ちあがり、淑女の礼をする。
「……ただいま戻りました、ヴィッセル皇太子殿下」
「ヴィッセルでかまいません。兄でも皇太子でも、皇女殿下にはご不満のはずだ。だからこそ人質にまでなってまで、私の邪魔をしたかったのでしょうし」
印象的には優しそうな異母兄だが、その目は底冷えするように冷ややかだ。
「だが皇帝陛下の邪魔をするというなら話は別です。以後、お気をつけください」
ナターリエの横にいたフリーダが、うしろに隠れてしまう。嘆息したエリンツィアが、ナターリエたちの前に出た。
「ヴィッセル。お前の出した軍がラーデアに向かったというのは、どういうことだ」
「ああ。ラーデアの蜂起に間に合わせるために出兵させました。ハディスの迎えもちょうど必要でしょう。竜が使えないとなると、進軍にもいつも以上に時間がかかるので」
「……備えは必要だが、まだラーデアが蜂起するとは限らないだろう」
苦い顔のエリンツィアに、ヴィッセルが嘲笑を浮かべる。
「相変わらず甘い御方だ。ラーデアは蜂起しますよ、必ずね」
「なぜ言い切れる」
「あなたが仕込んだからよ、そうでしょう」
思わず口を挟んだナターリエにもヴィッセルは眉ひとつ動かさず、笑顔で答える。
「違いますよ。これは叔父上の策です」
思いがけない答えに惚けたナターリエたちの顔が面白かったのか、ヴィッセルが小馬鹿にするような笑みを浮かべた。
「ゲオルグ様は、自分がハディスに討たれてしまったときのために帝国兵に命令を出していたんですよ。ラーデアに集まっている帝国兵はそれに従って動いているんです」
「そんな……馬鹿な」
「ではなぜ帝国兵がお行儀良くラーデアに集結できたと思うんです? あらかじめ指示が出ていなければ不可能だ」
ヴィッセルのいうことは筋が通っている。
「な……なんて、おじさまは、めいれい……したの……?」
そっとフリーダがナターリエのうしろから顔を出して、尋ねた。ヴィッセルは一瞬さめた目をしたが、答えた。
「さあ、私はゲオルグ様に最後、とばされたので。ですが想像はつきますよ。あの方が守ろうとしたものと、ラーデアでの行動を考えれば」
「叔父様が守ろうとしたものですって?」
眉をひそめたナターリエを、ヴィッセルが嘲笑した。
「ご自覚がないとはゲオルグ様も報われない! あの反逆者が守ろうとしたのは他ならぬあなた方でしょう」
ナターリエはフリーダと一緒に息を呑む。エリンツィアが両の拳を握った。




