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ラーヴェ帝国は、国境であるラキア山脈に接して北からノイトラール領、ラーデア領、レールザッツ領と並んで防衛線をはっている。真ん中のラーデアはラキア山脈に接する面こそ多くはないが、左右の領に軍を展開することもできる重要な拠点だ。
その都市は初代竜妃が防衛拠点を築いたことから始まったため、竜妃の直轄地になった。
とはいえ、竜妃は竜帝が現れたときにしか現れない。そのため、ラーヴェ皇族が代理で治めるのが慣例になっている。最近までそれがゲオルグ公だった、というわけである。
竜妃の直轄地、女神クレイトスと戦うためにあるというその場所には、竜妃の神殿がある。そこに竜妃の神器が祀られているのだ。
詳細はナターリエでも知らないという。竜妃が現れない限り顕現しない神器であり、顕現しても神殿に封印されて動かせず、竜妃が持つ指輪がないと使うこともできないのだとか。そこまで条件が重なると、確かに記録は残りにくい。
(でも竜妃の指輪って金の指輪のことだよな! しかも対女神のための神器ならきっと武器!)
今は魔力を封じられている関係で見えないが、ラーヴェの祝福としてもらったことは記憶に新しい。俄然、信憑性は増した。となれば、ジルの足取りは軽くなる。
「剣かなー槍かなーナックルかなー銃でもいいな!」
「うぎゅ……」
るんるんのジルの前にちょこんと乗っているローは何か言いたげだ。雲の上を飛ぶ竜は綺麗に隊列を組んで飛んでいる。帝国兵は誰しも竜で飛ぶ程度ならできる技術があるらしく、ローにそこら中の野竜を集めてもらって飛行を始めて四日目、混乱はない。
(だが速度が出せないからな……陛下からもう十日近く遅れての到着になる)
幸いなのは、ヴィッセルが帝城にいる竜を使えないことだろう。いつまで竜がハディスの命令をきくのかわからないが、ジルたちを追いこすのは不可能だ。
ナターリエはジークとカミラに預けて別れた。あのふたりならきっとうまくヴィッセルの軍を迂回して、エリンツィアのもとまでナターリエを送り届けてくれる。
これで竜妃の騎士がナターリエ皇女を助けたことになり、竜妃がラーデアの蜂起をふせぐためにナターリエを守った帝国兵を率いて向かったという体裁は整った。
あとはハディスと合流して、竜妃の神器も手に入れれば完璧だ。
「陛下もそんな大事なものがあるなら、早く言ってくれればよかったのになんで――あ、ひょっとして金の指輪がまだ戻ってないから? ってことはまだ顕現してないとか、使えない可能性も……陛下を縛りあげられないじゃないか!?」
「うぎゅ!?」
「隊長」
ジークの呼び名を真似ることにしたらしい兵が、竜で並行して飛びながら呼びかける。
「ラーデアの都市はもうそろそろです。野性の竜を繋ぐことは難しいですし、郊外でいったんおりて徒歩で入ったほうがよいかと」
「そうだな。ロー、頼めるか?」
話が変わってほっとしたのか、きゅっと可愛く鳴いたローの声に合わせて綺麗に竜が高度を落とす。おお、と感動する声があがった。
「すごいな。一流の竜騎士団になったみたいだ」
「帝国兵は全員、竜を扱えるんだろう?」
ジルの疑問に兵たちが笑って答える。
「全員、持ち竜のない歩兵でしたので。しかもどちらかといえば後方部隊でしたし」
「そうなのか。まあ、竜に頼りすぎるのもよくない。クレイトスでは竜をひとりで撃墜できて一人前だし」
「ははは、ご冗談を――」
笑い声を遠くの爆音が遮る。ぴくりとローが顔をあげ、竜がその場で急制動をかけた。同時にジルも感知したものに背筋を正す。
(なんだ今の、尋常じゃない魔力!?)
遠いラーデアの街の上空に、魔法陣が浮かんだ。ぎょっとしたジルたちの目の前で、街に魔力の矢が降り注ぐ。街のあちこちから煙があがるのがはっきり目視できた。
「なんだ、なぜ街が攻撃されてる!?」
「今のはクレイトスの魔法陣じゃないのか!? クレイトスが本当に攻めてきたのか」
「そんなはずは」
言いかけてジルは口をつぐむ。そんな戦いはジルが知る歴史にはなかった。あったとしてももっと先、クレイトス王国とラーヴェ帝国が開戦したあと、今から一年以上先のはず。今はまだ開戦していない。宣戦布告もされていない。
だが既に色んなことが変わっている。ジルの知らない戦いが起こっても、おかしくはない。
「隊長、軍旗が! 竜妃の神殿の上に……!」
その答えを示すように、街の東側、煙をさえぎるようにして軍旗があがった。
ラーヴェ帝国軍の軍旗――かつてジルも敵側で見たものだ。黒地の布に深紅の糸で描かれた竜の意匠。
それに大きく、×印をつけたもの。
もくもくと煙をあげる荘厳な建物の一番上に、それが掲げられる。
誰ともなくつぶやく。
「まさか、反乱……蜂起したのか!?」
「……ッロー、くるぞ!」
「うきゅっ!?」
いきなり急上昇した竜に誰かが悲鳴をあげたが、かまってなどいられない。街を取り囲んだ魔法陣がこちらに照準を合わせたのだ。
「うきゅう、うきゅー!」
縦横無尽に飛んでくる魔力の光線から逃げるべく、ローが目を閉じて必死に何やら念じている。おそらく竜に命令を送っているのだろう。だがひとを乗せる訓練などされたことがない竜だ。攻撃をよけようと体勢をひねった竜から、幾人か兵が落ち始めた。
舌打ちしてジルは鞍に結んでいた命綱を引きちぎる。だがジルが鞍から飛び降りる前に、竜騎士が落ちた兵を横からすくい上げるように拾い、攻撃をよけながら竜が飛んでいった。
「街から離れろ、距離をとれ! 竜を狙う対空魔術だ、射程外にいけば攻撃してこない!」
背後から聞こえた声に、ジルは驚いて振り向く。
綺麗に隊列を組んだ竜騎士たちの先頭にいるのは、よく知る顔だった。
「貴様ら、腐っても帝国兵だろう! 竜にばかり頼らず自分で飛べ!」
「リステアード殿下!?」
名前を呼んだジルに一瞬リステアードは驚いた顔をしたが、すぐに指示を飛ばす。
「作戦変更、いったん退避だ! 地上におりる」
「このまま街を放っておいていいんですか!?」
「いいわけがないが、君がつれてきたのは竜騎士ではないだろう。あれではただの的だ!」
リステアードの懸念通り、撃ち落とされているのはジルがつれてきた兵たちだ。竜はよけているのだが、人間がその動きについていけずに落ちている。ローへの負担も大きいだろう。
「それに、僕の読み通りなら時間はまだある。ヴィッセルが帝都から軍をつれてくるまでは膠着するはずだ」
「ど、どういうことですか」
「あくまでラーヴェ国内の反乱であるという体裁を掲げるためだ。奴らの軍旗を見ろ」
黙ったジルを誘導するようにリステアードが先を飛ぶ。
「クレイトスから書状も届いている」
「は!? どうしてクレイトスから!?」
「話せば長くなる。お互い、情報をすり合わせる必要があるだろう」
射程外に出たところでジルはうなずき、深呼吸をしてからわずかに振り返った。
魔法陣に囲まれた街がどんどん離れていく。あの街には、ハディスがいるのに。
「きゅう」
射程外に出たことで余裕が戻ったのか、ローがすり寄ってきた。心配するなと言いたいらしい。苦笑いしたジルは、ほとんど意味のない手綱を握り直して気を取り直す。
(……大丈夫だ、きっと、陛下なら)
勝手に出て行ったのだ。無事でいないと許さない。
今必要なのは、それくらい信じられる強さだった。
いつも読んでくださって有り難うございます。
平日更新、土日休みなので明日明後日はお休みです。また来週、宜しくお願い致します~!