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最後のひとりを蹴りでどこぞの部屋に叩き込んだジルは、何やら長い机の上に着地してからはっとした。
正面にはハディスがいる。その隣はエリンツィアがいて、両脇にはいかにも偉いひとですというような、しかつめらしい顔の男性たちが大勢椅子に座っていた。
(あれっなんかまずいところに飛びこんだんじゃないか、わたし!?)
帝城は広すぎてまだ把握しきれていないのが災いした。こういうときはまず報告だ。びしっとジルはハディスに敬礼する。
ここが帝城のどこだろうが、一番えらいのは皇帝のハディスに決まっている。
「突然の乱入、失礼致しました! 賊を捕縛中でして――あ、でもご安心ください、周辺ではこいつが最後のひとりです! それ以外は全部叩きのめしました! 討ち漏らしはあるかもしれませんが、八百すぎたくらいで数えるのやめちゃったので正確な人数がわからず」
「は、八百……? お、おい、帝城に入った兵の数は?」
「よ、四千だ。帝都の外にまだ倍は待機させているが……フェ、フェアラート軍が、こんな少女相手にほぼ全滅……?」
「まさか。冗談だろう!」
ざわっと周囲がざわめく。何やらまずいことをしたのかもしれないと、ジルは慌てた。
「あの、でも、全員気絶してるだけです! 骨とか折りましたが綺麗にくっつくはずです。ほんとです、陛下。突然襲われて、これは応戦せねばと」
「わかってるよ、君は正しく防戦しただけだ」
ハディスに優しく言われて、ほっとする。
「でも無茶はだめだよ。怪我はない? ジル」
「大丈夫です! それで……あれっリステアード殿下。何してるんですか?」
どういう状況なのか、おとなしく兵に囲まれているリステアードの姿を発見した。先ほどまで追い回していた兵たちと同じ制服を着ていることにはっとして、ジルは身構える。
「陛下、リステアード殿下が捕まってる気がします! 敵の侵入を許したのですか?」
「うーん、君はどう思う?」
ハディスがいたずらっぽく笑っている。なんだか楽しそうだ。何やら場違いなところに空気を読まずに飛びこんだ自覚はあるので、気まずい気分になる。
「なんでそんなに楽しそうなんですか、陛下……」
「僕のお嫁さんは可愛いしかっこいいし頼りになるなあって」
「ほ、ほめたっておかえりのキスは仕事が終わったあとですよ!」
「ハ……ハディス、ジル……空気を……空気をだな……」
何やらエリンツィアが唸っているところに、笑い声が響いた。リステアードの声だ。
「安心したまえ。僕は捕まってなどいないよ、ジル嬢。ああ、捕まってなどなるものか」
「えっじゃあ何してるんですか」
「何、今後についてお話し合いをしていただけだ。ヴィッセル皇太子殿下とね」
その名前と視線の先にいる人物にびっくりしてしまった。だが言われてみれば確かにその姿に覚えがあった。
灰が降り積もったような髪の色と月に似た瞳はとても穏やかで、とても争いには向かなさそうだ。長衣のローブを羽織っているからか、皇太子というより司祭だとでも言われたほうがしっくりくる。
「決めたぞ、ハディス。僕はレールザッツ公爵領へ向かう。なんなら僕がその入り込んだクレイトス軍とやらを排除してやろう。それで文句はあるまいよ」
すっきりした顔でそう告げたリステアードに、なぜかヴィッセルが眉をひそめた。
「フリーダ様を置いておとなしく帝都を離れると?」
「ああ、そうだ。それが貴様の望みなのだろう。のってやる。フリーダは立派な皇女だ。ハディスだって大丈夫だ。そうだろう」
「そう言ってるじゃないか。リステアード兄上は心配性なんだ」
「なら、これで僕の疑惑に関する話は終わりだ。――僕を誰だと思っている。不敬だ、どきたまえ。これから帝国軍を名乗るというのならな」
リステアードににらまれ、兵のひとりが槍先を引く。ふんと笑ったリステアードは、不意にまっすぐジルを見た。
「竜帝を頼んだぞ、竜妃」
「あっはい!」
事情はよくわからないが、もとよりそのつもりだ。ジルは背筋を伸ばして請け負う。満足げに笑ったリステアードはそのまま踵を返し、出ていってしまった。
(なん、なんだろう……帝国軍って、フェアラート軍のことを言ってるのか?)
賊じゃないのか。ちょっとよくわからなくなってきた。
「追え、ひとりにするな」
「は……はっ」
ヴィッセルに命じられて、リステアードのあとを兵たちが何人か追いかけていく。
「そうそう、ヴィッセル兄上。改めて紹介するよ」
立ちあがったハディスが説明もなくジルを抱きあげる。
こんなところで非常識ではないかと思ったが、状況がわからないので、ジルはされるがままになるしかない。
「彼女が僕が選んだお嫁さん。竜妃だ」
しんと静寂が広がったので、そういう演出が必要なのだろう。
とりあえず、きりっとしておいた。ハッタリは大事だ。
「ところで彼、この間帝国軍をやめた兵じゃないかな? 見覚えがある」
ジルが床に転がした賊を見て、ハディスが言う。エリンツィアがまばたいて気絶している賊に近づいた。
「確かに、私も顔に見覚えがある。……フェアラート軍に転職していたとはな」
「えっ? じゃ、じゃあまずいかもしれないです陛下! わたし、ナターリエ殿下とフリーダ殿下に帝国軍を頼るよう言ったので……!」
もし、帝国軍のふりでもされていたら誰が敵で味方かもうわからない。しかもローまで預けてしまっている。青ざめたジルを抱いたまま、ハディスがヴィッセルに目を向ける。
「まずナターリエとフリーダをさがす。それでいいね、兄上。話はあとだ」
「……しょうがないね。なかなか予想外なお嬢さんのようだし、色々考え直そう」
意味深にジルを一瞥して、ヴィッセルがふわりと音もなく先に歩き出す。
どこか浮世離れしたその足取りが、ハディスに似ている気がした。




