18
限界まで眉間にしわをよせたリステアードが先に口を動かした。
「……いったいなんの話だ」
「どっちの兄上が僕のそばにいるべきかって話なのかなと」
「そうかもしれんが、場の空気を読め! 大体、お前は」
「リステアード兄上、うるさい」
「説教の前に文句を返すな、聞け! 僕をうるさくさせてるのはお前だ!」
「リステアード様を兄上と呼ぶようになったんだね、ハディス」
静かなヴィッセルの確認に、リステアードが口をつぐんだ。
奥の自分の席に足を向けながら、ハディスは尋ね返す。
「だめかな?」
「……ただの確認だよ。彼とは血がつながっていないと知ってなお、本気で兄として受け入れる気なのかと、少し意外に思っただけだ」
「やっぱりヴィッセル兄上は知っていて、僕に黙っててくれたんだね。ありがとう」
自分で椅子を引き、自分で椅子に腰かける。そうすると、エリンツィアが小走りにそばによって小さく尋ねた。
「どうするんだ、ハディス。ラーデアにレールザッツ……リステアードもだ」
「うーん。そうだな、ラーデア領の反乱が本当なら困るね。あそこは本来、竜妃が治める自由都市だ」
帝室から代理の領主を出せるのは『竜妃がいないときのみ』と定められている。故に、ゲオルグが討たれたあと、次の領主を決められなかった。ジルがいるのに代理を出すことは、ジルが竜妃でないとハディスが公言することになりかねないだからだ。
(できればジルが竜妃になる道筋がつくまで、有耶無耶にしておきたかったんだけど)
『そうはいかねえよ、ラーデアだ。竜妃の神器があるんだろ』
眠るといったくせに、ちゃっかりやり取りを聞いていたらしいラーヴェから指摘が飛ぶ。まったく、竜は竜の理屈を、人間は人間の理屈を押しつけてきてややこしい。
だが、それをおさめてこそ竜帝だというなら受けて立つしかない。
「でも今は、竜妃がいる。ならまず、彼女の判断をあおぐべきじゃないかな?」
ハディスの判断に、周囲が顔を見合わせる。ヴィッセルが苦笑いを浮かべた。
「まさか、お前が言う竜妃とやらにラーデアの鎮圧をまかせる気なのかな? 確かに、竜妃だと名乗るならそれが筋だけれどね」
「いいね、それ」
ジルならやってのける。そうすればもう、ジルを竜妃として送り出した手前、あとからジルを竜妃ではないなどとは誰も言えなくなるだろう。
にこやかに頷いたハディスに、ヴィッセルが笑顔を消した。それはよい、できるものならなどと笑うお気楽な連中と違ってこの兄は聡い。ハディスの思惑に気づいたのだ。
「……その前に竜妃に関しての確認をしようか、ハディス。彼女はジェラルド王太子の婚約者だったそうだね」
「なんだと!? 僕は聞いていないぞハディス!」
「ほ、本当なのかハディス。お前どういう経緯でジルをつれてきたんだ!?」
リステアードとエリンツィアまでこちらを向く。ハディスは首をかしげた。
「言ってなかったっけ? 確かに、ジェラルド王子がジルに求婚しようとしてたよ」
肯定したハディスにエリンツィアが言葉をなくした。リステアードに至っては青ざめている。
「でも、ジルは逃げたからそもそも求婚を受けてない。だから婚約者だったっていうのはおかしいんじゃないかな。一方的だったわけだし」
「それは屁理屈だよ、ハディス。彼女がクレイトスの間者である可能性は高いし、これからそうなる可能性だって十分ある」
「ちょ……ちょっと待ってくれ、ヴィッセル。ジルを疑うのはわかる。私も驚いた。だが、ジルは帝都から追放されたハディスとずっと一緒にいたんだぞ。ハディスがこうして無事にここに座っているのは彼女の功績だ。それを疑うのは……」
うろたえつつもかばおうとするエリンツィアに、冷めた目でヴィッセルが尋ねる。
「竜妃になり、竜妃の神器を顕現させ、クレイトスに神器を持ち帰るためだったとしたらどうです? ラーデアの鎮圧に向かうと言うなら、それこそが目的かもしれない」
リステアードが嫌うだけあって、ヴィッセルの話運びは見事だ。これでジルを竜妃としてラーデアに送り出すことは難しくなった。
「今、ラーデア領が占拠され、そこにクレイトス軍が入り込もうとしている。これが本当にただの偶然だと片づけられますか? 本当に彼女は関係ないと? そもそもクレイトス出身の竜妃など、どうかしている」
そうだ、という声が周囲からあがり始めた。分の悪さを感じたのか、エリンツィアは唇を引き結んで黙る。
さて、ならばどう手を打とうか。
思索に耽っているハディスに焦れたのか、ヴィッセルが語気を荒くした。
「今まさにこの瞬間、彼女のたくらみが進行しているかもしれないのに――」
「どうりゃあぁぁぁぁぁ!!」
ヴィッセルの声を、勇ましいかけ声と硝子窓がわれる音が遮った。
見事な蹴りで窓からハディスの可愛いお嫁さんが飛びこんでくる。
(ああ、これで完全に警戒されるなー)
考えていた策のいくつかがだめになった。
でも自由で強くてかっこいいジルを見るのは好きだ。
椅子の肘掛けに肘をついていたハディスは、口元を緩めて微笑んだ。