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「うきゅう……」
ふりふりはやめても不信感が拭えないのか、ローがジルを見あげて不満そうに訴える。
どうにか笑いをのみこんでナターリエが言った。
「他に特に問題がないなら、無理に飛行訓練するより、ゆっくり成長を見守ってあげてもいいと思うわ。え、何?」
ローがナターリエに体をこすりつけ始めた。何やら感激しているようだ。
きっと無理に飛ばなくていいと言われたからだ。ジルは呆れて、両手を腰に当てる。
「こらロー! お前、訓練が嫌なだけだろう」
「うっきゅきゅー」
口笛を吹くような態度で今度はテーブルからおりて、フリーダのうしろに隠れる。
ハディスそっくりすぎて逆に力が抜けた。だがフリーダは嬉しそうににこにこしている。
「ロー、これ、わたしのおともだちなの……いっしょに、クッキー食べる?」
「っきゅー」
白虎のぬいぐるみを紹介されて、ローが嬉しそうにフリーダのうしろについていく。
(……まあ、いいか。妹との交流だと思えば……陛下、知ったらどんな顔するかな)
あとで妹たちとローが遊んでいたことを教えてあげよう。ハディスは自分は妹たちに怖がられていると一線引いているところがあるから、少し安心するかもしれない。
「このクッキーね……最近、気づいたら部屋の扉の前に置いてあるの……」
「えっなんですかそれ。あぶなくないですか?」
「おにいさまがだいじょうぶって……ナターリエおねえさまにもきてるの。おいしいのよ」
にこにこしながらフリーダは透明な袋に可愛くラッピングされたクッキーを取り出す。ナターリエが両腕を組んだ。
「確かにおいしいけど、あやしすぎるでしょ。使用人も誰も置いてないっていうし、最初毒かと思ったわよ。毒だとしたら馬鹿馬鹿しすぎて警戒するのやめたけど」
「きっと、クッキーの小人さんなの。こんなおいしいクッキー、食べたことないもの」
ローはフリーダからクッキーを受け取って、なぜかふふんと鼻を鳴らしていた。まさかとジルの視線が泳いでしまう。
(犯人は陛下……そうだ、食べたらわかる!)
「わ、わたしもいただいてもいいですか!?」
「はい、どうぞ」
フリーダに一枚もらってかじった瞬間、すべてを理解した。
この絶妙な甘さ。かりっと焼きあげられた外縁と、しっとしりした生地、まぶしてある粒の大きな砂糖が生み出す素晴らしい食感――。
(陛下だ)
リステアードが許しているし、ほぼ確定だ。ひょっとして自分で妹たちの部屋の前に置いているのか。やはりジルの知らないところで、ハディスなりに頑張っているらしい。ちょっと努力の方向性がずれている分、涙がにじみそうなほど夫がいじらしく思えた。
「こ、このクッキーを焼いたひとにいつか会ったら、優しくしてあげてくださいね……!」
「なんなの突然……」
「クッキーの小人さん、知ってるの? ええと……」
ジルに呼びかけようとして、フリーダが可愛らしく首をかしげる。フリーダの持ちこんだクッキーを食べながら、ナターリエが何気なく言った。
「そういえば、あなたの名前は? まだ聞いてなかった気がするんだけど」
「えっ――」
ぎくりとしたジルの視界に、きらりと光るものが窓の外から見えた。反射で体が動く。
「あぶない! ふせて!」
複数の矢が窓硝子を割った。ナターリエとフリーダの悲鳴と一緒にテラスが蹴破られる。物々しい複数の足音と、銃口の向く音。
「手を挙げて伏せろ! 抵抗すれば撃つ!」
「な、何、あなたたち――フェアラート軍!?」
軍服の記章を見たナターリエがフリーダを抱きしめて叫ぶ。フェアラート。ゲオルグの後ろ盾だった三公のひとつだ。無関係を主張していたが、まさか帝都に攻めこんできたのか。
「ナターリエ皇女殿下、フリーダ皇女殿下ですね。ちょうどいい。一緒に来ていただこう」
「なんなの、この騒ぎは! フェアラート公が何か……っまさか、ヴィッセル兄様!?」
「何か誤解されているようだ。そもそもフェアラート軍という呼称が間違っておられる。これより我々は――ッ!」
ナターリエにその手が伸びる前に、ジルは兵の腹に肘を叩き込む。上半身を折って倒れた仲間の姿に、兵たちがたじろいだ。
「な、なんだこのガキ!? 使用人じゃないのか!」
「気をつけろ、残ってる帝国軍の魔力持ちかもしれん!」
「早くローを連れて逃げてください! できれば皇帝陛下か、帝国軍に保護を!」
男のひとりを首の後ろから回し蹴りで壁に激突させ、右拳を腹に叩き込む。だが魔力が足りない分、打撃が軽い。いっぺんに複数人を片づけるのは無理だ。
城内の廊下から敵が乗りこんでくる気配はない。城内にも敵が待ち構えている可能性はあるが、外からくる敵をここで食い止めなければ挟み撃ちになる。
「で、でもあなたは」
「足手まといだ、早く行け!」
城内で騒ぎになればハディスが絶対に気づいてくれる。怒鳴りつけたジルに息を呑んだナターリエが、ローを抱き、フリーダの手を引きずって駆け出した。
「待て、皇女を追え! 多少傷つけてもかまわん」
「行かせるか!」
追いかけようとした男の背を蹴り飛ばし、ナターリエたちが逃げ出した扉の前に立つ。
「皇女に刃を向けるか。ついに逆賊にでも成り果てたか?」
「逆賊? 逆賊はお前たちのほうだろう、帝国軍。いや、もう旧帝国軍と呼ぶべきか」
意味がわからず眉をひそめるジルに、テラスにいる兵のひとりが顎をしゃくる。
「魔力持ちと言えど子どもひとりだ、ここは任せる。時間を無駄にするな、他を回るぞ」
「皇女も発見次第、保護してさしあげろ」
前方の兵がジルに銃口を向けたまま、半数以上の兵が後ずさり始めた。やられた仲間を置いて、ナターリエたちを追いかける気だろうか。
(どうなってる。フェアラート軍が攻めてきたんじゃないのか? どう動けば……ええい、こういうときは単純に考えろ!)
突然襲ってきた。ナターリエたちも脅えて逃げ出した。それで敵である理由は十分だ。
そもそも攻めてきたのはあちらであって、こちらが考慮する謂われはない。何か事情があるなら、全滅させたあとで聞けばいい。事情を説明する責任は防戦するジルではなく、攻めてきた敵側にある。
(うん、殺さなきゃいいよな! 全部殴る!)
久しぶりの運動だ。
ぐるぐる腕を回したジルは、まずは立ちはだかる敵兵を沈めるべく床を蹴った。




