15
ローを詰め込んだ鞄を背負って裏庭を回りながら、ジルは顔をしかめた。
(警備が少ない。ほんとに人手が足りてないんだなあ……とはいえ、今日はひどい気がするが)
そのおかげというかなんというか、誰にも見とがめられることなく、約束の時間にあっさりナターリエの部屋のテラスに辿り着いてしまったではないか。どう考えたってあやしい道を進んでいるのに。
「おはようございます!」
「あなた、なんでテラスからくるの!?」
「ちょっと警備の確認をしようと思って。大切なことですので」
堂々と答えたジルにナターリエが「そ、そう……?」と首をひねりながらテラスの扉をあけてくれる。
部屋にはフリーダもいて、きょとんとジルを見ていた。他に使用人はいない。人手不足もあるが、ヴィッセル皇太子の出迎えの準備とやらに駆り出されているからだろう。
「で、約束どおり連れてきました、わたしが育ててる竜です!」
「うっきゅう!」
今日は背中を花柄にしてもらってご機嫌のローが、元気いっぱいに挨拶する。
「って、何その色、新種……? 見たことないんだけど」
「鱗はまだらです! ちょっと変わった斑竜!」
「うっきゅ!」
ローも力一杯同意する。ナターリエは不審いっぱいの顔でローを抱いてあちこち見ているが、黒竜だとは思わないだろう。
というか、黒竜に絵の具を塗って別の色の竜にするなんて、普通は思いついてもやらない。
フリーダがそっと近づいてきて、ローをまん丸な目で見あげた。
「……お名前は?」
「あっローっていいます!」
「可愛いね」
ローがまばたいたあと「うっきゅう……」と言いながら照れたように顔を隠した。背伸びして手を伸ばしたフリーダに翼を触られても、もじもじしている。
心温まる光景にジルもほんわかしていると、小さくナターリエがつぶやいた。
「……人間の言ってることがわかるなんて、ほんとに斑竜なの?」
「そうですよ、見てくださいこの黄色とか茶色とか色々まざった鱗」
じっとりした視線にも堂々と胸を張ってみせる。先に諦めたのはナターリエだった。
「……まあいいわ。なんか今日は元気で強気なのね。昨日自殺未遂しかけてたくせに、何かいいことでもあったの?」
ナターリエにしたら、ただの世間話のつもりだったのだろう。
だがジルは新たな決意を思い出して、背筋を伸ばしてしまう。
「はい。実は昨夜、愛を確かめ合いました!」
ナターリエの腕からぼとっとローが落ちた。さらにその上にフリーダが持っていたぬいぐるみも落ちて、ロ-が目をぱちぱちさせる。
「もう、わたしの夫が最高にかっこよくて! このひとにふさわしい妻になるべく、いっそう精進していこうと決意を新たにしたところです!」
「……。夫? 妻? 待って、あなたいくつよ」
「十一歳です!」
「け……結婚、してる……の……?」
「あ、式はまだです。でもいずれは必ず成し遂げてみせます!」
呆然としていたナターリエが我に返ったように言った。
「け……結婚の約束をしたってことね。ま、まあ、子どもの約束よね」
「相手はもうすぐ二十歳になる大人ですけど」
「そんな幼女趣味とは今すぐ縁を切りなさい!」
真っ青になったナターリエの横で、ほわほわっとフリーダがはにかむ。
「おにいさまと同い年のひと……かっこいい……?」
「それはもう! わたし、昨日、完全に惚れ直しました……!」
「いいなあ……お嫁さん……」
「フリーダ様は可愛いですから、きっといい男性が現れますよ」
「だめよ完全に騙されてるわよあなた! フリーダもだめだからね!?」
「でも、おにいさまは素敵だから……」
「それは兄妹でしょ! 結婚は違うの!」
「うっきゅう」
床ではローが恥ずかしそうに顔を覆い、尻尾でべしべし床を叩いている。それに気づいて、ナターリエがテーブルに手をついて、深呼吸した。
「……あとにしましょ。とりあえずこの子を看るから……」
「あ、はい宜しくお願いします! この子を立派に育てて結婚したいので」
「頭がおかしくなりそうだからその話はやめて。――この子、金目なのね」
自分が注目されていることわかったのか、ローが爪と爪の間から目線をあげる。ナターリエはしゃがんでローの体を触診しだした。
「なんか全体的に鱗が固いような……産毛もなんかごわごわして……ま、まあいいわ。怪我をしてるってことはなさそうね。翼もちゃんと広げられる?」
尋ねられたローは、自慢げにばさっと小さな翼を広げてみせた。ナターリエが半眼になる。
「……ねえ、この子やっぱり斑竜にしては賢すぎな」
「金目ですから賢い斑竜なんですよ!」
「……。翼膜も大丈夫。ちょっと翼の大きさと体とのバランスが悪い気もするけど……」
「ど、どこか悪いですか?」
途端に心配になってきたジルに、ナターリエが首を横に振った。
「気にするほどのことじゃないわよ、幼竜だし。まあ……強いて言うならば……」
ごくりと唾を呑むジルに、ナターリエが真顔で言った。
「お尻が大きいわ」
「……。お尻がですか」
「おしり……」
「……きゅっ!?」
ジルとフリーダに見られて、ローが慌てて前脚をうしろに回す。
「正確には後ろ脚だけど。でも尻尾もむっちりしてるし、全身ぷりぷりしてるでしょ」
「……確かに、全体的に脂がのってそうですね。ころころしてますし」
「ぎゅ!?」
「大きくなるわよ、この子」
ナターリエが細腕でローを持ちあげ、テーブルの上にのせる。
「たまにいるのよ、成長が遅い……っていうか、飛ぶ必要がないから飛ばないって子。でもそういう子は、ものすごく強い竜に育ったりするのよね。特殊な竜だと、普通の竜とは違う育ち方をする傾向があるわ」
「へえ……」
「竜の王である黒竜なんかは、竜帝の心を栄養分にするとかいう伝説があるくらいだし」
「へ、へえー! 強くなるって、よかったなロー!」
なんだかばれている気がするが、ローに目を向けて話を誤魔化してみる。両腕を組んで、ナターリエが素っ気なく言った。
「心配なら、お尻が重くて飛べないタイプだとでも思っておけば」
「うきゅうっ!」
ローが不満そうに鳴く。そして、ぶんぶん尻尾を振り回し、おしりをふりふりし出した。
「うきゅ、うきゅ!」
おそらく、自分は重くないと証明したいのだろう。
懸命にふりふりしているが、ただ可愛いだけである。ナターリエも噴き出してしまい、フリーダはとろけるように微笑んだ。
「かわいいねえ……」
「うぎゅ、うぎゅうー!」
「わ、わかった、わかったからロー。大丈夫だ。その……引き締まってるから」
陛下は、とは心の中でつぶやいておいた。