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「ど、どきどきしすぎて一睡もできなかった……」
「おめーはそういうところ相変わらずだな。ま、倒れないだけ成長してるか?」
ふよふよ浮いている育て親を、ハディスはぎろりとにらむ。
「竜は情緒がなさすぎだろう。見てなかったのか、今朝のジルの可愛さ!」
「むしろ目をそらしたよ、なんだあの初々しい桃色空間! 目を合わせられずにも指が触れた瞬間に皿を落とすとか、人間の様式美なのか? やらないといけない理はねぇぞ」
「それだけじゃない! ジルが……ジルが! あのジルが! いってらっしゃいのキスしませんかって、あのジルが、自分から言った!」
おずおず切り出したジルの頬はほんのり桃色に染まっていて、その愛らしさにああ今日も世界は平和だなあとハディスは昇天しかけた。しかも、次の瞬間にはきりっとして「わたし、立派な陛下の妻になりたいんです! だから大人になる前に恋愛戦闘力をあげねば!」ときた。
あのお嫁さんは、実は自分に差し向けられた刺客だったりしないだろうか。恋愛戦闘力はなんなのかハディスにもよくわからないが、絶対にいいものだ。
「ジルが大人になるまでに僕は殺されるかもしれない……」
「そうかよ、よかったな」
「最近、寝室をわけたほうがいい気もしてきて……でもなんかそれってあからさますぎる気もするんだ! 別にそういうんじゃなくて、こう、大人の対応というか……でもまだ一緒に寝てたいっていうか、ずっと一緒に寝てたい! だめかな!? どう思う!?」
「知るかよ」
「真面目に聞け僕は真剣に相談してるんだ!」
「聞きたくねーんだよ、さっきからお前に誰ひとり突っこまないことに気づけ!」
ラーヴェに怒鳴り返されて、ハディスはうしろにいる竜妃の騎士たちと、前を歩くリステアードに目を向けた。静かな廊下にはさっきからハディスの声と足音しか響いていない。
「それはみんなにお前の声が聞こえないからだろう、ラーヴェ」
「ちげーよ誰も突っこみたくないんだよ!」
「気にしなくていい、ハディス。そのまま竜神ラーヴェ様との会話を続けたまえ。竜帝として大切な時間だ」
珍しく穏やかな顔でリステアードが言った。そうそうと背後でカミラとジークも頷く。今日はハディスのほうに人手がいるので、ジルが護衛につけてくれたのだ。
「アタシたちのことは気にしなくていいからね、陛下。ラーヴェ様に相談なさい」
「育て親なんだろ。責任は持ってもらわねーと」
「くそっ、全員見えない聞こえないのをいいことに好き勝手言いすぎだろ! つきあってられるか、俺は寝る、寝るぞ!」
「いいけど、寝てばっかりでますます太るぞ」
「うるせーな体力温存だよ! いつ必要になるかわかんないだろうが、天剣が」
ハディスは肩の上に止まった竜神の体にそっと触れる。変わらない、馴染みのある感触だ。
これを使うときは大体ろくでもないことばかりが多い。だが今は、頼もしく思う。
竜帝の証。自分を竜帝にしてくれるもの。
「うん、頼むよ」
「ハディス、覚悟はいいな」
会議室の両開きの扉を前にした言葉少ないリステアードの確認に頷く前に、ハディスはうしろにいるカミラとジークに振り向く。
「君たちはここまででいいよ。肩書きがややこしくて面倒だし、今はまだ」
「りょーうかい。今はまだね。頑張って、陛下」
「その辺にいるからな。呼べば飛び込んでってやるから」
頼もしい言葉を有り難く受け取って、ハディスは扉に向き直る。頷くと、リステアードが扉に手をかけた。
(僕はジルを竜妃にする、必ず)
はたして、この先で待ち構える人間たちは敵か味方か。まずはそこからだ。
「ハディス。ただいま」
穏やかな面差しをした青年が奥にある席から立ちあがる。灰を思わせる色の髪は柔らかく、雲がかかった月のような薄い瞳は涼やかだ。色合いも顔立ちもあまり自分と似ていないなと思っていたが、先日、異父兄だとわかった。ヴィッセルの耳にも入っているだろう。
いや、ゲオルグの娘と婚約していたヴィッセルは、元々知っていた可能性も高い。
「おかえり、ヴィッセル兄上」
無言でラーヴェがするりと胸のあたりから体に入り込む。その胸を張って、ハディスは、兄と兄が連れてきた兵や文官が居並ぶ会議室へと足を踏み出す。
向かって左側の長机には、リステアードとエリンツィアの席がある。右側の席はヴィッセルを中心にしたその他大勢の臣下たちのものだ。そのふたつをつなぐ、いちばん奥の机にたったひとつ、皇帝であるハディスの席がある。
これが今のこの国の勢力図だ。
少し遅れて扉が閉まり、リステアードがハディスのあとに続く。その瞬間だった。
会議室の左右から現れたフェアラートの兵が、武器を構えてリステアードを取り囲む。先に会議室にいたエリンツィアが椅子を蹴って立ちあがった。
「おい、なんの真似だ!? まさか、フェアラート公が反乱でも起こすつもりで」
「違いますよ、エリンツィア様。この場にいる兵たちを、今から新しい帝国軍として再編制します。帝城に残っていた帝国兵はお払い箱。全員捕らえるか、抵抗するなら処分するよう、既に命令を出してあります」
「わ……私は聞いてないぞハディス!」
「僕も初耳だよ」
答えたハディスに愕然とした顔でエリンツィアが唸る。
「皇帝の許可もなしに帝国軍を再編制するなんて、そんな馬鹿な話が……!」
「一度はハディスに刃向かった軍だ。どこに間者が潜んでいるかわからないものを、いつまでも皇帝のそばに置いておけないでしょう」
「こんな状況でも残ってくれた軍と考えるべきだ! 我が国を守るために――っ何より、リステアードに刃を向ける理由にはなっていない!」
叫んだエリンツィアからハディスへと、ヴィッセルが向き直る。
「ハディス。まず、残念な報告からしないといけない。ラーデア大公領が元帝国軍――逃げ出した反逆者どもに占拠された。いずれ、蜂起でもするつもりだろう」
会議室の右側に座っている面々に動揺は見られない。あらかじめ聞いているのだろう。
何も知らされていないのはハディスたちだけだ。
「リステアード・テオス・ラーヴェ第二皇子殿下。あなたは彼らの占拠に加担している疑いがある」
ひどくさめた瞳で、皇太子が第二皇子に向かって宣告のように言い放った。