12
「陛下、陛下!」
「おかえりジル。……ってその格好、どうしたの!?」
「ローが治るかもしれません!」
ハディスの宮殿に息せき切って飛びこむなり、ジルは叫んだ。
晩ご飯の支度をしている最中なのか、台所にいたハディスがいい匂いと一緒に顔を出す。
「治るって……お前、何かの病気だったのか?」
「うきゅう?」
床でソテーとボールを取り合っていたローが顔をあげる。その隙にボールをソテーに蹴り飛ばされ、慌てて追いかけていった。ソテーもそれについていく。どうも仲良くなったらしい。
「聞いてください、実は――」
勢い込んで話そうとしたジルははっと我に返った。
ついさっき、自分は盛大な告白をしたいたたまれなさで逃げ出したのではなかったか。
「それより、その格好は? 可愛いけど、まさか本当に池にまた飛びこんで――」
「わかりました、もう一度池から記憶を失ってきます!」
「晩ご飯の準備できてるよ」
回れ右したジルはぴたりと足を止める。
「今日のメインは骨付き羊肉のグリル。フルーツサラダに卵をとかしたコンソメスープ。つけあわせはまるごと蒸したじゃがいものバター添え」
とても豪勢だ。ゆっくり振り返ると、ハディスがにっこり笑い返した。
「今ならできたてでおいしいよ」
「……そ、そういうことなら、しかたないですよね!」
「そうだよ。僕だって言いたいこと色々あるしね、君に好きな男がいたとか」
「やっぱり池に!」
「ああ、デザートのラスクをオーブンからそろそろ出さなきゃ」
「陛下ずるいです~!」
返事より先におなかが鳴る。顔を覆ったジルをハディスはひょいと抱きあげた。
「じゃあ晩ご飯にしよう。話もあるしね」
「意地悪するなら話しませんよ! でもご飯は食べます!」
「ヴィッセル兄上が帰ってくるんだって」
まばたいたジルを食卓の席におろし、まずは食事にしようとハディスは言った。
夕飯を終える頃には、ローはクッションを敷き詰められた木箱の中で仰向けに眠っていた。
ソテーはまだ運動したりないのか、寝室のテラスから続く庭にある岩に何度も蹴りを繰り出している。最近、姿形はめっきり鶏になったが、ただの鶏ではない気がしてきた。なぜならソテーが蹴るたびに岩が欠け始めている。そのうち砕くんじゃないだろうか。
などと思いながら寝台の脇に腰かけていたら、背後から櫛を持ったハディスがやってきた。
「ナターリエとフリーダのことは、君の思うようにすればいいよ」
「い、いいんですか? 勝手に交流深めちゃったら、あとで困ったりしません?」
「君が妹たちを気にかけてくれるなら僕も安心できる。これから色々、目が届かなくなると思うんだ。帝城にひとが増えるし、僕も今までみたいに自由に動けなくなるから」
湯浴みを終えたジルの毛に櫛をいれながら、ハディスが言う。
「何よりヴィッセル兄上は君を認めないだろうから、それにくらべたら些細なことだよ」
あっさりしたハディスに、ちょっと戸惑ってしまった。
「は、はっきり言いますね? 認めないって」
「妃選びは慎重に、後ろ盾をちゃんと考えろって言われてたし。兄上は僕を大事にしてくれてるから。特に竜妃なんて大事なもの、勝手に決めたからものすごく怒ってると思う」
「……辺境に追いやられていた陛下を、ずっと呼び戻そうとしてくれてたんですよね」
「うん、そうだよ」
話だけ聞いているとまともで、なんだか居心地が悪い。だってジルは、クレイトス王国に情報を横流ししたヴィッセルを知っている。
だがジルは、そもそもヴィッセルとハディスがどんな兄弟だったかを知らない。
「あと、リステアード兄上と仲が悪い」
それは、なんとなくわかる気がする。
「だからもめると思うんだよね。それはもう、派手に」
だが、リステアードに続き、ヴィッセルもハディスの手で処刑されている。ハディスがクレイトス軍と戦うために帝都を離れている間に帝都を乗っ取り、その咎で処刑されたのだ。今から確か、三年ほど先の未来だ。
卑怯とは言えない。なぜならそのとき、ハディスの目を引きつけるというジェラルドの策で、部下を率いてハディスの軍と戦っていたのは、軍神令嬢と呼ばれ始めたジルだった。
(でもあの頃はまだ、陛下、そんなにひどくなかったよな)
策ごとなぎ払うその強さに何度も歯ぎしりさせられたが、敵として尊敬できる相手だった。
それがヴィッセルを処刑して少したってから再会したときには、もうすべてを滅ぼすだけの残虐な皇帝になっていたのだ。
(やっぱり……大きいんだろうな、陛下にとって。ヴィッセル殿下の存在……)
ちらと目をあげると、櫛を置いたハディスと目が合った。
「何?」
「いっ、いえ。はい、ええと、わかりました……わたし、どうすればいいですか」
「うん、あのね」
内緒話をするようにハディスが声をひそめて、少しだけ顔を近づけた。