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「……追いかけたほうがいいと思う?」
ハディスが背後に尋ねると、竜妃の騎士が首を横に振った。
「時間をあけたほうがいいと思うわ。どう見ても混乱してたから、ジルちゃん」
「だよね……」
カミラの助言に、膝をついたままの体勢でハディスも同意する。ジークからも反論がないので、この場合は正しい判断なのだろう。
「正直、僕も混乱というか、なんかこう、衝撃があちこちに置いてけぼりなんだけど……」
「ああ……なんかこう、いらんことまで告白してたからな、隊長」
「馬鹿、ジーク」
「ああ、僕の前に好きだった奴がいるって話とか。――なんでふたりとも逃げるのかな?」
ふたりそろって踵を返そうとしたので、その背中に声をかけると、ぎこちない言い訳が返ってきた。
「……その、ローに新しいリンゴでも取りに行ってやろうかと」
「そうそう、ねーローちゃん」
「うっきゅう?」
「心配しなくても、相手が誰かはわかってるし問題ないよ」
今度はふたりそろってこちらに振り向いた。
膝の埃をはらって立ちあがったハディスは、内側から様子をうかがっているラーヴェにも聞こえるように説明した。
「僕と比較するんだから、僕と似た立場にあって、ジルを利用できて、利用されないためにジルがクレイトスを出ないといけなくなるような相手だ。心当たりなんてひとつしかない」
「陛下、こういうときは頭がよくなるのね……」
「まぁ、隊長を追いかけてきたときからキナ臭かったけどな。あの王子様」
「婚約が内定してたらしいよ。僕はそこからジルをかっさらってきたから」
初耳だったのか、ジークがまばたき、カミラが口笛を鳴らす。
「やるじゃなぁい、陛下。駆け落ちってわけ」
「だが、大丈夫なのか? 隊長の実家だっていつまで黙ってるかわからんだろう」
「そう。だから僕は今すごく忙しい。あのときはただ竜妃が欲しいだけだったけど、今はそうじゃないから。ちゃんとジルの立場を作らないと」
両腕を組んで嘆息したハディスに、ジークとカミラが顔を見合わせる。
「君たちはジルを守っててくれればいいよ。あと僕の心は大事にするようにね」
「待って待って陛下。やる気になってるのは伝わったけど大丈夫なの? その、ジルちゃんに好きな男がいたのよ……そいつ、放っておいていいわけ?」
おそるおそる聞いてくるカミラに、ハディスは肩をすくめる。
「お気の毒にと思うだけだよ。だってジルは僕が好きなんだから気にする必要ないよね。ジルは僕が好きジルは僕が好き僕が好き僕が好き僕が好」
「気にしないって自己暗示かけてるだけじゃねえか」
「陛下、ジルちゃんの前で頑張ったのえらいから目に光を取り戻して。怖い」
「おいハディス! 帰ってきたら報告しろと言っているだろう。しかもまたエプロンか!」
ぶつぶつ呪文を唱えていたら、開きっぱなしの扉から入ってきたリステアードに首根っこをつかまれ、ずるずると引きずられた。
「リステアード兄上。説明もなく、いきなり何?」
「会議だ。おいお前たち、ジル嬢はどうした?」
「ジルちゃんなら頭を冷やすために大運動会中だと思うわ。近づくとあぶないわよ」
「は? なぜそんなことに……いやこの際、いないほうがいいかもしれん。ややこしい」
「なんだ、どうしたんだよ兄上殿下」
ジークの雑な態度に眉をひそめつつ、リステアードは足を止めた。
「……帝都周辺の調査に出していた僕の竜騎士団から報告がさっき入った。ヴィッセルが帝都に向かって移動中だと」
「兄上が?」
顔を輝かせたハディスに、苦い顔を隠そうともせずリステアードが頷き返す。
「ああ。早ければ明日にでも帝都入りするだろう。ご親切に、人手がたりないだろうとフェアラート公から軍と資金、文官も大勢つれて帰ってきてくれたようだ」
「え、ちょっと。フェアラート公って、ゲオルグって奴の後ろ盾だった貴族でしょ?」
「反省しました、忠誠を誓いますってか? ほんとに味方なのかよ、そいつら全員」
質問に答えず悔しそうに拳を握るこの兄を、以前の自分なら面倒だなと思っただろう。でも不思議と今はそんなふうに思わない。むしろ心配になる。
「大丈夫だよ、リステアード兄上。資金に人手、今の僕たちには有り難い助けじゃないか」
「だが、このままでは宮廷を牛耳られかねないぞ。ただでさえお前は味方がいないのに」
「ヴィッセル兄上は味方だよ。兄弟は仲良くしなきゃ。ね」
ハディスの言葉に誰も返事をしない中で、うっきゅうとローだけが愛らしく同意を返した。




