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よほどジルが考えこんでいるように見えたのか、エリンツィアは安心させる優しい口調で言った。
「悩んでもしかたない。今のラーヴェ皇族と竜帝ハディスにまったく血のつながりがないという公表に動揺して三公も今はおとなしいが、それもいつどう爆発するかわからないんだ。ずっと気をはっていては疲れてしまう。何、なんとかなるさ」
「なんとかするのはラーヴェ皇族を名乗る僕たちですよ、姉上」
呆れるリステアードも笑うエリンツィアも、ハディスと血がつながっていない。それでもハディスの兄と姉でいると決めてくれたふたりだ。
「おふたりとも同じこと言うんですね、陛下と。さすが兄姉です」
ぽかんとしたふたりに、ジルは笑う。
「陛下が言ってましたよ。姉上と兄上は死にたくないだろうからなんとかしてくれるって」
「脅しか!? しかも丸投げか、あの馬鹿」
「まあまあ、リステアード。兄と姉を名乗るならそれくらいやれ、という激励だろう」
「わたし、何かお手伝いできませんか?」
尋ねたジルに、リステアードが首を横に振った。
「できない。君は今、公的には竜妃どころかハディスの婚約者ですらない。よくて客人、悪くて間諜。おとなしくしているのが最善だ」
「でも、陛下はわたしが竜妃だって言ってくれてるし、ラーヴェ様の祝福も受けてます」
左手の薬指に視線を落とす。偽帝騒乱で使われた偽の天剣で封じられた魔力はまだ戻っていないが、確かにここには金の指輪があった。それは竜妃の証だと言われたのだが。
「竜の理屈ではそれでいいだろう。だが、人間の理屈はまた違う」
「正式な客人として扱って押し切ったらどうだ、リステアード。そうすればジルを私の元で働かせるくらいはできるんじゃないか?」
エリンツィアは今、帝都にいる帝国軍をまとめるため臨時で将軍と軍務卿を兼任している。顔を輝かせて賛成しようとしたジルより早く、リステアードが言葉をかぶせた。
「だめだ。本当に竜妃になりたいなら、きちんと手順に則るべきだ」
「お前は相変わらず真面目で手厳しいな」
「何も根拠もなく言っているわけじゃありませんよ。……ジル嬢」
名前を呼ばれて、ジルは顔をあげた。まっすぐリステアードは告げる。
「僕は君を認めているがそれは僕個人の話。姉上も同じだ。ただでさえ君はクレイトス出身で痛くもない腹をさぐられる立場だ。周囲の承認を得ず強引にことを進めれば、必ずあとでひずみが出る。だからハディスだって婚約式を強行しないんだ。君の今後のために」
思いがけない説明にジルはぱちぱちまばたいたあとで、なんだか恥ずかしくなった。
(そ、そうか。陛下、頑張ってるんだ……)
エリンツィアが苦笑い気味に続ける。
「確かによく我慢しているな、ハディスは」
「今はその黒竜の世話に集中したまえ。くれぐれも人目にはつかせないようにな」
「えっ」
思いがけない指示にジルはまばたく。リステアードが顔をしかめた。
「当然だろう。金目の黒竜、竜の王だ。変な輩に目をつけられたらどうする。しかも、飛べないときている。今は帝城のどこにハディスの敵がいるかわからないんだぞ」
「それはわかりますけど、でも、飛ぶ訓練……」
「ハディスの宮殿は広いだろう。庭に小川も小舟を浮かべて遊ぶ池もある。何より、ハディスの心だというなら、そいつは絶対に心の弱い引きこもりだ」
言いがかりだと反論したいができない。エリンツィアもそっと目をそらしている。
「まあ……ハディスはちょっと人見知りだからな、うん……」
「可愛げがある言い方で誤魔化さないでください、姉上。そういうことだ。君は余計なことに気を回さず、その黒竜の面倒をみてくれ。それこそ、本物の竜妃なのだから」
目が合ったリステアードに静かに頷き返され、ジルは反射で敬礼を返す。
「わかりました! 必ずわたしが、この子を立派な竜の王に育てあげてみせます!」
「結構。何か必要なものがあれば言ってくれ。僕はそろそろ会議の時間でね」
懐中時計を確認して、リステアードが立ちあがった。ああとエリンツィアも部屋にある柱時計を見る。
「私もそろそろ戻らないと。残っている帝国軍を少しでも鍛えないとな」
「お人好しを発揮して間諜を見逃さないでくださいよ、姉上。僕はこれ以上フォローできませんからね。ただでさえ何かしら企む奴らが多いというのに」
「はは、ハディスもお前をいちばん頼りにしているだろうよ。……皮肉なものだな。皇帝の名よりも、ノイトラール公やレールザッツ公の名のほうが強いなんて」
「使えるものは使うだけだ」
凛と答えたリステアードの背中をエリンツィアが叩く。
ハディスは竜帝でありながら、皇帝としての後ろ盾を持たない。持っているのは、竜神と天剣という証だけだ。
それを補う兄姉がいてくれて、ハディスはきっと心強いだろう。
「きゅ」
ふたりを見送ったジルの背中で、起きたのかローが小さく鳴いた。勘がいいなとジルは苦笑する。
やっぱりハディスにそっくりで、他人の感情の機微に敏感だ。
「大丈夫だ。ちょっと、陛下の役に立てるのが羨ましいなって思っただけで……」
「隊長は十分、皇帝の役に立ってるだろ。どれだけ苦労してきたんだよ」
しかめ面でジークが言う。そうよとカミラも笑った。
「適所適材ってだけでしょ。ちょっとくらい休憩しなきゃ。それにジルちゃん、この子の面倒みるって仕事があるじゃない」
「わかってます。でも、わたしは強欲なので……。せっかくだから、お前にも色んなものを見せてやりたいのになあ」
鞄から出したローの両脇に手を差し込んで、じっと見る。
くるんと大きな目がジルを見ていた。信頼しきっている眼差しだ。だからこそジルは応えたい。
そこではっと気づいた。
「……そうだ、黒竜じゃなきゃいいんだ!」
「は? いやどう見ても黒いだろ、その鱗は」
「待ってジルちゃん、嫌な予感がするんだけど」
「ペンキありますよね!?」
叫んだジルに、竜妃の騎士が頬を引きつらせる。
きゅ、と鳴いてローが小首をかしげた。




