3
「ということで、わたしが黒竜を育てることになりました! 宜しくお願いします」
「馬鹿なのかハディスはーーーーーーーーーーーーーーー!」
本日も元気よく執務室でハディスの兄リステアードが叫んだ。勢いよく執務机に身を乗り出したせいで、ひらひら積み上がった書類が舞う。
「金目の黒竜だぞ!? 竜の王だぞ!? この世界のどこに、竜妃とはいえ十一歳の少女に育てさせる馬鹿がいる! どの馬鹿だ!」
「竜の女王と、リステアード殿下の弟です!」
元気よく答えたジルに、リステアードが執務机に顔面から突っ伏した。痛そうだ。
「朝の定例会議すらまともな形にならず、高官も大勢逃げ出して指揮系統はめちゃくちゃ、帝国軍も将軍含め半数以上が行方不明で瓦解状態、残ったのはどこにも逃げ場所がなかった下っ端の者たちばかりで実情がさっぱりわからず、あまりの人手のなさに皇族たる僕が経理をしなければ帝都の復興計画も立てられず、とどめに十一歳の少女が竜の王を育てる……我が祖国はここまで……ここまで落ちぶれたかッ……!」
「そう嘆くな、リステアード。竜の女王のご指名とあらばしかたないだろう。ジルはしっかりしてるし……それにしても……」
ハディスとリステアードの姉エリンツィアが、机から落ちた書類を拾いながら、ちらとジルが背負った鞄へと目を向けた。そこには、顔だけ出し、ぷうぷうと鼻から音を立てて熟睡中のローが入っている。
「……ずいぶん可愛いな? とても竜の王とは思えない威厳のなさだ」
「でしょう。陛下そっくりなんですよ。飛べなくて歩く姿もどんくさくて可愛いです!」
「やめてくれ、竜の王を可愛いだとかどんくさいだとか、しかも皇帝とそっくりだとか……僕がいたたまれない……!」
顔を覆ってリステアードが嘆き始めたので、焦ったエリンツィアが話を変える。
「とりあえず、飛べるようにしないとな。普通、竜は竜から学ぶものだし、帝都にある竜の舎に寝床を作ってやって、見て覚えさせるのはどうだ?」
「それなんですけど、さっき連れて行ったらこの子、泣いて逃げ出しちゃったんです」
「まさか、黒竜相手にブリュンヒルデたちが何か悪さをしたとでも?」
愛竜の名前を出したリステアードに、ジルは慌てて首を横に振る。
「いえ、びっくりしちゃったみたいで、この子が一方的に。他の竜が苦手なのか、まだよくわからないですけど……」
ぽかんと口をあけたあと、焦ってばたばた走り回りあちこちぶつかってごろんごろん転がり最後は泣きわめく黒竜に、他の竜もあたふたし出して大変だった。ローは竜たちにとって竜神ラーヴェに次ぐ王なのだ。守ろう助けようの大混乱である。その混乱を受けてまたローが泣き出すの悪循環だ。なお、そのあたりでハディスは「直視できない、あとはまかせる……」とふらふらしながら退散した。
リステアードが両腕を組んで考えこむ。
「となると帝城内か……本来ならきちんと宮殿のひとつでも建てたうえ、世話係を用意して迎えるべきなんだが……国庫が……国庫が……!」
「リ、リステアード。しっかりするんだ。気絶しても予算は増えないぞ!」
「そんなもん建てたりひとを雇ってる場合じゃないわよねえ」
ここぞとばかりに執務室の出入り口で見張りをしているカミラが声をあげた。
「アタシたち、まだ給料もらってないわよージルちゃん」
「寝床と食い物を用意されるだけましだろ。服も武器も現物支給されたし、今は偽帝騒ぎでガタガタの状況をなんとかするほうが先だ。食う寝るに困らないだけいいだろうが」
カミラをなだめているジークの言葉が、微妙にジルの主君としての心をえぐる。おそるおそる、尋ねてみた。
「あ、あの……そんなに、国庫はまずいんです……?」
ああ、と深刻に頷いたのはエリンツィアだ。
「この間の騒ぎで帝城から逃げた連中が、宝物庫から色々持ち逃げしたようでな……今、人手不足で出費が少ないのが有り難いくらいだ。君とハディスとの婚約式が延期になってしまったのもそのせいだ。君が竜妃として胸を張って帝城を歩けない理由が資金難だなんて……」
しょげるエリンツィアに、ジルは慌てて首を横に振る。
「だ、大丈夫です。わたしも婚約式より先に部下の給料を払えるようになりたいので……!」
「帝国軍が半壊で、帝都の守りを固めるだけで手一杯なのも痛い。さすがに警戒は怠れないからな。せめて逃げ出した帝国軍――サウス将軍たちの行方がわかればいいんだが」
両腕を組んで考えこむエリンツィアに、気を取り直したリステアードが答える。
「足取りが見事に消えてます。地道にやるしかない」
「その辺を飛んでる竜から情報をもらうとかって、できないんですか?」
「上位竜でなければ、普通の人間を個で識別したり細かい見分けができないんだ。そもそもそのあたりの事情はサウス将軍も承知だ。もし逃げた帝国軍の目撃情報を竜から得た場合は、十中八九囮だと考えたほうがいい」
「でも、結構な人数で動いてたんですよね? 移動を誤魔化すならまだしも、どこかに潜んでいるなら必ず痕跡が出てくると思うんですが」
ジルの疑問に、エリンツィアが肩をすくめる。
「そのとおり。おそらくかくまっている奴がいるんだろうな」
「フェアラート公でしょうか」
ラーヴェ帝国には三公と呼ばれる三大公爵家が帝室を古くから支えている。軍港都市を持つフェアラート公、交易都市を持つレールザッツ公、城塞都市を持つノイトラール公。ラーヴェ皇帝は三公の姫を妃をもらうのが慣例なので、ラーヴェ皇族とは姻戚関係でもある。
かく言うリステアードの祖父がレールザッツ公、エリンツィアの伯父がノイトラール公であり、ふたりの後ろ盾になっている。そして偽帝騒乱の首謀者だったゲオルグはフェアラート公を後ろ盾に持っていた。
普通に考えれば、フェアラート公とその関係者が現時点で一番警戒すべき人物だ。
だが、リステアードは頬杖をついて嘆息する。
「フェアラート公は、叔父上の件は関与を否定して知らぬ存ぜぬだ。実際、逃げた帝国兵たちがフェアラートの領地に向かった形跡もない」
「では逃げた帝国兵たちはどこに……」
「あり得るとしたら、ラーデア領だろう。叔父上が大公として代理で治めていた場所だ。だが確信はない。鋭意調査中だ」
リステアードの報告に、ジルは肩を落とす。その横でエリンツィアが言った。
「私は逃げた帝国兵がばらばらにならず、まだ集団で動いているのが気になる」
「まさか、ただ処分を恐れて逃げたのではなく、ゲオルグ様の弔い合戦を考えて……?」
「可能性はある。叔父上は帝国兵の一部に人望があったからな……また反乱なんてことにならなければいいが」
ぼやくリステアードについ目を向けてしまう。
以前ジルが十一歳だったときにラーヴェ帝国で起こった反乱はゲオルグが起こしたものと、目の前にいるリステアードが起こしたものだ。
だが、リステアードが今更ハディスを裏切るとは思えない。
(他にこの時期、大きな蜂起はなかったはずだが……クレイトスとの開戦はまだ先だし)
考えこむジルの肩を、ぽんとなだめるようにエリンツィアが叩いた。




