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「実は、このまま竜の巣で育てるのは危険なのだ。巣は飛べることを前提に作られているからな」
普通、卵から孵ってすぐ飛べるようになるのであればそうなるだろう。
レアが遠い目になる。
「小川に足を滑らせて頭から落ち、流されていったときは本当に肝が冷えた……りゅ、竜の王がよりによって小川で溺死! 末代までの恥だ、わかるか!?」
「そ、それは……はい。え、じゃあ、ひょっとしてローを預けにきたんですか?」
レアが不安そうな眼差しで、だがはっきり頷き返した。
「そうだ、飛べるようになるまでそちらで世話を頼みたい。竜妃がいるのも何かの縁だろう」
「うっぎゅーーーーーー!?」
「そう言うな、ロー。我もつらいのだ。だが、我だとお前を甘やかしてしまう。それではいかんのだ……あと何より外の世界が楽しくて!」
ああ、とジルは頷いた。
「二十年くらいずっと卵を守って引きこもってたんですもんね、レア」
「そうなのだ! いやあ、久しぶりに羽を伸ばすと楽しくてな。三百歳になって恥ずかしながらはしゃいでしまっている」
「全然恥ずかしくないですよ、いいことです! それにわたしも、最近やることなくて手持ち無沙汰でしたし……」
ちょうどよく降ってわいた『お仕事』ではなかろうか。張り切ってジルは頷き返した。
「わかりました! 飛べるようになるまでローはわたしが預かりますので、レアは休暇を楽しんできてください」
「おお、助かる! 頼んだぞ竜妃よ。何かあれば呼んでくれ。ローが飛べるようになったら迎えにくる」
「うっきゅう!?」
「さらばだ、我が夫! 妻は忙しい!」
大きな翼を広げてあっという間に空に上がったレアは、ぐるんと綺麗な一回転をして雲の向こうに飛んでいってしまった。
手を振って見送ったジルの背後で、しみじみラーヴェがつぶやく。
「番に放り出される金目の黒竜なんて初めて見たぞ、俺……」
「な……なんかひどくないか、僕の心の扱い……お、お嫁さんから放置……」
「うっぎゅう……」
「落ち込んでる暇はありませんよ。まず飛べるように特訓です! びしびしいきますからね」
振り向いたジルに、ハディスがローを抱きこむようにしてあとずさった。まさか自分の心を守っているつもりなのだろうか。
「と、飛べるようになる特訓って、ジル、竜にそんな詳しかったっけ?」
「うきゅうきゅ」
ローもローで、ハディスにしがみついている。
「知りませんけど、まずはラーヴェ様に聞けばいいのでは?」
「あ、俺もう今日は疲れたからハディスの中にいるわおやすみー」
「ラーヴェ面倒だからって逃げるな卑怯だぞ! い、いや……ほらラーヴェはいなくなったからジル! ここはエリンツィア姉上にまかせ……いっそリステアード兄上のほうが安全か!?」
また姉と兄か。仲がいいのは結構だが、ジルは知らずむっとしてしまう。
「だめです、わたしがこの子の面倒をみます!」
「でも、その……そうだ、今日の夕飯は何にしようか! 買い出しとかお願いできない!?」
「誤魔化そうとしてもだめです、レアからこの子をまかされたのはわたしです! わたしにまかせてもらいます」
胸をはると、ハディスとローがそろって脅えた顔をした。失礼だと、唇が尖ってしまう。
「あぶないことはしませんよ。まずはちょっと投げてみましょう。勢いで飛ぶかも」
「十分あぶないよ、僕の心を投げないで!」
「あと筋肉をつけさせないと! 大切です、筋肉!」
「それはどういう意味で!? おいしくなるって意味で!? おいお前、逃げ――あ」
「うきゅぅ……」
気づいたらローが目を回してくたりとのびていた。あらまあ、とカミラが頬に手を当てる。
「飛行訓練の想像だけで気絶しちゃったのかしら」
「心も体も弱いんだろうな、陛下だし」
言い返せないのか、ハディスが黙って震えている。ローなど関係ないと投げ捨てたい気持ちと、大事にしてほしい気持ちで葛藤しているのだろう。
「でもやればできる子のはずですよ、陛下と同じで。わたし、一生懸命育てます!」
「なんでだろう、いたたまれない……君に育てられるって……」
うなだれるハディスの腕の中で、ローも眉間に大きなしわをつくってうぎゅうぎゅと魘されている。なんだか可愛い。
「陛下、わたしが面倒みます。いいですよね?」
両腕をのばすと、ハディスが少し眉をひそめたが、結局ローを渡してくれた。それが嬉しくてジルはぎゅっとローを抱きしめる。
だってこれはハディスの心だ。預けてもらえたのが何よりの信頼の証だった。
「絶対、飛べるようにしてやるからな!」
「やめてジル、嫌な予感がする……」
失礼なハディスの言い分を肯定するように、ローのまぶたがぴくぴくと痙攣していた。




