光の兄
Twitter掲載SS:加筆修正版
天気のいい日は日向で寝ていたいのは世の理である。
お前は仕事せずに気楽でいいな駄目神などと叫んで器のハディスは執務に、可愛いお嫁さんは騎士ふたりと裏庭で訓練に励んでいる。
ハディスがジルと寝起きしている宮殿のテラスからは春の優しい風が舞いこんできていた。ソファもほどよく日差しが当たる、最高の昼寝場所だ。竜神だってごろごろするのも許されるはずだ。
「あー平和っていいなー……」
「ハディスどこへ逃げたーーーーーーーーーー!!」
一瞬で砕け散った平和に、ラーヴェは上半身を起こす。
飛びこんできたのは最近ハディスが「兄上」と呼ぶようになったラーヴェ皇族のひとりだった。本当は違うのかもしれないが、ラーヴェが許可すれば皇族だ。それをいちはやく理解し襟を正した人物でもある。
リステアード・テオス・ラーヴェ。
「ハディス、いないのか! 隠れてるわけじゃないだろうな!?」
ずかずか遠慮なく皇帝の寝室まで入ってわざわざシーツまでめくっているリステアードは、決して礼儀知らずではない。『兄弟だから』それをちゃんとハディスに示そうとしているのだ。それは別に、リステアードだけではないのだが。
(こっちが光の兄ならあっちは闇の兄だからなー……)
どっちがハディスにとっていいのだか、ラーヴェにはわからない。
だが、ラーヴェはリステアードが嫌いではない。こうであれ、という皇族の理想を体現したような人物。後ろ暗いところの多いハディスはまぶしくて嫌がっているが、こういう人物は必要だ。
「……いないか。まったくどこへ逃げたんだ……」
「あーあの馬鹿、まぁた逃げたのか。ごめんなー」
「いくら誰も話を聞かないからといって僕にまかせっぱなしはどうなんだ!」
「お前に呼ばれて出て行くだけ進歩してるってー」
聞こえないとわかっていて話しかける。ふよふよ浮いてリステアードの回りを飛んでみたが、やはり見えていない。が、踵を返そうとしたところでふと止まった。
「どうした、何見てんだ? ――ああ、ハディスぐま?」
返事はないが、寝台脇に飾ってあるくまのぬいぐるみをリステアードが手に取った。ものすごい眉間にしわをよせてじっと見ている。
「何をどうしたらこれがあんな殺戮兵器になるんだ……」
「まあ竜神の血で魔術を縫いこんであるからなー」
「そもそもこんなものをあの少女にわたすことからしておかしい」
「うーん。それは同意できねーな。嬢ちゃんも大概だからさあ。たまにハディスぐまと組み手してるし」
気づかれないのをいいことにリステアードの肩に脚をおろしてみる。
「本当にあの馬鹿は……肩が重く感じる。まさかこれが肩こりか」
「いやそれは俺のせいかもな。ま、ハディスのせいってことでいいけど」
「しかも手縫いだと? ………………」
黙ってリステアードがハディスぐまのマントをつまんでまじまじ見つめている。
「コケッ」
足元から注意を促すようにソテーが鳴いた。ソテーはハディスぐまを部下か何かだと思っているらしく、目の届く範囲にいることが多い。
「い、いや違う。別に盗もうとしたわけではない。…………妹のフリーダがぬいぐるみ好きなものでな」
びくっと背筋を正したリステアードが気まずげにハディスぐまを持ったまま言い訳を始める。
「ハディスなら……と一瞬思ったんだが……やめておこう。何を作るかわからない」
正しい判断だ。
「……何か、きっかけがあればいいだけなんだが」
リステアードの言葉にラーヴェはちょっとまばたく。
「お前、ハディスと自分の妹の仲、取り持つ気なの?」
「しかしな……初見があれというのが……」
「あー……」
初対面。必死で命乞いをする父親と、それを足元に見おろす見知らぬ異母兄の構図だ。しかも最後のほう、ハディスはちょっとキレた。どちらに理があろうとも、実の父親を廃した異母兄の姿は幼い少女には恐怖だっただろう。ラーヴェもリステアードと一緒に宙を見あげる。
「無理だろあれはー……ああいうことが今後もないとは言い切れないし」
「無理じゃない。ハディスは甘えただが、きっといい兄になれるはずだ」
びっくりしてラーヴェはリステアードの横顔を見る。リステアードはこちらを見ていなかった。ハディスぐまを見ている。
「甘えただった弟の僕が、今、兄をやっているように」
ラーヴェは理の神だ。
だから理屈にあわない希望的観測など解さない。けれど。
「……だと、いいな」
「ラーヴェ、いるか? リステアード兄上はまだきてな――」
開きっぱなしの扉から顔をのぞかせたハディスが中を見るなり、固まった。リステアードが笑う。
「見つけたぞハディス……!!」
「しつこいリステアード兄上! そんなに暇なら仕事すればいいのに!!」
「お前が言うな!! おい待てハディ――あ」
あとずさりするハディスを追いかけるために、慌ててハディスぐまを戻そうとしたせいだろう。リステアードの手から落ちたハディスぐまが花瓶にあたり、棚の角に頭をぶつけて床に転がった。
「……」
「……」
びくっと痙攣したようにハディスぐまの可愛い腕が動く。
ハディスがそれを真顔で見おろし、リステアードが震える足であとずさった。
「う、動くのかまさか、今の衝撃で!?」
「動くよ。今、ためしで攻撃判定の感知能力あげてて」
「どうしてそんな真似した、すぐにさげろ!!」
「リステアード兄上、動かないで。じっとしてれば攻撃されない」
ハディスぐまは視界内で動くものを、動きが止まるまで殴りつける殺戮兵器だ。だからハディスの忠告は正しい。だがしかし。
「じゃああとは頑張ってね!!」
「この状況で逃げるかお前ーーーーー!!」
「僕の兄上なら生き延びられる!!」
竜帝の兄は大変だ。
ソテーはとっくに身を隠している。ハディスぐまが起き上がり、その両眼を光らせた。青ざめるリステアードにラーヴェは聞こえない祝福を送る。
「頑張れよ、あの馬鹿の兄だろ」
これはきっと理にも叶う。そう、願いをこめて。