偽帝騒乱(2)
「何をしていた、お前!」
皆に平伏され帝城に入ったところで、突然胸倉をつかまれた。四ヶ月ほど辺境でのんびりすごしていたハディスは目覚ましを聞いたような気分でまばたく。
(誰だっけ。ええと、確か――)
思い出そうとしている間に強い力で揺さぶられた。
「今までどこで何をしていた。――どうして何もしなかった!」
「何も……」
意味がわからず眉をひそめる。するとヴィッセルが間に入って、引きはがしてくれた。
「ハディス、疲れているだろう。部屋に行っていなさい。またあとで話そう」
「僕が話をしているのはお前じゃない、ハディスだ! お前、わかっていたんだろう。放っておけばこうなることが。違うのか」
「ハディス」
行けと兄が目線でうながしているのがわかった。これまでも散々聞いてきた、責任転嫁の怨嗟の声からかばおうとしてくれているのだろう。
煩わしいのでそのまま足を運ぼうとしたところで、ふと名前を思い出す。
(ああそうだ、リステアード)
「どうして僕がさがしているのに出てこなかった!」
びっくりして足が止まった。
ヴィッセルを振り払い、振り返ったハディスの胸倉をリステアードがもう一度両手でつかむ。
「ナターリエがクレイトスで死んだ」
ナターリエ。一拍遅れて思い出す。異母妹の名前だ。
叔父がクレイトスに支援を求めるために、王太子の婚約者候補として出奔した先で行方不明になったと聞いていた。
(そうか、死んだのか)
どうせまた、叔父とクレイトスとのつながりを切るために自分が殺したとか言われているのだろう。それともいい加減、そんなことをしなくてもよかったことに気づいてくれただろうか。
気づいてないから目の前の異母兄は怒っている可能性がある。
どちらにせよ、これからクレイトスとどちらのせいで死んだのかもめるわけだ。
「聞いているのかハディス!」
「クレイトスともめるってことだろう」
「違う!」
怒鳴られてうるさいなと思いながら、眼前の兄の顔を見る。それで初めて、その両の目に光るものに気づいた。
「どうして、こんな状態になる前に、戻って……ッ!」
自分が戻ってこなかったせいだと言いたいらしい。
相手にするのは煩わしかったが、なんとなく答えなければいけない気がしてハディスはできるだけ冷静に答える。
「僕は警告した。竜帝である僕をないがしろにすれば、竜は当然、人間から離れる。そして天剣を偽った竜神の呪いで、叔父上は遠からず死ぬだろうってね」
「いつ!」
「帝都から追われる際に」
鼻で笑うと、幾人かがびくりと体を震わせた。
おそらくこの中には二ヶ月前、ゲオルグが真の皇帝だとハディスを叩き出し、そして今のうのうとゲオルグを処刑してハディスを迎え入れた輩もまざっているのだろう。
「これが君らの望みだったんだろう。僕はそろそろ懲りただろうかと思って、帰ってきただけだ。その間のことをごちゃごちゃ言われても困る」
もういいだろうと、リステアードの手を引きはがそうとする。そうすると、その手をつかまれた。
「僕は聞いていない」
何を言いたいのかわからず、眉をひそめる。リステアードがハディスに詰め寄った。
「いいか、僕は聞いてないぞ。僕が聞いていたら」
「何ができた?」
冷たく言い捨てたあとでなぜだか可笑しくなって、ハディスは両眼を開いたリステアードに尋ねてみる。
「何をするんだ? 妹を人質にとられても叔父上に刃向かったのか。後ろ盾のレールザッツ公爵家を説き伏せられたとでも? お前が言っていることは、すべてこうなったからこそだ」
「それ、は」
「それともなんだ。また僕のせいか。僕が帝都から追われて逃げていたから、村が焼かれて、竜が離反して、たくさん人が死んで、異母妹も死んで、叔父上と帝民に妙な呪いが出たのか。だったら僕を今から殺してみるか」
言いながら楽しくなってきた。
力の抜けたリステアードの胸を突き飛ばし、ハディスは腹を抱えて笑う。
「いいな、それは。きっと竜は一斉に人間を攻撃するぞ。帝国中が火の海だ! クレイトスも機を逃さないだろう。帝国は滅びる。みんな死ぬ。殺される。そうなりたくないだろう? だから僕が必要だ。だから僕が全部悪いんだ。僕のせいだ。違うのか」
「ハ、ディス」
リステアードが魂の抜けたような声で名前を呼ぶ。途端につまらなくなって、ハディスは鼻を鳴らした。
「文句があるなら死んで言え」
きびすを返したハディスに、誰もついてこない。いるのはたったひとり、胸の内にいる竜神だけ。
(ハディス)
「なんだ、ラーヴェ。こうなったら多少恐怖で押さえつけないと、何も制御できない。そう話し合ったはずだ」
だからすべて放っておいた。皆が額を地面にこすりつけて、戻ってきてくれと懇願し、叔父の首を自ら差し出すまで。
でなければ誰も自分に従おうとしない。争いが増えるばかりだ。
ヴィッセルにもひそかにそう連絡しておいた。いつだって自分の言葉を信じるのは実兄だけだ。あとは誰も彼もがまるでハディスが悪いかのように、脅え、呪い、裏切ろうとするばかり。
「僕は疲れてる。もううんざりだ」
(でもあいつ、いい奴なんじゃないのか)
「そうなんだろうな」
だがああいう奴に限って裏切る。大事なものがたくさんあるから。
ふっと視界の隅に小さな影があった。ふわふわとした髪が柱から見えている。ハディスを見るたびに逃げてしまう、もうひとりの小さな異母妹。
先ほどえらそうに自分に説教してみせたリステアードの、大事な実妹。
「不愉快だ」
ハディスの胸中を、ラーヴェは否定しなかった。




