暑いと世界も設定もバグる・前編
あまりの暑さに「綺麗な海に行きたい。幼女は水着を着るだけで可愛い。海の家の食べ物ってなぜあんなにおいしそうなのか」しか考えられませんでした。
時系列が本編と矛盾するんですが季節感を優先しております。今後の予定も設定も無視したパラレルワールドだと思ってお楽しみください。
自然には勝てない。そもそも勝とうとするのが愚かな行為なのだ。そう悟った日、ついにジルは上申を決めた。
「陛下、海に行きたいです!」
手を上げて発言したジルに、朝食を作っていたハディスが振り向く。
「ええ? 海? なんでまた」
「だって」
ふっと眼差しを燦々と差し込む朝日に向ける。いや、燦々などというものではすまされない。
熱射、灼熱地獄と表現すべきだ。
「外が暑くて……」
「あぁ……確かに。最近、尋常じゃないくらいほんっとに暑いね……」
「もう日を浴びるなんて生やさしいものじゃないです。人類は日に焼き殺される運命なのかと…………」
「それで海かぁ」
こくこく頷いて、ジルはハディスの服の裾をひっぱる。
「みんなで海に行きましょう、陛下。涼しくて楽しいですよ、ぜったい」
「海に行くより帝城にいるほうが涼しいよ、空調対策ばっちりだし」
「ラーヴェ帝国の技術には感服してます! でも、屋内にばっかりいても気が滅入るじゃないですか」
「たまにはゆっくりすごすのもいいと思うな」
朝食を用意しているハディスは、どうやら暑さ故に屋内に引っこむ生活に不満はないらしい。元々、外出したがるタイプではないのだろう。
(逃走癖はあるくせに!)
さて、どうやってその気にさせよう。
「日の光を浴びるのは健康にいいですよ」
「さっき外は焼き殺されるみたいなこと言ってなかった?」
「でもでも、陛下だって最近お買い物にもちっとも行ってないし」
「まあ、僕これでも皇帝だから物は勝手にそろうしねえ。そうだ、今日は冷たいお菓子を作ろうか」
思わず万歳しそうになって、はっとした。のらりくらりとかわされているのだ。油断も隙もない。
邪魔にならない程度にまとわりつきながら、ジルは一生懸命言いつのる。
「それもいいですけど、わたしは海行きたいです! 海!」
「うーん……でもほら、リステアード兄上がなんて言うか」
「わたしとお兄さんとどっちが大事なんですか?」
「そういう台詞ってこういう場面で使うの?」
「使います! 陛下、行きましょうよ、海。泳ぎたいです!」
「朝から何騒いでるかと思ったら、こんなクソ暑い中外に出ろって?」
ハディスの背後からひょいっとラーヴェが顔を出した。
「俺はやだね。海水浴できる場所めっちゃ遠いだろ、ここから。涼むために灼熱地獄の外を移動するって本末転倒だっつーの」
「ラーヴェ様がぱっと移動させてくれればいいです。それでぱっと帰れば日帰りできるじゃないですか」
「竜神なんだと思ってんだよ。あのなーラーヴェ帝国の海はクレイトス王国と違ってあぶねーの」
ぱちりとまばたいたジルの鼻先まできて、ラーヴェが自慢げに笑う。
「海水浴できる場所が限られてんだよ。海竜が出るから」
「馬鹿ラーヴェ!」
「海竜!? そんなのいるんですか!?」
顔を輝かせたジルは顔を片手で覆うハディスの足をがっしりつかんだ。
「絶対行きます、海! 海竜見たいです!」
「いやー……海水浴できるのは基本、海竜がいない場所だし……」
「じゃあ海水浴! どっちか! 陛下お願い、お願い陛下、陛下ってば」
「ゆら、ゆらさないでジル」
「陛下陛下陛下お願い陛下、へいかーへぇーいぃーかあぁぁぁーーーー!」
「わかっ、わかったからジル……酔うから……!」
「ほんと!? ほんとですねやったー! 海! 海竜!」
ばんざーいと両手をあげて喜ぶジルの背後で、やや疲れた顔をしたハディスが冷たく吐き捨てる。
「役立たず竜神」
「悪い……」
■
「海ーーーーーーー!」
「ジルちゃん待って日焼け止め!」
浮き輪片手に白い砂浜を走り出そうとしたジルをカミラが引き止め、何やらべたべたと塗られる。その横をジークがすり抜けていこうとした。
「あ、だめですよジーク! 準備体操しないと」
「準備体操ぉ? これだけ人がいる中でか」
「だめです、足がつったらどうするんですか」
「いいからジルちゃんじっとして。ちゃんと手入れしなきゃだめ!」
カミラににらまれたジルは、不承不承おとなしくする。ジークはジルを待つついでか、その場で屈伸を始めた。
その向こうには大勢の家族連れや友人、恋人達、たくさんの人々が行き交い、青い海が広がっている。あれだけ憎らしかった日差しも、空の水平線まで見える天気のよさも、きらきら輝いて見えた。
(海だ~……!)
今日中は無理かと思っていたが、準備も移動も一瞬だった。ハディスのクローゼットの中から女児用の水着が出てきたときは頬が引きつったが、十四歳未満の少女を花嫁にしたがっていたのだからそれくらいの気遣いは当然、むしろ用意がいいと思うことにした。実際、白に紺色のストライプが入ったフリル付きの可愛い水着にジルは満足している。
あとは護衛のふたりを巻きこみ、ラーヴェにぱっと移動させてもらっただけだ。帰りも同様の予定である。
「もういいわよ、ジルちゃん」
やっとカミラからお許しをもらったジルは、ジークの横で準備体操を始めた。背伸びをしたジークも当然水着だ。日を照り返す筋肉がまぶしい。
「ジークはやっぱり鍛えてますね」
「見るのがそこか」
「カミラは――」
「見せないからね。日に焼けたくないもの」
きっちり上も着込んでいるカミラに、ジルは呆れた。
「魔力訓練でそのうち黒焦げになるのにですか?」
「ちょっと待ってそれどういうこと!? どんな過酷な訓練なの!?」
「あっそういえば陛下は!? 置いてきちゃったんですか!?」
「ああ、そこにいるな」
前屈から顔をあげたジルは、ジークが指さす方向に視線を向ける。
まず、いいにおいがした。浜辺にずらりと並ぶ簡易な建物からだ。海水浴の客を狙った休憩場兼露店から酒やジュースを売る声の中にじゅっと肉を焼く音と濃い目のソースの匂いがまざり、そこで働く人々が忙しく――。
「ってなんで陛下!?」
「あ、ジル」
水着どころかここにきてまでエプロン姿のハディスが、鉄板の前でにこやかに笑う。その間にも器用な手は、綺麗に小麦粉で作った何かをひっくり返していた。
「な、何してるんですか……!?」
「日陰で休ませてくださいってお願いしたんだけど、お世話になるだけじゃ悪いから手伝ってる。あ、いらっしゃいませ~。できたてですよ」
「え、でも、海なのに」
「だってこの日差しでしょ。熱中症で倒れるか皮膚の火傷で苦しむ自信がある」
そんな自信持たないでほしい。
「で、でも陛下、今って魔力が普段の半分以下ですよね……? 魔力による体力消耗は少ないんじゃ」
「そうだけど、外と海の温度差でいつどんな発作が起こるかわからないし……無事海に入れたとしても足がつるとか途中で体力が尽きて静かに溺れる可能性も高い。危険がいっぱいなんだ」
「だ、だからってお店を手伝うんですか……?」
「大丈夫、思ったより楽しいよ。あ、二人前ですね」
リステアードが見たらその場で自死しかねない光景だ。ジルも頭が痛い。
それを知ってか知らずか、ハディスが笑顔で告げる。
「僕は大丈夫だからいっておいで、ジル。ただし、ジークかカミラからは離れないように」
「……ええっと……あの、でも陛下は」
「アタシがついてるわ、ジルちゃん。日焼けしたくないしー」
カミラがひらひら手を振ってハディスを手伝い始める。気の利くカミラのことだ。いい売り子になるだろう。
肩をすくめたジークが声をかけた。
「じゃあ行こうぜ、隊長」
「あ、はい!」
「いってらっしゃい。楽しんでおいで」
ハディスに見送られ、慌ててジークのあとを追う。
踏みしめる砂浜の感触に、潮の匂い。よせては引いていく波の白さ。待ちに待った海だ。
そう思うのに、さっきまで駆け出さんばかりだった勢いも輝きも、少しだけ色あせてしまった気がした。
(……しょうがないか。陛下は元々、体弱いし……よし、こうなったら)
浮き輪を上からかぶったジルに、ジークが尋ねる。
「一応聞くけど、泳げないってことはないよな?」
「あ、はい。浮き輪は楽しいので持ってます!」
「あー、まあわからんでもないなそれは。引っ張ってやろうか」
「え、いいんですか?」
波打ち際で顔をあげたジルに、ジークがそっぽを向く。
「わりと人いるし、沖まで競争ってわけにもいかんだろ。……まぁ、あれだ。皇帝は残念だったが、せっかくきたんだから遊ばねえと」
気遣ってくれているらしい。せっかくだから甘えてしまおうと、ジルは笑い返す。
「なら、見つけたいものがあるので手伝ってくれますか。陛下をびっくりさせてやります」
「おう、なんだ。貝殻とかか? それか魚でも獲るか」
「海竜、つかまえましょう!」
「は?」
拳を振りあげたジルは、ぽかんとするジークを追い越して海に飛びこんだ。




