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 ジルは領主であるベイル侯爵の城に招かれることはなく、要塞化している港の一角に客人として軟禁されることになった。クレイトス王国に海で面しているため港の一部が軍港化しており、軍港にはラーヴェ帝国軍の北方師団が詰めているから、ということらしい。また、スフィアがジルの入城に反対したからとも聞いた。

 ハディスが目をさまさないので、前後不覚な皇帝陛下の婚約者発言をどう扱えばいいか現場も困ったのだろう。お嬢様のわがままを理由に、皇帝の管轄にある軍港に放りこむことでジルの扱いを保留にした。それに子どもとはいえ、ジルは皇帝が襲撃された船にのっていた他国の人間だ。まず、密偵かどうかあやしまれているに違いない。

 漏れ聞いた話によると、ハディスが本当に皇帝かどうか、そこから問題になっているようだった。ハディスはクレイトス王国から帰っていないはずだ、というのだ。半月ほど帰国時期が大幅に違うことが疑惑を招いたようで、皇都に確認中らしい。


(きな臭いな……)


 ハディスが本当に皇帝かどうかなど、スフィアに確認させればわかることではないのか。

 今から起こる歴史を知っていることを差し引いても、雲行きがあやしい。

 だが、敵が何を考えどこに潜んでいるかわからない。扉をぶち壊し見張りを叩きのめして脱出することはわけないが、今はおとなしくしているべきだろう。

 鍵をかけられた部屋でひとり、ジルは椅子の肘掛けで頬杖を突く。


「わたしも事情に詳しいわけではないからな」


 六年後のクレイトス王国では、ここで起こった事件を『ベイルブルグの無理心中』と呼んでいた。

 クレイトス王国から帰国したハディスをもてなすために開かれた宴で、婚約者候補である領主の娘――スフィアが婚約を拒まれ、宴に招かれていた他の婚約者候補たちをひとりひとり殺して回り、城に火をつけて自殺したのである。

 強い風にあおられて火はまたたくまに広がり、ベイルブルグは全焼。ベイル侯爵は娘の無実と常駐していた北方師団の怠慢を訴えたが、ハディスは耳を貸さず、侯爵家の人間はすべて処刑され、一家断絶した。

 侯爵家の失態ではあるが、ハディスに反逆したわけでもその身を脅かしたわけでもない。皇帝を守る軍隊である北方師団もいた。

 なのにハディスは事件後、ベイル侯爵家の領土をすべて皇帝直轄地にして、ベイルブルグを軍港都市として再建した。侯爵家断絶はやりすぎだという批判と、軍港都市化を目的にハディスが仕組んだ事件だったのではないかという憶測が皇太子派から噴出し、ラーヴェ帝国は内部の対立を深めてしまった。


 その対立はクレイトス王国との開戦につながる。

 ベイルブルグの事件後、皇太子派がクレイトス王国に積極的に接触をとってくるようになったのだ。ジェラルドの婚約者として王都で行儀作法だの政治学だのを従軍するまで叩き込まれていたジルは、その使者を見かけたことがあるので、そこは間違いない。 

 しかし、ジルが知っているのは、あくまでクレイトス王国に流れてきた情報だ。敵国の内紛事件は残虐性や非道さを煽って、戦争用のプロパガンダに改変されがちである。そもそもの情報源が皇太子派だ。ハディスにとって都合の悪い話に作り変えて伝えていることも、十分考えられる。鵜呑みにはできない。


(あんな刃物も持てなさそうな女の子がやるとは思えないしな……泥棒猫ちゃんだぞ)


 女性を見かけで判断してはならないのは六年後に学習済みなので、スフィアが無関係だとは思わない。だが、誇張されているか本当は別に原因がある気がする。

 まだ調べる時間があるうちに、なんとかできないものだろうか。

 ジルの記憶では、ジルとジェラルドの婚約が成立したあとのラーヴェ皇帝は、何の問題もなくクレイトス王国に滞在していた。

 ということは、歴史的には、本来のハディスの帰国予定である半月後に起こる事件のはずだ。


「うまく立ち回れば、止められると思うんだが……」


 すでにジルをつれて帰国してしまったせいで時系列がおかしくなっているが、もし同じことが起これば、開戦の一端になる。

 ジルはラーヴェ帝国の皇帝であるハディスの妻になると決めた。ジェラルドから逃げるためだが、どうせなら欲張って、故国との開戦を回避したい。

 歴史を変えるだなんて大袈裟なことを考えているわけではない。だが、開戦したら敵国出身の皇后がどんな扱いをうけるか、想像に難くない。

 それに、故郷やまだ出会っていない部下たちとも戦いたくはない。


(……あの未来ではやっぱり……みんな、死んだのだろうか……)


 それを想像すると、胸が痛む。だが少なくとも今は生きているはずだ。

 たとえもう出会えなくても、それでよしとしようと思った。彼らは自分の部下だったせいでジェラルドに始末されたのだ。だからもう、出会えないのはしかたない。


「嬢ちゃん。元気かー?」

「ラーヴェ様」

「ほれ、差し入れだぞ」


 半透明で壁をすり抜けてきたラーヴェが、ぽんと頭の上にパイを出現させた。ぱっと顔を輝かせてジルはそれを手に取り、さっそく口に含む。

 しっとりした舌触りの生地に、砂糖で煮詰めたチェリーと苺の甘酸っぱさがなんともいえない芳醇さを醸し出している。こんなおいしいものが軍港で出てくるなんて、食文化はラーヴェ帝国のほうが勝っているようだ。


 そう、ラーヴェ帝国に到着してジルが真っ先に知ったことは、食事がおいしいことだった。


 まず料理の品数が違う。パンひとつでも、舌触りやちょっとした香り、味が違うのだ。そしてシチューに合わせるパン、バターだけで楽しむパンと用途に合わせた種類があることに感動した。平べったく四角いパンに片面卵焼きとソーセージと玉葱を薄くスライスされたものが出てきたときは、これを食べるために人生をやり直したのだとさえ思った。

 食材だけならクレイトス王国も豊富だ。何せ大地の女神クレイトスのご加護があるので、領土内のどこでもなんでも育つのだ。どこだろうが食うのだけには困らない、というのがクレイトス王国の豊かさのひとつだった。

 だが、理の加護を持つラーヴェ帝国の料理はすごかった。理とはすなわち工夫なのだ。ラーヴェ帝国ではあちこちなんでもかんでも作物が実ったりしない。だからこそ保存方法やおいしく食べるための知恵が生まれるのだろう。


(チェリーと苺を砂糖で煮詰めるなんて、天才なのか!?)


 チェリーも苺も、クレイトスではそのまま食べるものだ。砂糖も精製はされているが、大量生産する技術が確立していないので、簡単に使えるほど流通していない。もちろんそのまま十分おいしいのだが、こうして砂糖で煮詰めてパイにされるともう悪魔の食べ物である。


「おいしそうに食べるなー、嬢ちゃん。軟禁されてるのとか、気にならねーの?」


 幸せな気持ちでもぐもぐ頬張っていたジルは、呆れたラーヴェの視線に首をかしげた。


「でも待遇は客人ですよ。ベッドもテーブルもある清潔な部屋ですし、お風呂にもいれてもらえましたし……何より三食ついているうえに、ラーヴェ様がこうしてお菓子まで差し入れてくださいますし!」

「重要なのは食欲かぁ。ハディスの見立ては間違ってないってわけだ……」

「ハディス様の容態はどうですか?」

「やっと聞いたな、そこ。ひょっとしてスフィア嬢ちゃんのこと、怒ってたりするのか?」


 ぱちぱちまばたきして、ジルはパイを食べる手を止めた。


「皇帝陛下に婚約者候補や妻が大勢いるのも普通でしょう。わたしは皇帝陛下と出会ったばかりですし、宣言したとおり当分は形だけの夫婦の認識しかないので、怒る理由はありません」


 ラーヴェは小さな目をしばたたかせたあと、妙な笑みを浮かべて部屋の上を飛び回った。


「まーそう言うなって、嬢ちゃん。目をさましたときのあの馬鹿の第一声は『僕の紫水晶は現実か!?』だったし、スフィア嬢ちゃんと既に顔を合わせたって聞いて『もうだめだ……ふられる……』とか一晩中うなされてたぞ」


 危機感を抱くのはいいが、心が弱すぎないか。ただそれだけ気にかけられていることは、素直に、まあ、なんというか。


(嬉しい……ような気も、しないでもないような……)


 赤い顔でパイを噛む。ラーヴェはにやにやしていた。


「でも立ち直るのも早いからなーあれは。準備万端でこっちにくるだろうから、嬢ちゃんも気合い入れて出迎えろよ。……ああ、噂をすればだ」




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