執事と龍
聞こえたのは、男性の声。
驚き視線を向けると、彼もまた驚いたように目を見開き、手に持っていた食器の乗ったトレイを落とした。
ガシャン!と音がして、慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「え!?」
「え!?」
とんでもないことを言われたような顔して声を上げる彼にわたしも声を上げれば、彼はパクパクと金魚のように口を動かした。
なにしてるんだこの人。
「ろ、ローゼン様が……人の、心配を……?」
「どういうこと!?」
食器落とした人の心配して驚かれるって、ねぇ、どういうこと?ローゼンどんだけ悪女なの?
「はっ!す、すみませんローゼン様に失礼なことを!」
「い、いや、こちらこそ……」
ローゼンの無礼を謝ります。なのでどうかわたしの味方になって。
いっそのことそう言ってしまおうかと考えるわたしに、彼はサラサラの黒髪から綺麗な夕焼け色の瞳を覗かせて、真っ直ぐにわたしを見た。
基本的にゲーム内でのローゼンは単独登場だったので、ローゼンの周りのことは分からない。
この美青年は誰なんだろう。執事服を着てるのを見る限りはまんま執事さんに見えるけど。
「ローゼン様では、ない……?」
「え?」
「はっ、す、すみません!出過ぎたことを!」
「いやいやそんなすぐ謝らないでください!そうです、わたしローゼンじゃないんです!分かります!?」
「や、やはり……そうなのですね」
彼は納得したように息を吐き、少々お待ちください、と言って一旦部屋を出て行った。
戻ってくるなり素早く割れた食器を片付け、新しいものをワゴンで運んできてくれる。
「お待たせ致しました。ご挨拶が遅れ申し訳ありません。わたくし、ローゼン様の使用人をしておりますニヒルと申します」
「あっ、ありがとうございます。わたしは西野空といいます」
「ニシノソラ?」
「あ、そっか。珍しく感じますよねこっちだと。ローゼンのままで大丈夫です!」
「……いえ、あなたはローゼン様とは違います。本来のあなたのお名前で呼ばせてください」
「……じゃあ、ソラで」
「承知致しました、ソラ様」
ふわり、微笑むニヒルさん。
とても優しそうな笑顔に、安堵する。
「様なんて大丈夫ですよ!」
「え!?い、いやしかしそれは……」
「……」
「……承知致しました、ですがせめてソラさん、で」
気まずそうにしながらも譲歩してくれたニヒルさんにお礼を言って、テーブルに並べてもらったハーブティーを啜る。
ハーブティーなんてオシャレなもの飲んだこと無かったけど、なんていうか、ハーブだ。
バカみたいな感想を一人心で口にして、ニヒルさんへ視線を向ける。
「ソラさんは、どうしてローゼン様の体に?」
「事故に遭って、目を覚ましたらここでした」
なんとなく、この世界が自分がプレイしてたゲームの世界と同じだということは言えなかった。
だってニヒルさんたちにしたらこの世界がニヒルさんたちにとっての世界なわけで、それを他人からゲームの世界なんて言われたらいい気なんてしないだろうし。
「なるほど……。ローゼン様は二週間前、ある者に奇襲を受け生死をさまよっておられました。血だらけのところをローゼン様の使い魔であるリュカが発見致しまして、こちらへ運んできたのです」
ローゼン、使い魔なんていたんだ。
そんなシーンゲームにはなかったから知らなかった。
あぁでもレガリートにも主人公にも後に使い魔が出てきてたから、ローゼンにもいたっていいのか。
……でも、ニヒルさんもその使い魔もローゼンの傍にいて嫌じゃなかったのかな。ゲームでの悪女ぶりを見てる限りわたしは嫌だったけど。
「あ?なんだよ目ぇ覚ましたのかクソ」
聞こえたのは背後からで、またも驚き振り返る。
この世界ではあれなのか。気配皆無で突然現れるのが常識なのか。
「テメェが死ねばようやく解放されると思ったのによ」
「……あなたが、使い魔?」
立ってたのは少年だった。
真っ赤な髪をツンツンと尖らせた、ちょっと強気そうな顔立ちの少年。
「は?」
「リュカ。この方はローゼン様じゃありません。ソラさんといって、どういうわけかローゼン様の体に入ってしまった別の方です」
先回りして説明してくれたニヒルさん。感謝。
リュカと呼ばれた少年は、もう一度「は?」と口にしたあと、睨むようにわたしを見た。そして数分後。
「ほんとだな。別の女だ」
「分かるの!?」
「あ、あぁ。アイツみてーな気持ち悪い空気ないからな」
「へぇ……使い魔ってすごいんだね」
改めて実感する。
ゲームの中でも使い魔へ視点が当てられることも少なからずあって、使い魔の魔力によって主の強さが決まる、みたいなシーンもあったと思う。
そうだ、それで主人公の使い魔は最初のうちは魔力がほぼなくて、周りからバカにされる。だけどそれを庇う主人公に使い魔も自然と心を許して強くなるのだ。……うん、やっぱチート主人公。
「っ、なんか、その顔でそんなこと言われるとすげぇ気持ちわりい!」
「なんで!?」
「アイツならぜってー言わねーからだよ!使い魔のことなんて最初から見下してるし、ただの盾としか思ってねーしな」
「盾?」
「あぁ。自分が襲われたときに召喚して、代わりに怪我させたりするんだよ。平気でな。ま、この前は召喚する間もなくやられちまったみてーだけど。で、俺には主の命が危険に陥ったとき強制的に召喚される契約があるから、あの場所に行かざるを得なかったってわけ」
ほんとロクでもない、ローゼン……。
げんなりするわたしに少年は続ける。
「さすがにあそこに放置してたら向こうが可哀想に思えて拾ってきたんだけど。……結果的にアンタが来てくれたならよかったかもな」
……どうしよう、可愛い。
抱きしめたい。
「今日のところはゆっくりお休みください。詳しいことはまた明日、話しましょう」
「はい!ほんとにありがとうございます、ニヒルさん」
「いいいいえ!滅相もございません!なにかありましたらなんでもお呼びつけください!それでは」
ビュンッと風のように立ち去ったニヒルさん。
なんだろ、あの冷静モードとオドオドモードの切り替えはどこにあるんだろう。
ぼうっと見送るわたしの視界にひょっこり映ってきたリュカ。
「俺、リュカ。龍の化身」