過ち
◆
今から四千年ほど前―――
フーブは『エウロパ』というコロニーに生まれた。
フーブが生まれるはるか以前、訪れたという人類存亡の危機。
なんとか人類はその危機を乗り越えたが、再びそのような危機が訪れるかも知れない。
そのために『エウロパ』では様々な研究が行われていた。
フーブもまた、人類の未来に資するべく物理学者を志し、難関を突破して人類救済の研究チームに所属することとなった。
当時最先端の研究設備が整った研究棟には二十ほどのチームがあり、人類救済のための技術開発を続ける日々。
一方その頃、『エウロパ』と海を挟んだ先にある大陸―――バルムンドにあった国家『アトランティウス』で内戦が勃発。
理由も経緯も不明だが、内戦は泥沼化。
十億以上いた国民が全滅するという凄惨な結果となった。
その結果を導いた最も大きな理由―――それは『アポカリプス』というナノマシンが散布されたためだ。
“細胞に自己死”を起こさせるそのナノマシンは、人間のみならず動植物、細菌その他、あらゆる生命体を“自己死”させ、バルムンド大陸はあらゆる生命の存在しない『死の大陸』へと変貌していった。
フーブはまだ駆け出しの研究者で、自分に課せられたことをこなすので精一杯。
『アトランティウス』がとんでもないことになっている、という噂は耳にしていたが何が起こっているのかまでは把握していなかった。
『エウロパ』の意思決定機関である評議会も特に声明を出すこともなく、ただ変わらぬ日常が続くのだと、そう思っていた。
しかし―――
突如評議会によって研究棟は閉鎖され、ほとんどの研究者がその身柄を拘束された。
その理由は『研究者による人類への背信行為』があったためという。
無論、皆人類救済のための研究を続けていたし、背信などあるはずもない。
研究者たちの抗議は誰に届くこともなく半月が過ぎた頃、突然解放された。
拘束されていた間、何が起こっていたのか―――
それは『アドミニア』という人類の上位存在とも言える七人の立てた“人類救済計画”に始まる。
『アドミニア』はそもそも人類救済を目的とし、人為的に作り出された人工生命体だ。
優れた知能を有し、この世界の“真理”とも呼べる存在から多くの“叡智”を引き出せる、まさに神にも近い存在。
『アポカリプス』の世界規模の感染によって多くの生命が失われることを推測していた『アドミニア』は『冥府』という“死後の世界”を新たに創り出し、そこに全人類を退避させるという計画を立てていたのだ。
そして『アポカリプス』が全て不活性化するまで『冥府』で保存し、現世の安全が確認され次第、全人類を現世に戻す。
これに反発したのが評議会。
決して死を迎えるわけではないのだが、一旦とはいえ“死後の世界”に送られることに反発し、『アドミニア』の研究に協力していた研究者を拘束した、というのが事の真相だった。
評議会は武力を以って『アドミニア』を排除しようとしたが、『アドミニア』の叡智に敵うはずがなく、フーブたちが解放された時点で一足先に『冥府』へと送られていた。
こうして『アドミニア』の計画通り、全人類は『冥府』へと送られ『アポカリプス』の脅威をやり過ごす事になったのだが、その間、街や農地が放置されていては再び人類が現世に戻る時、生活できず行き詰まることになる。
そこで『アポカリプス』に耐性を持つ存在を現世の番人兼管理人として置くことにした。
少数で広大な地域を管理できるよう、屈強な肉体や俊敏な肉体を有した、人間に近い存在―――それが異人だ。
細胞の代謝能力が高く、『アポカリプス』によって細胞が自己死してもすぐに新たなものに置き換わる。
その代謝の高さから生命力は非常に強いのだが、その分寿命は短い。
そこで成熟の速度も早く、繁殖に関してはかなり若齢から行えるようになっており、また、常に一定数を維持するよう調整されていた。
しかし、現世の環境を維持するためにも人間のように争い合ってもらっては困る。
そこで異人たちは闘争心を抑えるよう調整され、種の維持に必要な状況以外では極めて大人しい性質を有していた。
人類が『冥府』へと送られて千年―――
ついに人類が現世へと戻る時がやってきたのだが、異人たちをどうするか、という問題があった。
異人たちも人類に比べれば少数とはいえ数百万規模の人口であったし、全人類が現世に戻った場合、生活圏が逼迫する。
そこで人類の代表と異人の代表とで協議した結果、異人たちは開拓されていない原野を開拓し、移住することになった。
棲み分けが出来た人類と異人は共に繁栄し、百年ほどは平穏な日々が続いていた。
しかし、異人たちと違い一定数を維持するよう調整されていない人類は一気に人口が増え、新たな生活圏を得る必要に迫られた。
そして選択したのは事もあろうに異人たちの居住地を奪うという愚行だったのだ。
戦うことを知らない異人たちは劣悪な地へと追いやられ、そこを開拓してはまたも奪われを繰り返し、そして―――
人類はついに異人たちを“死の大陸”バルムンドにまで追いやった。
草木一つ生えない乾ききった大地―――
そんな場所で命を繋ぐことなど出来るはずもない。
異人たちは神に祈った。
「どうか救済を」と。
その声に応えたのが『冥府』を創り出した神にも近い存在、『アドミニア』だ。
実は人類を現世へと戻す際、『アドミニア』と共に研究をしていた研究者たちは『冥府』に残ることを選択していた。
人類救済のためにという目標を持って生きてきたのだから、それが叶った今、現世に戻る理由などない。
いつか再び人類存亡の危機が訪れたなら、現世に戻り人類を救うのだと。
『アドミニア』はフーブたちに今度は異人を救うよう依頼した。
摂理の一部を与えるので、その力を以って異人たちを救済して欲しいと。
皆、新たな使命を得て歓喜した。
そして力を与えられたフーブたち、かつての研究者は神として現世に戻ったのだった。
「そんなことが・・・わからない言葉も多かったですけど、人間が自らの都合で異人を創り、自らの都合であの大陸へと追いやった、ということだけはわかりました」
「私もごく一部とはいえそれに加担していたわけだから人間を責めるわけにはいかないが。しかし、いまさら人間たちがあの大陸を求めたからといって渡すことは出来ない。あの大陸は異人たちのものだ。人間にはそのことを弁えてもらわねばならん」
苦難の歴史を辿った異人たちにようやく与えることが出来た安住の地だ。使命を与え創り出したものとしての責務は果たさねばならない。
「その・・・あなたも元は普通の人間だったんですよね?」
「そうだが?」
「人間に敵対することに迷いはないのですか」
リックの言葉にフーブは苦笑するしかない。
「奴隷にまでされておきながら何を言う。人間をもっとも憎み殺してきたのは人間だよ。それは過去現在、おそらく未来も永劫に変わることはない―――」
「それは・・・」
人間の矮小さは思い知った。それはフーブが人だった頃から変わっていないのだろう。
あの時、評議会はただ『冥府』行きを恐れて『アドミニア』排除に動いたわけではないという確信がフーブにはあった。
『アドミニア』は人類救済のために創られた。
フーブたちは『アドミニア』と共に研究してきたのだから、その人となりもよく知っている。
人造生命体というものには機械的な響きがあるが、『アドミニア』は感情も豊かで他者を慮る優しさも持ち合わせていた。
その彼らが評議会に敵対したということは、人類に対する背信行為があったのは評議会の方だったのだろう。なにか欲に塗れた理由があったはずだ。
だが、彼らは何も言わなかった。
人類間での不信を高めないための配慮だろう。
「私は神としての力を得たが、心は人のまま、何も変わってはいない。ならば為すべきはひとつ。自身の信念に従い、護るために力を振るう。他者の命に順位をつけてな」
「そう・・・ですね。失礼しました」
「さて、そろそろ国境かと思うが・・・」
峡谷に降りることは難しいとはいえ、不可能ではないのだから網を張っている可能性はある。
「あの辺りだと思います」
リックが指した先、川幅が狭まって、小さな滝になっているあたりが国境らしい。
周囲を警戒してみるが特に人の気配はない。
上方は木が生い茂り、砦の様子は伺えない。
「このまま進むとじきに大河ペルセウスに出ます。その合流点周辺は警備が厳しくなっていると聞いたことがありますが」
「なるほど」
視認が難しい峡谷内ではなく、峡谷から出る辺りに網を張っているのだ。
「その大河からリヒテンタール王都まではどのくらいかかる?」
「川を下っていったことしかありませんのではっきりとはわかりませんが、二、三日といったところでしょうか」
「王都はその大河の先か」
「はい。リヒテンタールは運河が発達している水路の国ですから」
「つまり陸路はあまり発達してないのだな」
さすがは人間の国で第二と言われる軍事国。敵の進軍を防ぐためにあえて水路を発達させたのだろう。
しかしそれはフーブにとっては好都合。
氷結能力を有するフーブにとっては水路も陸路と変わらない。
当然船での哨戒が主なのだろうから、凍結させてしまえば動きも封じることが出来る。
「途中で上に上がろう。最短距離で行くぞ」
「はい!」