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別れ


「あなた達は生き残りを連れ、国へお戻りなさい」

突如呼び出された天幕の中、フーブは愕然とした。

「何をおっしゃいます!!?あの下郎を討ち滅ぼすまでお傍で御身をお護りすることが我らが使命!!!ここでお傍を離れるなど出来ようはずがありません!!!」

金の髪の女神は優しく微笑むとフーブの頬に触れる。

「あなたも見たでしょう?人がどれほど残忍なのかを。自身を守るためになら同族ですら盾とし、殺戮することが出来る―――これより先、どれほど卑劣な手段を打ってくるか、見当もつきません。私のわがままでこれ以上、皆の命を失わせるわけにはいかないのです」

「アーリヤ様・・・」

フーブの瞳から溢れる水滴はこぼれ落ちるなり凍り付き、宝石のような結晶を足元へと落としていく。

「あなた達の“氷結”の力は神々の中でも際立ったもの。皆を守るにはあなた達の力が必要です。どうか、一人でも多くの者を無事、家族の元へと連れ帰ってください」

「お一人で・・・向かわれるおつもりですか」

それだけは決してさせられない。

神を統べるものでありながら、神を、同胞を手に掛けたあの下郎に直接対峙させるなど。

ただでさえ、あの男の元にはキレフの子らが人質に取られているのだ。

お優しいこの方ではキレフの子らを盾にされてしまえば手が出せない。

「承服・・・出来ません」

フーブの言葉に少し困った表情を浮かべたアーリヤ様だが、フーブの傍らにいた男たちも一歩前に出た。

「我らも『インベスタ』と同様の気持ちでおります。我らが使命は御身をお護りすること。ただそれだけです」

そう告げたのは“燃焼”を司る『フライム』の長、シャットだ。

「それは違います。私とムーリヤはあなた方に降りかかる諸問題に対処するため遣わされたもの。仲裁と調停がその役目であるが故にあなた方に従っていただいてはいますが、あなた方を統べる立場にはありません」

「そのようなことは!!」

「あなた方の使命は異人たちの未来を共に築くことにあるはずです。お忘れですか?」

アーリヤ様の言葉にフーブたちは黙るしかなかった。

かつて人に死の大陸へと追いやられた異人たちの嘆きに応え、創造の七柱が現界へと遣わした神々―――それがフーブたち『アマツムカイ』の民だ。

異人と共に歩み続けること千年。

死の大陸は多くの生命あふれる緑の大地へと変わり、すでに神としての責務は果たしたつもりだった。

実際、この二百年ほどで神々の半数は生き続けることに飽いて創造の七柱の一柱、『アリオト』に乞い願い、輪廻の鎖から外れることを選んでいる。

それでもフーブたちが今なお生き続けているのは、異人たちの未来を愚かな人の手から護らねばならないという義務感があったからだ。

神の多くは死に絶えた大地に命を取り戻すための現象を司っているが、フーブたち一部の神は“燃焼”や“流動”、そして“氷結”といった原初の現象を司り、それは戦うための力にもなり得る強力なものであった。だからこそ、フーブたちは生きることに飽くこともなく、眷属の繁栄に注力してきたが―――

「ムーリヤのことはすべて“対のもの”である私に責任があります。ですから私自身が解決せねばならないのです。あなた方には、此度守った人々を故郷へと帰す役目を負ってもらいます。征服され無理に連れこられた人々です。必ず、無事に故郷へと連れ帰るのですよ」

シャットたちを見つめ微笑んだアーリヤ様に、皆が膝を付き頭を下げた。

「我が生命、我が力のすべてを賭して必ず!!!」

その姿にフーブはわずかに顔をしかめる。

創世の七柱から下された“運命の双子”―――

二人が下され、初めて腕に抱いたフーブたちにとっては仕えるべき上位神である以上に、我が子のような愛おしさが強い。

だからこそその言葉に抗えない。

どれほど理知的で、その反面為政者としての責任にどれほど自身の感情を抑えてきたか、そのすべてを知っているからこそ抗えないのだ。

「フーブ、あなたもお願いします。彼らにも食糧が必要ですし、あなた方が国に帰るまでのことを考えるともう余裕はないでしょう」

食糧は海をわたる際に潤沢に用意したとはいえ、数万の人々に配るとなると早々に撤退する必要がある。

「どうかサングィスタ、シルヴェスタと共に異人たちの未来をより良いものへと向かわせてください」

「――――はい」

断腸の思いで頷いたフーブは天幕を出ると、すぐに眷属に撤収の指示を出した。

眼下の盆地には数万の人々が悄然とした様子で座り込み、その間を異人や眷属が手当や炊き出しで忙しく動き回っている。

こちらの軍を足止めするために、近隣の小国を蹂躙し、征服し、奴隷とした人間たちを強制連行してきたムーリヤ率いる人間たちの連合軍―――

傷ついた奴隷たちを哀れんだアーリヤ様は究極の回復魔法、『天上の雫』を以って癒そうとしたが、その隙を突いた人間たちの連合軍はムーリヤから得たのであろう魔法で以って奴隷たち諸共アーリヤ様を抹殺しようとしたのだ。

偉大なる護り手であるアーリヤ様の守護魔法、『悠久なる光壁』でその目論見は阻止されたが、これほどの愚行に及ぶとはこちら側の誰も想像していなかった。

人間がどれほど身勝手で、残酷なのかはよく理解していたはずなのに―――

とはいえ、フーブ自身もその遡形は人間でしかないのだという事実に自嘲が漏れた。

神として使命を与えられたとはいえ、それはただの罪滅ぼしでしかない。

人間の都合で異人たちを生み出し、そして人間の都合で死の大陸へと追いやった。

その罪を贖うためにこうしているだけ。

身勝手なことに変わりはない。

撤収の準備をするために丘を下っていると、“流動”を司る神、『ワニマ』の長、ヒューイに行き合った。

「本当にアーリヤ様をお一人で行かせるつもりか」

責めるような言葉にフーブは眉を顰める。

「ならお前がアーリヤ様を説き伏せろ」

キレフの子らが人質に取られている以上、行かないという選択肢はアーリヤ様には無い。

「異人たちを無事に帰国させるのがアーリヤ様の願いだ。その願いを無碍にしろというのか」

「現状、戦力としてはこちらが圧倒的に上だ。連中、魔法を得たとはいえこれまで温存してきたからにはそこまで数が揃ってないんだろう。ならば眷属はアーリヤ様に同行させても問題ないと考えるが。うちも半分をアーリヤ様に同行させて―――」

「奴隷たちを無事に故郷に帰すように言われてるだろう。あの人数を戦力を割いて守りきれるのか?」

「それは・・・」

『アマツムカイ』の中核となる『ワニマ』『フライム』共に眷属は二百名ほど。

最大勢力である『インベスタ』でようやく三百だ。

他の神の眷属は百名に満たないものばかりで、迂闊なことをすれば滅びてしまう。

ただでさえ『アマツムカイ』へと人間たちが侵攻してきた一件で多くの眷属が滅ぼされてしまった。

先の一件では輪廻から解放された神々の眷属が大半を占めていたため、大きな影響はなかったが、眷属の消滅は神の消滅を意味する大事だ。

人間の軍と対峙するのは十分な戦力を有する『インベスタ』『ワニマ』『フライム』で当たるしかない上に、こちらが奴隷を保護した以上、人間側も奴隷の存在を看過しないだろう。

「人間たちの追撃は確実にある。奴隷たちを守りながら戦うことがどれほど難しいか、わかってるだろう?」

眷属の力ならば人間ごときに遅れを取るようなことはない。

だが、足手まとい以外の何物でもない奴隷たちを守りつつ戦うとなると、その難易度は跳ね上がる。

「しかし・・・」

ヒューイが言いたいことはわかっている。

人間の奴隷に守ってやる価値など無い―――

その天秤にかけられているものがアーリヤ様であるならば言うまでもないことだ。

「それ以上は言うな。アーリヤ様の御心を踏みにじることになるぞ」

フーブの言葉に悔しさを隠そうともしない表情を浮かべたヒューイは、何も言わず走り去っていった。

「はぁ・・・」

自然とため息が漏れる。

一体、どこで、なにを間違ってしまったのだろうか。

ムーリヤとアーリヤ様。

フーブたちと違い、赤子の姿で顕現した二人には教育が必要だった。

とはいえ、異人たちを救う神としての知識は元々二人には与えられていたし十年も経てば上位神として、そして為政者として、眷属間、異人間の揉め事を解決出来るほどにはなっていた。

ただ、道徳的な部分は知識としてではなく、経験から学んだことこそが確実な理解へと繋がるがゆえにフーブたちは二人に掛け値ない愛情を注いできたつもりだった。

アーリヤ様も、ムーリヤも、上位神として仲裁と調停を行うに相応しい人柄に育ったのだと、そう思っていたのだが―――

「フーブ様」

正面から道を駆け上ってきたのは長の代理を任せているリリアだ。

「シャット様より伺いました。異人たちを連れ撤退せよとの命を受けたと」

「そうだ。異人たちを無事、国まで連れ帰る。それがアーリヤ様の思し召しだ」

「本当に・・・よろしいのですか?」

「まさか人間がこんな愚行に及ぶとは考えていなかったこちらの不足だ。しかし、キレフの子らを救わねばならん以上、アーリヤ様はお下がりにはならないだろう」

「しかし、アーリヤ様お一人で救出が叶いますでしょうか?」

「交渉なさるおつもりだろう。せめて、ムーリヤに最後の良心が残っていることを願うだけだ」

自身と引き換えにキレフの子らの解放を要求するしかもう手はない。

人間どもがそれを飲むとは思えないが、対のものであるムーリヤにまだ情が残っていることを願う以外にない。

「あの下郎に良心など、そもそもあったのですか。キレフ様を手に掛けたのですよ?」

常に冷静なリリアが珍しく荒げた言葉にフーブは目を伏せた。

『アマツムカイ』の中心地である『ハルマイア』を所領として与えられていた神の一柱、キレフ―――

現象を司る神々の中で唯一人、現象ではなく“他の神の能力を増幅する”力を有していた特異な神。

その特異な力故に自身では戦うために振るえる力は持たなかったが、身体能力に優れた異人たちと厳しい鍛錬を積み、非常に屈強な肉体を有する武闘派だった。

しかし、決して血気に逸る性格ではなく、一本通った道理は有しながらも常に状況を鑑みて柔軟に対応できる、冷静でありながら、情に篤い男でもあった。

アーリヤ様とムーリヤ―――『運命の双子』が下される以前から神々とその眷属の間で起こった揉め事を解決してきた、いわば顔役としての一面も持っていたキレフに全幅の信頼を置いていたのがアーリヤ様だ。

実際には信頼以上の感情を有していたのだが、上位神としての自身の立場を超えるわけには行かずそういう口実で関わっていたことをフーブは知っている。

そんなキレフをムーリヤが手に掛けたのは半年ほど前―――

上位神として仲裁と調停を行っていたムーリヤだが、十年ほど前からなぜか人間に興味を持つようになった。異人たちがなぜ、死の大陸へと追いやられたかも知っていたというのに―――

人間たちが大陸への進出を狙いムーリヤへと接触するようになった頃、フーブを始めとして多くの神々がそのことに苦言を呈し、事の始まりをこれでもかというほどに言い含めたはずなのにムーリヤは人間たちへの興味を深めていった。

アーリヤ様からも幾度となく忠告されていたはずだが、それでもムーリヤが懲りる様子はなかった。

そして―――

なかなか思うように懐柔が進まないことに業を煮やした人間たちはワーウルフの子を攫い、その子を海辺の漁師町へと隠したのだ。

子を攫われた親は当然取り戻しに向かったが、子を目の前で惨殺され怒り狂った。

圧倒的な身体能力を持つワーウルフに人間たちが抗えるはずもなく、漁師町は壊滅。

数百人を投入してなんとかワーウルフを討った人間たちは、ムーリヤにこう吹き込んだ。

異人が善良な街人を襲い虐殺した―――と。

この嘘を信じ人間側についたムーリヤに異人たちはもちろん神々も激怒した。

このまま人間側につくならば制裁を―――

そう声高に叫んで。

それを止めたのがキレフだった。

キレフは制裁と排除を叫んだ神々をなだめ、ムーリヤの言い分をまず聞くことを提案し、ムーリヤを諭すことに注力していた。

キレフに任せればもう大丈夫だろう―――そんな甘えがあったことは否定しない。

まさか、ムーリヤがキレフの殺害に手を貸すなど―――誰一人として思いもよらなかった。

フーブたち『インベスタ』がそれまで活用できていなかった『アマツムカイ』北方の地、『フェンネル』を開拓すべく、『フライム』『ワニマ』そしてアーリヤ様と共に向かっていた時それは起こった。

突然人間たちが大軍を率い、キレフの所領へと侵攻してきたのだ。

当時、キレフの所領に住んでいたのは大半が輪廻から解放された神々の眷属、そして戦いには向いていない力を司る神々とその眷属だった。

突然の侵攻に抗う術すらなく、神々と眷属は次々と虐殺されていった。

キレフは鍛え上げてきた肉体と闘技によって善戦し、一度は人間たちの軍勢を居城から追い出したと聞く。しかし―――

いったい、その場で何があったかはわからない。

ただ、ムーリヤがキレフをその手にかけたことは事実だ。

人間の軍勢の侵攻の報と、キレフの訃報を受けたアーリヤ様が初めて見せた剥き出しの感情―――

それまで存在すら知らなかった転移魔法でハルマイアへと向かったアーリヤ様は神々を統括するものとして有した圧倒的な力を以って、キレフの所領へと侵攻してきた人間たちを蹂躙し、同等の力を有しているはずのムーリヤすら虫けらのごとく叩きのめした。

血濡れて伏したムーリヤを前に止めを刺そうとしたアーリヤ様だったが、人間たちに人質として盾にされた子らの姿を見て何もできなくなった。

首筋に刃物を当てられた子らだったが、フーブの『氷結』ならば人間たちだけを凍結させて子らを救い出すことが出来る。

しかし、動こうとしたフーブをアーリヤ様は縋り付いて止めた。

怒りが冷め、これ以上大切なものを失う恐怖がアーリヤ様を支配していることは手に取るようにわかった。

結局人間たちがキレフの子らを連れ出すのを見送るしか出来ず、キレフを失ったアーリヤ様は憔悴しきって伏せるようになってしまった。

とはいえ、人間たちの暴虐を看過するわけにも行かない。

生き残った神々で相談し、異人たちと眷属とで軍を編成してキレフの子らの奪還することを決め、こうしてアーリヤ様を連れ出し海を渡ったのだった。

「どうあれ、他に手段がない。連中がこちらの思いも及ばぬ手段を使ってくることははっきりしたし、異人たちの犠牲も決して小さくはないのだ。これ以上、無為に命を散らせるわけにはいかん。わかってくれ」

フーブの言葉にリリアは小さく頷くと小道を駆け下りていった。

フーブは天幕を振り返る。

『運命の双子』が下されたあの日―――

自身の腕に抱いたあの小さな赤子は、上位神であるという以上に我が子のような愛着がある。

フーブが教育を担当していたのはわずか十年ほどだが、以来二百年の時を傍らで見続けてきたのだ。

ここで別れることは辛く、苦しいものだが、彼女にはすでに愛する者の喪失というこの上ない苦痛が襲いかかった。

その上で愛する者の子を見捨てるなど、彼女に出来ようはずもない。

たとえ、救出と彼女自身の命を引き換えとすることになっても、迷うことなくそれを受け入れるだろう。

彼女に道を説いてきたものとして、それを止めることが許されるはずがない。

フーブの頬から転がり落ちる結晶―――

ぐっと目元を強く拭ったフーブは、自身の眷属の天幕へと走るのだった。


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