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挨拶回り

「荷物、早く着いて良かった」

 お昼過ぎ、私が荷解きをしていると再び林さんが来てくれた。

 近隣の人達に挨拶に行くのに付き添うのも、定住支援課の仕事なのだそうで、他の仕事をさっさと済ませて戻って来てくれたのだとか。

「自治会に正式加入して自治会費を払うのは、お試し期間終了後も引き続きここに住むとなった時で結構です。でも、ご近所の方々とは密に交流があったほうが住みやすいと思うので、早めに挨拶に行った方がいいでしょう」

 また背筋を伸ばしたお仕事モードに戻っている、林さんの硬い口調になぜかホッとした。まさかいきなりナンパされると思っていなかったから、次に会う時、どんな顔をしたらいいのだろう、やっぱり名前呼びしないと駄目かなと、ちょっとドキドキしていたのだ。

 引っ越し業者が来た時に、すでに近所の数人とは顔を合わせたという話をすると、林さんはにっこりと、それはそれは眩しい笑顔で答える。

「それはいい。皆とても良さそうな人達でしょう? 年寄りばかりだけど」

「はい」

 働き盛りは仕事に出ている、平日の日中という時間的なこともあるだろう。だけど、確かにお年寄りが多かった。若くてもせいぜい私の親くらいの世代だ。

「では、挨拶に行ってから家具を運ぶのを手伝いますね」

 冷蔵庫や洗濯機などの大物の家電は、業者の人が設置場所に置いてくれたけど、予想外に早かったので、まだ置く場所を決めていなかったタンスなどは部屋の中央に置いたまま。それを運ぶのを『個人的に』林さんが手伝ってくれるという。

 それはいいんだけど……この家、何かいるんで移住をやめるかもとは言い出せないままだ。 言っても信じてもらえるかも怪しい。コイツ頭がおかしいと思われたくもないし。

 それにやめるってことは、林さんともお別れになってしまう。そう考えたら言い出せるわけがない。第一、近所の人に挨拶に行くという地点で、私はもののけと同居でここに住むのを決定してしまっているということだ。

 シロさんはあれから姿を現さないし、声も聞こえない。階段の鍵をかけてあるからかな?

でも、考えてみたら人じゃないんだから、壁なんか通り抜けられるんじゃ……なのに出てこないところをみると、本当に家を守っているだけのいい奴なのかも。

 そんな事を思いながら、スーツケースに詰めて来た、簡単な挨拶の手土産を持って林さんと近所の家へ。

とりあえずは同じ組の家にだけ挨拶に行くという。

組とは、自治会の中で幾つかに分かれている最小の組織のようなもの。私はマンションに住んでいる時は自治会に加入していなかったからよくわからなかったけれど、実家の方で回覧板を回したりする範囲が組だったのだろう。要は本当に隣近所の数件ってやつ。

 すぐ下の家は、建て替えたのか少し新しめの家の森川さん。お年寄りの夫婦が住んでいる。ご主人は今、畑に行っていると、白髪で腰の曲がったおばあちゃんが一人で迎えてくれた。このおばあちゃんには、さっきも表で会った。

「こちら、引っ越してこられた蒔田菫さんです」

「よろしくお願いします」

 林さんに紹介されて、私が改めて頭を下げると、森川のおばあちゃんは見るだけでほっこりするような笑顔を浮かべる。

「こんな年寄りばかりの村に、若い人が来てくれて本当に嬉しいのよぉ」

 今のところは簡単な挨拶だけで済むと思っていたのに、おばあちゃんはちょっと待ってな、とゆっくりと立ち上がって、奥に入って行った。足腰が弱っているのがよくわかる、気の毒になるほどヨタヨタとした歩きで帰って来た時には、手に何か入った白いレジ袋を提げていた。それを差し出すおばあちゃん。

「こんなもんしか無いけど、食べて」

「え? 私に?」

 袋の中には、結構な量の鞘つきのエンドウ豆が。薄い緑がとっても綺麗。

 私、豆は大好き。豆ごはんとか贅沢だよね!

「いただいてもいいんですか?」

「せっかく作っても年寄り二人では食べきれんし、近所も作ってる。息子のところに送ろうかって言っても、孫が野菜食べんからいらんって言ってねぇ」

 都会のスーパーでこんなに買ったら、すごく高いのに。ありがたやありがたや。

 思わぬ頂き物でホクホクして森川さんの家を後にして、次はお隣の家。ここも比較的新しい感じの瓦葺きも美しい純和風の家。表札には林の文字が。

「あ、ここは林さんだ。同じ苗字ですね」

 役場の方の林さんに声を掛けると、なんだか微妙な顔で笑っただけだった。

 インターホンを鳴らすと、元気そうなおじさんが飛び出してきた。実父と同じくらいの歳の、まだ中年のおじさん。この人は、さっき荷物が届いた時に表で挨拶した人だ。

 林さんに紹介されて改めて挨拶すると、賑やかな声で奥さんは今、町のスーパーに買い物に行ってると説明してくれた。

「大歓迎するよー。長いこと住んでおくれな!」

 大工さんだという林のおじさんは、家の修理なんかがあったら気軽に声を掛けてくれと言ってくれた。これからリフォームしようという私にとって、これはものすごくラッキーだ。恐らく、ものすごくお世話になると思う。

 ぜひ奥さんとも仲良くなりたい。また来ますと行きかけたところで、呼び止められた。

「そうそう! これ。さっき畑で採って来た。どうぞ」

 差し出されたのは透明のビニール袋。その中に入っているのは……エンドウ豆。

 森川さんにも貰ったとは言えず、いただいておく。今がまさに旬なのだろう。

 坂を少し下って次の家に。

「あら、ここも林さんだ」

 私が驚いていると、役場の林さんはまたも苦笑い。

「先のが源太さんで、ここは博さん。この地方、林って名字が多くて……というか、十人中四人くらいは林かもしれない。だから下の名前で呼ばないと、どこの林かわからない」

「そうなんですね」

 全国的にみても、地域ごとで同じような苗字の人が多いというのは聞いた事がある。詳しい人なら名字を聞いて出身地やルーツがわかるとか。

 でもややこしいなぁ。ここにも林さんがいるわけで。

「じゃあ、あなたは悠斗さんと呼びますね」

 そう私が言うと、役場の林さん……もとい悠斗さんは、なぜか私の顔をじっと見た後、空を向き、目を閉じてガッツポーズをした。よっしゃって聞こえた? 何なの、そのリアクションは?

「ど、どうしたの?」

「いや、なんか菫ちゃんがやっと名前で呼んでくれて、ジーンって感動して」

「……はぁ」

 面白い男だな、悠斗さん――。

 博さんの方の林さんは出勤中みたいでお留守。また出直そうと早々に次の家に。

 畠さんのところは、いかにも農業をやっていますというお家だ。綺麗にコンクリート舗装された敷地内には、大きな農業用機械が数台入った車庫、家の前には収穫に使いそうなコンテナが積まれている。

 玄関先に大きめの犬がいて、呼鈴を鳴らせない。見慣れない人間に警戒しているのか、ばうっと吠えられてしまった。

 その声で、倉庫から作業着のおじさんが出て来た。六十代後半ってところだろうか。とても人懐っこそうな人で話しやすそうな人だ。

 おじさんが犬を宥めてくれたので、ここでも悠斗さんに紹介されてご挨拶。

「へぇ。菫ちゃんね。ベン、吠えたらあかんぞ」

 このワンちゃんはベンっていうんだ。和風な見た目だけどわりと洋風な名前だな。

「よろしくね、ベン」

 もう吠えない犬はくぅんと可愛い声を上げた。お利巧さんみたい。この子とも仲良くなれるといいな。

 話していると、畠さんが私に尋ねる。

「畑もやるんかい?」

「はい、出来れば野菜を育ててみたいと思っています。でも全くやったことがないので」

「任せときな。教えてやるからなぁ。道具も無いなら貸すで、遠慮のう使うてくれ」

 この畠さんのおじさんにもお世話になりそう。畑仕事の先生になってもらわないと。

「お願いします。まず、とりあえずは何をしたらいいでしょうか?」

「そやなぁ。まずは長いこと放ったらかしの畑の草取りからかな。春先から冬まで、特に今の時期は毎日が雑草との戦いや。刈ったしりから伸びて来る。放って置いたら家も畑も埋もれてしまう」

「雑草との戦い……!」

 なんだか恐ろしい言葉を聞いてしまった気がする。草むしりも覚悟はしていたとはいえ、戦わねばならないほどなのか。しかも冬以外はって事は年のうちほとんど……。

「まあ、おっちゃんらも手伝うから。ぼちぼちやったらいい」

 そんな言葉にホッとしつつ、足元に寄って来たベンを撫でていた時。

「まだしばらくは何も採れんやろ。ほれ、これ。今しがた畑で採って来たとこ」

 ……と、畠さんに差し出された袋には、大量の緑のすでに見慣れたアレ。

 ううっ! またエンドウ豆! しかも先の家々の倍ほどある。だがもう貰ったからと、せっかくの好意を断れない。作り笑顔で答えるしかない私。

「えっと……こんなにいただいても?」

「勿論。また他のものも出来たら貰っておくれよ」

「あ、ありがとうございます」

 そんなわけで、畠さんの家でもらった分も加わり、大量のエンドウ豆をぶら下げて次の家へ。

 横でくすくすと悠斗さんが笑っている。

「どこの田舎もこんな感じだと思うよ」

「はぁ。皆親切なんですね。でもこんなに沢山……悠斗さんも半分持って帰ってください」

 分けちゃえばそう困らないかなと思っていたのに、悠斗さんは苦笑いで首を振った。

「あー、ウチも親が作ってるから。あげたいくらいあるよ」

「そうなんだ」

 ちょっとがっかり。この量を私一人でかぁ……。

「これからは、待ってましたとばかりに、あっちこちから野菜が届くよ」

「ありがたいといえばそうですけど……」

「ありがた迷惑になって来るよ、そのうち」

 こういっちゃなんですが、すでになってます―――。

 次のお宅は、私の家に負けず劣らずの古い家。小豆色の塗炭をかけた茅葺の屋根と、大きなカキの木のある広い前庭が素敵。それにしても大きいなぁ。蔵の白い壁もとても目を引く。

 この家は木村さんというらしい。

 呼鈴がみつからなかったので、玄関の引き戸を細く開けると、やっぱりウチと同じで、古い家の土間の匂いがした。冷っとした空気も似てる。

 悠斗さんが声を掛けると、はーいという声とともに、奥から上品そうなおばあちゃんが出て来た。

 用事の途中だったのか、彼女は手にお盆を掲げている。その上の白い盃に入ってるのはお酒みたい。ふんわりといい匂いがする。

「ちょっと待っててね。これを先に置いて来るでね」

 そう言い残して奥に行き、すぐに帰って来た。

 ここも子供の世代は町に行ってしまったお年寄りの二人暮らし。ご主人の方は週に何日かデイサービスに行っていて今日は留守。奥さんだけだった。

 ここでも紹介されて挨拶という一連の流れの後、特に気になったわけでもなかったけれど、話すきっかけにでもと何気なく聞く。

「さっきのは神棚へのお供えですか?」

 おばあちゃんは意外にも首を横に振った。あれ? 違うの?

 そしておばあちゃんの口から思わぬ言葉を聞くこととなった。

「あれは、家の主さんのお酒。毎日あげとるのよ」

 ……え? 今なんと……

『ワシはこの家の主じゃ』

 シロさんは自分の事をそう言った。ひょっとしてこの木村さんの家にもあんなのがいる?

「家の主、この家にもいるんですか?」

 ドキドキしながら尋ねると、木村のおばあちゃんは穏やかに微笑んで言う。

「この辺りではね、昔から、古い家には目には見えんけど、家の主がいて、家を守ってくれてるって言うんよ。だから毎日無事に過ごせるのは、『主さんのおかげ』って、お酒をお供えするんよ」

 おおっ! それは。衝撃の新事実発覚じゃない!

 ……シロさんみたいなの、やっぱりどの家にもいるんだ! そして目には見えないものなのか。

「その家の主って、見える人もいるんですか?」

「さあねぇ。あたしゃ見た事無いし、見えるって人は知らないね。でも、あたしらの親やその前の代の人達は絶対にいるんだって信じてたから、見える人もいたんだろうね」

 このおばあちゃんは八十前くらい。その親の代やその前っていったら……もう昔々の話だとしかわからない。

 私の家も途中で少しずつ手が入っているとはいえ、築百年近い。真偽のほどはわからないにしても、シロさんはあの家が建った時からいると言ってた。

 考えてみたら年寄りだねシロさん……綺麗なのに爺さんなんだな。物の怪に歳は関係ないのかもしれないけど。

 木村のおばあちゃんは更に続ける。

「あの家も古いからねぇ。家の主さんがいると思うよ」

 はい、おります。思いっきりこの目で見ました。話もしました。案外美形です。

「家の主ってお酒が好きなんですか?」

「どうなんだろうねぇ。あたしがお嫁に来た時に、お姑さんから聞いたところによると……だから。でもね、お供えした酒は減っとらんのに、水みたいに変わるのは、主さんが飲んでるからだって、昔々からそういうらしいよ」

 ……それって、アルコールが揮発して抜けちゃっただけなんじゃ……そう思ったけど、私は言葉には出さなかった。

 シロさんもお酒が好きなんだろうか。

 私も木村のおばあちゃんを見習って、お酒をあげてみようかな、なんて思った。

 挨拶だけではなく、いきなり有意義な話も聞けてほっこりしたところで、お暇しようとしたとき、やっぱりちょっと待ってと呼び止められた。

 うっ、まさかまた―――。

 身構えた私だったが、木村のおばあちゃんが持って来てくれたのは、一升瓶。お酒?

「これ、引っ越しのお祝い」

「えっ? こんなの頂いてもいいんですか?」

 詳しくは無いけど、上等そうな銘柄みたいだけど……。

「持ってって。沢山買ってたのに、主人がお医者に止められて最近飲めなくなってねぇ。飲めなくても料理にも使えるし、なんなら主さんにでもあげて」

 まあ、私も飲める歳だし、嫌いではないんだけどね。

 そんな調子で留守だった一件を除く組内の五件を回り、持って行った手土産のタオルの何倍かの頂き物を下げて、悠斗さんと家に帰ったのだった。

 歳は違っても仲良くなれるといいな。みんなとてもいい人みたいで良かった。

 なにより有意義だったのは、他の家にも家の主がいるということを知れたこと。

 これからよろしくお願いします。ご近所のみなさん。悠斗さん。

 そして、家の主のシロさん。


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