酸
青い瞳。深く深海のような目に映る全て。
読都新聞本社爆発事件から三日後。各報道局は血眼になって情報を発信していた。ブルーリーパーによる三度目の不始末。最初は土山本社ビル、次にFOG本社ビル。そして今回。
幸いにも死亡者が出ることはなかった。しかし、社会はそれを許してはくれない。ブルーリーパーはもはや人類を守る正義の組織では無くなろうとしていた。
人を守るために、人知れず死んでいく。ただの捨て駒へと認識が変わろうとしている。
特に知識もないコメンテーターやジャーナリストが駄弁を垂れ流し、左派の連中は絶好の機会だったかのように誹謗中傷を発信する。翠はそれに耐えきれず報道関連の情報を得ることのできる媒体を避けていた。
自分はこの命を張って人を助け出した。しかし、皆は褒めるどころか批判する。気が狂いそうな事実に目を背けることしか出来ない。
そして痛みから逃れようとする自分が心底気持ち悪く、嫌悪感が沸き出てしまう。翠の精神状態は追い込まれる寸前だった。
事後の詳細をアルベンから聞いた翠は、自分が選択した行動が本当に正しかったのか悩んでいた。新谷家族がどうして現場の被害者になっていたのか。状態が回復した綾美による証言によると、母である梅の歌手に関連する仕事に娘である綾美も連れ出されていたとのこと。
さらに詳しい情報は梅に聞き出す必要があるのだが、当の本人は意識不明で植物状態となってしまっている。プルートー基地の医療施設から民間の県立病院への移転も上手く進まず、手詰まりとなっていた。
そんな中、たった一日で完全に復帰した高那翠は軍医に呼び出されていた。休日だと言うのに自分を連れ出す軍医を撃ち殺してやりたい気持ちになる翠だが、反抗する事もなく無言で彼の後を追いかける。
やがて個室に入り、小さなテーブルに置かれたガラクタを見せられた。
「これは」
翠は軍医に問い掛けた。
「君が被っていたヘルメットだ」
冗談交じりのように返す軍医。
「見事に粉々だな」
「説明されただろう。君は頭に破片が突き刺さっていたと。ヘルメットを貫通してな」
「そうだ」
「君が運ばれてきた時は死体かと思ったよ。戦闘服は丸焦げ、ヘルメットには破片。完全に気を失って返事もしてくれない。破片を無理矢理引き抜けば出血多量で死ぬ。だからヘルメットを破壊させてもらったよ。よく死ななかった」
「ちゃんと生きている」
「確かに生きてるな。視力こそ失っているが、殆ど以前と変わらない。それが恐ろしくてたまらないね」
そう言いながら軍医はバラバラに分解されたヘルメットの一部を掴む。破片が突き刺さっているパーツだ。見事に装甲を貫通している。
想像していたよりも破片が大きく、その事実に翠は若干の恐怖を感じた。もしも後少しだけベクトルが大きかったら、骨を破壊して前頭葉に突き刺さっていただろう。片眼が潰れるだけで済むのは幸運だったか。
軍医は手に持ったヘルメットパーツを置いて、翠の方へ視線を送る。
「新しいヘルメットが届くだろう。それと、君を呼び出したのはこれを渡すためだ。受け取ってくれ」
軍医がそう言うと翠に箱を手渡した。軍用らしい武骨な色で統一されたそれには、英語で「医療用」と記されていた。
「眼帯?」
「よく分かったな。大まかな調整は済ませてあるが、微調整は君自身の目で行ってほしい。次の非常呼集までにな。アルベン少佐様からのお達しだ」
私は残りの仕事を片付ける。と、軍医は言い残して個室を出ていった。
休日だというのに大変な仕事だと翠は感心しながらも、ぼやけた左目が回復することに喜びを感じている。やっと当たり前に世界を視ることができる。視界が回復するということはそれだけ生き物にとって安心感を与えるものだ。
非常呼集の際に使用する隊舎に向かい、自室のテーブルにそれを置く。部屋には他の歩兵たちもおらず翠一人だった。早速、封を開けて調整を行おうとした翠だが、その前に心の隅でやるべき事を思い出す。まだ腰を落ち着けるには早い。気を切り替えるように椅子から立ち上がって貴重品ロッカーを探る。そこには封筒がひとつ。そそくさにそれを掴んで、部屋を後にした。
廊下を早足で進む。下士官がその姿を見て道を開けていく。翠は急いでいるわけではないが雰囲気がそうさせた。向かう先は病床。
ブルーが基調のライトが、次第に柔らかなオレンジのライトへ移り変わっていく。片眼の見えぬ翠はその光を確かに感じつつ、足を進め続けた。やがて目的地に到着した翠は、開けっぱなしの扉をくぐって最深のベッドへ前進。
開けっ放しのカーテン。陽に照らされたシルエットは朧気に輝き、彼女の瞳は琥珀色に空を映していた。
「新谷、綾美」
翠は恐る恐る言葉をかける。しかし、彼女はこちらを振り向かない。
「これを君に」
封筒を近くの棚へ置いた。綾美はやっと首を回して彼を見つめる。
「……これは?」
綾美の質問。
「30万円」
翠の答え。それに綾美は顔をしかめる。
「30万円だ、これで人間と同じ形、同じ色の完璧な義手が作れる。簡単に壊れることもない」
その言葉を聞いた彼女はゆっくりと顔を俯きながら、囁いた。
「……気持ち悪い」
想像もしてなかった言葉。
「何?」
翠は狼狽するように答えるが、綾美は容赦なく言葉を返す。
「気持ち悪いよ、君のそういう態度」
「ブルーリーパーは18万しか金を出してくれない。そんな端金じゃマネキンのような人工皮膚しか作れない」
「要らないって言ってるのが伝わらないの?」
黙りこむ翠。
「……拒んだくせに」
綾美の言葉に翠は過去の行いを思い出す。拒んだとはどういう意味だ?と。
口ごもる翠を見かねた彼女は、最後に決着をつけるように言葉を放った。
「君の上司から色々聞いたから……もう、君と会う必要なんてない」
"君の上司"。おそらくアルベン少佐のことだろうと翠は推測する。
「お願い。私の前から消えてほしい。二度と目の前に出てこないで」
口を紡ぐ翠。唖然と立ち尽くすが、完全な拒否を受け止める覚悟は既に出来上がっていた。
封筒を取り戻し、最後に一言だけ言い残す。
「わかった」
翠はそう告げると病床を出ていく。誰もいない空間に取り残された綾美。
窓から射し込んでくる光は相変わらず輝いている。冬の晴天。澄みきった空気が雲を駆け抜けていき、彩度の低い青空が広がる。
遠くなっていく足音を確かに鼓膜で拾いながら彼女は窓の景色を見詰めている。
ゆっくりと、時が遅くなったように垂れる水滴が一粒。彼女の頬を通る。
午後。翠はロビーのソファで項垂れていた。封筒を左手に持ちながら、ずっと外の景色を眺めていた。
腰に下げた拳銃が重たい。こんな感覚に陥るなんて新教育ぶりだろうか?翠は整理のつかない脳内でそんな事を自問自答している。
病床を出ていった後、担当の軍医に新谷梅の容態について問い詰めた。外傷も治療して身体へのダメージは回復したものの、未だに意識が復活しないという。
いつ目が覚めるのか分からない。もし一週間を過ぎても覚醒しなかった場合は植物人間として治療を行っていくことも考慮していると。そう語っていた。
それを聞いた翠は憂鬱だった。自分の左目を潰してまで助け出した人間がそんな状態になるなんて。生まれもって頑強すぎる肉体を受けて誕生するハーベスターには理解できなかった。常人の貧弱と精神の脆さが分からなかった。人である以前に軍人であると言うことも関わっているとしても、翠は人の心を理解しきれない人間になっていた。
綾美のことは元より好いてはいない。嫌いだと面と向かって公言したくらいには。しかし、それでも自分の作戦行動が遅れた故に彼女は左腕を喪ったのだ。
その償いをしたかった。翠にとってはただそれだけの事だったのだ。
胃酸がこみ上げそうになる。座っているのに眩暈で視界が歪む。耳鳴りのような音が鼓膜を支配する。
それでも翠の青い瞳は、頑固足る意志で輝いている。
戦士として、生を受けたのならば。
「ブルーリーパーの選抜射手」
・ブルーリーパーは警察系特殊部隊に近い組織であり、突入任務と狙撃任務は明確に分離されている。
しかし、ハーベスター用に調整されたバトルライフルは支給されており、作戦によっては7.62mm強装弾を発射する特殊小銃を使用する場合もある。




