互いの蒼
死神として生きるのならば。
正午。夏が過ぎて季節は秋へ。しかし木々は青い。熱気もある。空気が冷たくなるのはまだまだ遠い。
空は曇りが多くなったが、雨が降るほど分厚い雲ではない。ただ表面を覆う膜のような雲が何処までも続いているのだ。杞憂せずとも、いずれ雨雲に育つであろう。
私立藍深山高等学校で発生したファントム。余りにも不手際の多かった教師達は責任を負わされていた。テレビに流されるニュースは何処もかしこもそればかり。校長の心のこもっていない薄っぺらい謝罪文を読み上げる声が流れ続けている。幸い、今回の事件で死亡した学生はいなかった。奇跡と言えよう。しかし、負傷者が多すぎる。責任問題だとかどうとかの話ではないのだ。癒えぬ傷を受けた子供がそこにいる。この現実を受け止めることが出来ない限り、教師達が許されることはないだろう。
当然、藍深山高校は休校となっていた。いつもの通りブルーリーパーの第6現地研究調査対策開発部隊がその場を占領して研究を進めている。なにせ学校だ。いつか起こるであろうと危惧されていた事態がついに起きてしまったのだから。しかも最悪のタイミングで。
校門前の駐車場には軍用車両が毎日のように往き来し、隊員達はまともな睡眠時間も得られずにひたすら調査へ。この学校はどこか反軍の雰囲気が漂っていた所だ。そんなところに、彼らが最も嫌うであろうアメリカ直属の軍隊が入り込むなんて、なんと皮肉なものか。
再び休暇を貰った高那翠は、病棟へ続く廊下を歩いていた。軍靴の硬い足音が響く。
「彼女が君に会いたいと言ってる。嘘ではない。ただ、自分を救ってくれた奴の顔を見ておきたいだけだろう。たまには人類を守る英雄らしい振る舞いでもしたみたらどうだ」
軍医は翠にこう言っていた。翠からすれば迷惑でありとても面倒な事だった。実にくだらない願望であると。
たかが誰かに救われただけで、自分が救われた気持ちになるものではい。こういうのは危険な考え方だ。偶然そこに自分がいた。それだけの事なのだ。
目の前に溺れている人間がいるとする。翠ならば、その人間へ手を差し伸べて助け出すだろう。しかしそれは救いたいという思考のもと、慈愛の行為ではない。ただ、目の前で死にそうになっている生物への反射行動に過ぎない。行為そのものに感情なんてものはない。翠はそう考える。
複雑な気持ちを誤魔化しながら、ついに少女が眠る病室に到着。特に心臓が高まるわけでもなく、ゆっくりと扉を開けて入室する翠。
病室はがら空きだった。奥の窓際にあるベッド以外は全て空いている状態。おそらく、プルートー基地が建てられから一度もここが満室になったことはないだろう。翠も何度か病室の世話になった事があるが、その時も人気は無かった。
しかし、今日は窓から射し込む光に照らされる金髪が眩しい。長い髪が穏やかな風に揺さぶられているのが目に見える。翠は病室の扉を開けたままにして、彼女へ近付いていく。
ゆっくりとこちらを振り向く彼女。重なる青。翠とは違って、宝石のように輝く瞳。
「やっと傷が塞がった。明後日には糸を取るって医者が言ってる」
先に話を切り出して来たのは彼女の方だ。
「……三日で傷が?」
唐突すぎる話題と、その問題性に疑問を抱いた翠はまともな言葉も返せない。
「だって私もハーベスターだから」
ハーベスター。そうだ。彼女は超能力者として誕生しているのだ。しかし、ブルーリーパーには志願しなかった。一般人として、一人の人間として生きる事を願ったのだ。
翠は恐る恐る次の言葉を放つ。
「謝罪したい。僕がもっと効率的に動けていれば、あなたが腕を喪うことはなかった」
「今更?」
「もう、遅いか」
「18万円で人口皮膚の人間らしい腕が買える。ブルーリーパーはそれを保障してくれるって約束してくれた。だから、今更謝られてもどうでもいいよ」
「……」
「でも私は真っ赤な腕がいいな。繊細なデザインのやつで。その方が可愛いし、派手で好き」
冗談か、その場を和ますつもりか、翠には分からなかった。
彼女は近くに置いてある椅子に座ってくれと視線で促し、翠はそれに従って腰掛ける。
「名前、教えて」
彼女はそう言うと、翠に視線を会わせる。
「高那 翠」
「てっきり日系アメリカかと思った」
「純日本人だよ」
「そう。私はリリーネ・ジュンセア。マサチューセッツから来た」
「学校じゃ君の噂で大騒ぎだったらしいけど」
「どうだったかな。クラスに入る前にファントムに襲われたから」
彼女、リリーネは視線を翠から外して窓へ。
「英語、話せる?」と、リリーネ。「日本語よりそっちの方が楽だから」
「達者に日本語を喋れてると思うけど」
「話の途中で言語を変えるのって何だか気持ち悪いから、やっぱりいいや」
どこが弾みそうで、空振りする二人の会話。翠はこういう空気が嫌いで、苦手だ。だんだんと耐えきれなくなっているのが行動に出てしまうものだ。苛立っているわけではないが、顔の形相が変わっていく。
「あと、たぶん君より私の方が年上だよ」
「……」
「今年で18歳だから。色々あって二年も遅れちゃった。まぁ、向こうじゃ飛び級とかあったからそこまで気にしてなかったけど。こっちに帰化してからはアメリカとは違うめんどくさい所があって困るね」
「そろそろ、僕は仕事に戻る」
「仕事って。その言い方じゃブルーリーパーは未成年に労働させる犯罪組織みたい」
「僕は自ら志願して今の立場にいる。強制させられた訳ではない。確かに不満は色々とあるけど、それを承知で続けてる」
翠の声が低くなる。
「いつ死んでもいいってこと?」
「それが戦士であり、軍人って事だよ。君は知らなくてもいい価値観だ。いや、民間人が理解すべき倫理ではない。これが罷り通って良いのは軍隊だけだ」
「私のお母さんもそんなこと言ってた」
「軍人家系なんだね。なら尚更だ、君はあまり快くない質問をした。それでは」
翠は椅子から立ち上がって、そそくさと彼女から離れようとする。別に怒っているわけではない。彼女のことが不快に感じて遠ざけたいと思った。翠にとってはそれだけの事だった。
開けっ放しの扉を抜けて、それを閉じる。リリーネは翠を引き留める事もなく、ただ窓を見つめていた。
早足で病棟を後にして、翠はロビーへ到着。並べられた椅子に腰掛けて壁にもたれ掛かる。実に気分が悪い。
知人の妹の死に続いて、人を五体満足で救えなかった不甲斐の無さ。命があるだけマシだと割り切ってしまえば簡単だがそうはいかない。翠とて人の子である。意味もなく重責を背負い込んでしまうものだ。
翠は基地内のPXで適当にエナジードリンクを買い漁り、それを持って再びロビーに戻る。三本のカフェイン飲料。どれもこれもハーベスターの頑丈すぎる身体機能の前にはそこまで効果のない砂糖炭酸水だ。やけくそな気分で缶を開け始める。
ちょうど、近くにあったニュース閲覧用の電子端末を手にとって、近状に興味を向けた。数ある雑多なニュースの中でも、一際注目されているものがあった。
松宮咲華の自殺。
翠が、あのアリーナ会場事件のときに出撃して、妹を救えなかった事件。身内の死に彼女は耐えられなかったのだ。目の前で妹が食い殺されて、ネット上では誹謗中傷の嵐。根も葉もない嘘まで流される。
首吊り死体で、今朝に発見されたとニュースには記載されている。妹のシュシュで髪を括っていたと。翠はその現実にどういう感情になれば良いのか分からなかった。怒りでも、悲しみでも、絶望でもない。
そうか、自分はこの"死"に興味が無いのだ。無関心だから、何も感じないのだ。翠はそう解釈して、端末を元の位置へ戻した。
結局誰かを救うなんてことは出来ない。人類を守れても、大切な人を守れるほどファントムは優しくない。
全てに、平等に、ファントムは牙を向ける。
「post exchange」
・酒保。主に軍事施設内における民間商品を取り扱う売店のことを指す。
一般的に普及しているものとしては、自衛隊におけるPX等がある。




