相違
後戻りは、出来ない。最初から、これからも。
時刻午後3時00分、軍事時間15時00分。夏を過ぎた冷たい風が吹く。真っ白に光る太陽が沈み始める瞬間。複数の軍用ヘリが青い空を羽ばたいていた。
向かうはアリーナ会場。リアルタイムで送られてきた監視カメラの映像にはタイプGが確かに映っていた。血で濡れ、滴る足元。間違いなく血塗れの獣であった。
とあるアイドルユニットによる夏最後のラストサマーライブが予定されていたが、当然の如く中止となり、観客が集まる前に現地の装甲機動隊が封鎖。何台もの軍用車両が並んでいる。
やっと到着したブルーリーパーは、ハーベスターである高那翠が真っ先にヘリから飛び降りて、その後に地面間際で低空ホバリングしている最中に一般歩兵達が降りてくる。
作戦内容はアリーナ会場に発生した全タイプGの排除および被害者の救出。確認されている数は28匹。ハーベスターである高那翠を中心に大口径短機関銃歩兵隊を編成し、クリア後のエリアの確保は突撃銃アンドロイド隊が担うことになっている。
「状況はどうなっている」
部隊長の翠が装甲機動隊の隊員へ質問。
「包囲網は完成。偵察ドローンを会場内に飛ばしました。熱源探知レーダーによると、どうやら控え室の方に生存者が残っている模様。しかし、壁が崩れてしまっており立ち入ることが出来ませんでした」
「分かった。救急隊の準備は?」
「いま向かわせています」
「いつでも動けるようにしておいてくれ。我々はこれより会場内に突入する」
そう言えるとハイ・レディにしていた短機関銃を下ろしてダッシュ。歩兵隊とアンドロイド隊がそれに続く……。
……翠達の突入より数時間前。東京のアリーナ会場は、最後の夏ライブという特別感によって非常に高いムードだった。控え室で、既にライブ衣装に着替えていた"松宮 咲華"は、慌ただしくて落ち着きのない妹を目の隅に留めながら頭を抱えていた。
『もう、君と話すつもりはない』
翠のあの一言が、ずっと頭の中で渦巻いていた。どうしてあんな事を言われたのだろうか。いや、言われなければならないのか。咲華は苛立ちと喪失感が入り乱れて気分が落ちていく。
これから大きなライブというのにこんなテンションではいけない。しかし、分かっているつもりなのに、自然と頭の中は彼の言葉で埋め尽くされてしまう。思い出す度に高まっていく鼓動。ライブの緊張によるものではない。翠のあの言葉が、一体どういう心境によって吐き出された物なのか理解ができない故の不快感だ。
「ねえ、大丈夫?」
自分よりも高い妹の声。唯華の声で意識を取り戻す。
「ああ、ごめんごめん。どうしたの?」
「お姉ちゃんがずっと頭が痛そうにしてるんだもん。そりゃあ心配するよ」
隠しきれなかった自分の態度に、どうしようもなく俯きたくなる。
「そう、かな。ごめんね」
「これからライブなんだよ!もっと元気になろ!!」
明るい笑顔。金髪が揺れて、眩い。
「……うん、ありがとう」
咲華は、妹へはにかむ。だが、自分でもどこかぎこちない表情になっていると分かる。このままでは駄目なのだ。これからのライブを楽しみにしている観客の為に全力の自分を見せなければならないのだ。
彼女は決意を固めたと思い込ませ、椅子から立ち上がる。その時だった。
「うっ!?」
銃声が轟く。
「お姉ちゃん!なんの音!?」
「唯華、しゃがんで!」
2人はその場に伏せるように身を屈め、銃声が鳴り止むのを待つ。
テロか?いや違う。そんな筈はない。装甲機動隊の銃器特別武装隊が会場を守っている。ならば、この銃声は彼等によるものだ。廊下を全力で走る音が聞こえる。重たい軍用ブーツの音が響く。
そして控え室の扉が勢いよく開かれた。
「緊急避難してください!ファントムが現れました!」
飛び出してきたのは全身装甲服の男。そうだ、装甲機動隊だ。手には小口径の警備用特殊短機関銃が握られている。
「私についてきてください」
松宮姉妹はそれに従って控え室を出る。廊下には他にも隊員が集まっており、完璧な陣形で銃を構えていた。
「こちらです。早く!」
彼等に囲まれ、姉妹は走り出す。だが、それを許さない獣達が追い掛けてくる。
廊下の向こう、自分の血を撒き散らしながらこちらへ走ってくる無数の獣。装甲機動隊は必死に引き金を引き絞って応戦するが、超能力エネルギーが付着していない通常の弾で、しかもストッピングパワーが皆無な小口径拳銃弾で太刀打ちできるわけもなく、次第に獣との距離は詰まっていく。
ライブ衣装の走りにくい靴が二人の踵を抉る。しかし、そんな痛みさえも感じる余裕はなかった。隊員達の必死な大声、鳴り止まない銃声、振り向いてしまったら足が止まる。そう思って全力で廊下を走り続けた。
やがて、角を曲がり、やっと次の扉が見えてきたとき、更なる事態が起こる。
耳を貫く爆音。銃声ではない。耳鳴りで脳が揺れる。体が宙を舞い、地面に叩き付けられる。そして熱気が体を包もうとしていた。
廊下が唐突に爆発したのだ。巻き込まれた隊員は瓦礫に押し潰され、姿すら分からない。全身の痛みを堪え、咲華は自分の妹を探す。
「どこにいるの!唯華!」
叫ぶ、叫ぶ。引きずる足を抑えようとしたとき、地面に黄金の長髪。唯華だ。
「唯華!」
歯を食い縛って妹の元へ。あの爆発による爆音によって気絶してしまっているようだ。目立った外傷もない。だが、廊下の向こうからはタイプGが迫ってきている。このまま食い殺されてしまう。
妹の何とかして抱え、傷ついた右足に無理を言わせて偶然近くにあった楽屋室へ入り込む。鍵すらかかっていなかった空き部屋だった。扉の内鍵を掛けて、出来るだけ扉から離れるように部屋の隅へ妹を運ぶ。壁にもたれかかる。
咲華は何かバリケードになり得る物はないかと部屋の中を探すが、錆びたボロいパイプ椅子くらいしかなかった。もしも彼女に怪力があれば積み重なった折り畳みテーブルを動かして扉を防げるが、そうはいかない。
唯華を庇うように近付き、息を殺す。太股から流れる血が冷たくなってきた。涙が出そうになるのを堪え、ずっと耐える。ひたすら耐える。自分はどうなったっていい。せめて、せめて妹だけは守らなければならない。守り抜かなければ。この決意が彼女をここまで動かしたのだ。
だが、それは虚しくも否定される事になる。
鍵をかけた扉を叩く音が聞こえた。何度も繰り返される打撃音。人生で聞いたことのないほどに暴力的な音、全力で壊そうとする音。自分達を殺そうとしている音。それらが鼓膜を刺激して、彼女の鼓動を加速させる。
やがて、一時間は経っただろうか。どれだけ待っていたのか分からない。気が付けば、扉を壊そうとする音が消えてなくなった。口から飛び出しそうなほど加速した心臓は次第に落ち着き、唯華を抱き締めた。
その刹那。
壁を破壊する音が部屋に轟く。コンクリートで形成されているはずの頑丈な壁が、ジェンガを崩すかのように簡単に壊れていた。空いてしまった大きな穴から出てきたのは……
廊下に燃え広がる炎を背景に、真っ赤に染まった獣達。その前足が、一歩目が、部屋についた。
「あ……」
叫ぶ力は出なかった。今の自分にできるのは、いま抱き締めている妹を庇うだけ。
人の覚悟というものは、思わぬ事で一瞬で完了するものだ。命を投げ捨て、妹を守る姉。咲華の心には、死ぬ覚悟が完了していた。
獣達を睨む。殺すなら殺せ。私の腸をえぐりだし、食い散らかし、貪り食ってみろ。咲華は鬼のような顔で奴等が襲ってくるのを待っている。そして、ついに獣達は姉妹目掛けて走り出した。
だが、都合の良い出来事など存在しない。
血塗れの獣は咲華をその強力な前足ではね飛ばし、唯華から引き剥がす。楽屋の床を転がって地に伏せる。
そして、獣達は意識のない唯華の首を目掛けて……
「やめろ!!!」
叫びも届かず、唯華の身体は血塗れの獣に囲まれて見えなくなった。身体を引き裂かれる痛みで目を覚ましたのか、唯華は絶叫する。甲高い妹の声が枯れていく。その悲鳴が咲華の鼓膜を障る。
肉が引き裂かれ、骨が砕ける音と共に、血の臭いが咲華の鼻を刺激した。妹の血の臭いを堪える。
前足で吹き飛ばされ、その鍵爪で大きな切り傷を受けた咲華は、耐えきれない痛みに悶えて立ち上がれないでいた。何も出来ず、自分の妹が貪られる光景が視界に広がる。廊下から感じる熱気と共に、血の臭いが広まっていく。
咲華の瞳には、自分の妹の顔が見えていた。美しい金髪は赤く染まり、顎と頭頂部を惨たらしい牙に挟まれている。自分と同じ煌めく茶色の瞳が重なった……
獣の牙に絡まる髪の毛。それを前足の爪で引っ掻き出して、そして食べる獣達。
「あぁ……ああ……」
思考ができない。自分の妹が完食されるのを、ただ見ているだけだった。
やがて、真っ赤な獣達は身体を震わせて、その体格を一回り巨大化させた。タイプGは補食すればするほど肉体を巨大化させる。
完食した奴等は、次の獲物へ視線を変える。皮を剥がされ、目も鼻もない蜥蜴のような顔が咲華を睨む。既に脱力しきっているその身に近づいていく。
そのとき、重たい銃声が轟く。
「こいつらで最後だ。エリアを確保しろ!」
ヘルメットで遮られてしまう声を通信機で外に発信した独特な声。大口径の短機関銃が咆哮し、それに共鳴するように歩兵達も支援射撃。
超能力エネルギーが付着した弾丸によってタイプGは見事に撃破された。その場に伏す獣達。
「大丈夫ですか、貴女を助けに来ました。安心してください」
彼は日本語でそう語り掛けてきたが、咲華には聴こえていなかった。
咲華は身体を引き摺るように、床を這いずってタイプGの死骸に近付く。無数の銃弾によって腹部が破裂し、内容物が飛び出ているのを見て、彼女は迷いもなくその腹に手を突っ込んだ。
「何をしている。やめるんだ、やめろ!」
彼女を死骸から離そうとするが、か弱い力で抵抗され、払われる。
両手が血塗れになりながら、ついに動かしていた手が止まる。血液の糸を引きながら、取り出したのはシュシュだった。真っ赤に染め上げられてしまって元の色が分からない。
「唯華、唯華」
妹の名前を呟く。震える両手で、それを頬に宛がいながら、ずっと呟く。
狂ってしまった人間を目の前にしたハーベスターは、引き止める事も出来ずにいた。
「翠少尉。アンドロイド隊からすべてのエリアを確保したとの報告……はやくここから出ましょう。炎が燃え広がってしまう」
近くにいた歩兵がそう告げる。
「あぁ」
彼は俯く頭を上げながら……。
「作戦終了。生存者は1名。これより帰還する」
「装甲機動隊」
・日本国が保有する警察系軍事組織。その名前の通り、全身装甲のパワードスーツを着込んで勤務にあたる。かつては対テロ組織だったが、その対応力、戦闘力を評価されて対ファントム作戦において非常に重要な立場を任されることになる。
銃を装備した部隊は銃器特別部隊とされ、バリケードや盾の設置を専門とする装甲部隊とは分別されている。




