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隻影

 決意と覚悟。少年は今、一人の戦士だということを改めて自覚する。例えそれが、自分から孤影に包まれることになろうとも。

 翠は眠りから覚めた。重たい身体を起こして自分の顔を触る。血が綺麗に拭かれている、気持ち悪い感触が消えた。そしてすぐに気が付いたように腰のホルスターに拳銃があることを確認して安心感を得る。揺れる左腕の袖。虚しく、動く度に風に煽られる。微かな布擦れの音を立てながら。

 自分が生きる価値は、戦士としての価値のみだ。その覚悟はついた。戦士の休息は終わりだ、プルートー基地に戻らねばならない。翠はそう思って周囲を見渡す。どうやら自分はソファーで眠っていたようだ。誰が僕を運んだのだ?ここはどこだ?様々な思考が彼の脳を過るが、それらを考え込む前に立ち上がろうとする。その時だった。



「起きたのね」



 横から声を掛けられる。聞いたことのある古い記憶に眠る声。その方向へ痛む首を回して視線を送る。

 長い髪が揺れている。確かに、新谷 梅がそこにいた。彼女を認識した途端、翠は眩暈を感じてしまう。まるで幻が語り掛けてくるような浮遊感、何だこれは。



「酷い顔だった。血塗れよ?すぐに車に乗せて家まで運んだの。でも貴方の顔を拭いたらびっくりしたわ。さっきまで腫れてた筈の顔が、もう涼しい男前になってるんだもの」



 彼女は含むような笑顔を見せた。翠は自分の置かれている状況が今一つ理解できず、その場を立ち上がる。



「何処行くの?」



 そう言った梅に、翠は答える。



「戻らないと」



「何処へ?」



「……僕には、還る場所があるんです」



「あのアパートなら高那夫婦が取っ払ってしまったわ。貴方の荷物を私が受けとることになってたんだけど、ひどい家族よね。まるで貴方を……」



「分かってる、言わないでください。だから僕は還るんです。こんなところにいるべきじゃない、基地に戻らないといけないんだ」



 翠は遮るように言葉を返した。それと同時に装甲バイクの鍵となるカード端末を操作して、自動運転で新谷宅まで向かわせた。そう遠くない、到着まで10分もかからないだろう。

 覚束無い足を引き摺ってリビングを出ようとする。去り際に背を向けながら感謝の言葉を言い残すと彼は引き戸を開ける。その先には誰かが立っていた。翠は今にも倒れそうな身体を堪えながら視線を上げて、目が合った。

 翠よりも背が高く、ワンピース姿の少女が立っていた。


 新谷綾美。彼女も、同じ様に翠の顔を見詰めていた。大きな瞳が翠を包み込む。まるで心の奥まで見透かれているような恐怖を感じた。

 翠は黙り混む。だが、すぐに視線を逸らした。耐えきれなかった。綺麗すぎるその目が途方もなく怖かった。超能力者のまるで塗り潰したような青白い不気味な瞳ではない、人間らしい透き通った瞳だ。それが、怖かった。



「……待ちなさいよ」



 背後から梅が声を掛けた。



「さしぶりに会えたのよ。少しくらい、話を聞かせて頂戴な。ねぇ?」



 翠は恐れるように、梅の方へゆっくりと振り返った。今の翠は戦士の顔ではない、痛みと恐怖に疲れ果て、それでも苦しみを堪えようとする寂しい顔の少年だった。物言わぬ口は紡ぎ、目は怯えきっている。左の袖が虚しく揺れた。



 翠はこれまでの事を全て打ち明けた。2人の戦友が無くなったこと、学校で教師に殴られたこと、左腕を無くした経緯。包み隠さず全てを明かした。声を荒げたり瞳が潤うこともなく、まるで報告書を読み上げるかのようにそれらを話した。

 梅はただ黙ってそれを聞いていた。綾美は、度々耳に入る壮絶な言葉と、最後に見せた左腕に目を背けた。

 梅は神妙な表情で前傾していた背中を後ろへ倒す。深く息を鼻から吐くと、一度を瞑ってから翠へ問いかけた。



「どうして、それを今まで隠してたの?」



 と、梅はそう言った。だが、翠は返せる言葉が無かった。今まで隠してた、だと?そんな理由、一つにだけに決まってる。



「言う必要がなかったから」



 翠は返した。はっきりと、確実に。



「……そう」と梅が呟くように返す。「だったら、そうしておきなさい」



 静寂がリビングを包み込む。それすぐに突き破ったのは綾美だった。



「なんで」と綾美。「なんで、何も言ってくれ無かったの?」



 彼女は俯いていた顔を上げる。



「話し掛けたのに、気に掛けたのに。でも、何も言ってくれ無かった。先生に叱られた時だって声を掛けた。でもすぐにどっかいった。日に日に傷付いていってるのが顔に出てたよ。でも、ずっと黙ってた……」



「それで、今はもう耐えきれなくなって辛いですって?そんなの、自分勝手すぎるよ」



 綾美は言い切った。最初から最後まで翠の目から視線を離さずに、彼に言葉を与えた。

 悲痛。そして、何も言い返すことが出来ない自分。翠は自分の心が崩れ始めてるのが分かる。バラバラと音を立てながら、倒されたジェンガように崩れていくのが。無い左手が震えた気がした。だが、そこに手は存在しない。あるのは揺れる袖だけ。

 それに追い討ちを掛けるように綾美は言葉を続ける。



「辛かったら辛いって言えば良いじゃん。泣きたいなら泣きなよ。なんで、それが嫌なの?ずっと……ずっと耐えてるだけじゃ、何も分からない」



 その言葉を聞いて、翠の顔が少年から戦士へ豹変する。



「僕は泣けない。辛いって弱音を吐く立場じゃない。だから泣いたら駄目なんだ。僕は戦う人間だ!」



 バッと立ち上がった。そのとき、ポケットに入れていたカードが鳴った。自動運転で迎えに来させてる装甲バイクが新谷宅に到着したのだ。



「迎えのバイクが戻ってきた。僕は還る。荷物は後日取りに行きます。明日の朝、きっと下士官達が車で向かうはずです。アルベンという男だ。彼は日本語を話せる。彼に説明して運ばせてください。それでは」



 翠はそう告げ、そそくさと玄関に向かった。そして家を出た。すぐ目の前の道路に、装甲バイクは待機状態で停まっていた。トランクに入れてある予備のバイク用ヘルメットを被って翠はバイクへ。

 エンジンを回し、走らせた。静かな夜。闇へ消える。



 次の日、翠はプルートー基地のロビーでアルベンから荷物を受け取っていた。

 ニュースを記載している端末を読みながら彼を待っている。適当に目を通していると、一つ気になったニュースが目に止まる。私立藍深山高等学校の教員が薬物で逮捕された、という事件。それをタッチして詳細を見る。そこには犯人の顔写真が載っていた。その顔は、確かに翠を殴り付けた現代社会の教師だった。

 翠は寒気を感じる。重く、冷たい気持ちが彼を襲う。身近にそういった犯罪者が存在していたという事実と、どうして自分はそんな人間すらも守らなければならないのか?という疑問。

 理不尽に殴られた記憶は消えることはない。きっと、二度とあの学校へ信頼を感じることはないだろう。冷やかに、翠は確信した。

 端末を元ある棚へ戻していると、後ろから男が声を掛けてきた。アルベン一等軍曹だ。



「全く、人使いが荒い」



 アルベンはいうほど多くない荷物を翠の元へ持っていく。



「殆どが着替えとメンテナンスパーツかな?VR訓練装置もあった。あとで確認してくれよ」



「ありがとう、アルベン。助かったよ」



 アルベンは軽い敬礼で返すと、自動販売機でコーヒーを購入して、翠の横へ座った。蓋をあけて、一口飲んでから話し掛けてきた。



「あの親子、何だか暗いな。何かあったのかい?」



 アルベンはそう話し掛けてきた。それに、翠は返す。



「……僕には、関係ない」

 最後に翠の心に残るのは、何だ?

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