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鈍痛

 全てを失い、泡のように消えていった。朧気な現実感が彼を包み込んで、白昼夢が続く。

 清浄された空気の匂い。無機質な光が射し込む。環境音が轟く。決して柔らかくないベッドの上で翠は目覚めて、自分の左手を見る。フレームを組み合わせたような、質素で、悪く言えば粗末な義手が視界に映る。何も変わらない。3日前から、現実は何も変わってはくれない。

 あの後、ビルは全焼した。もう二度と使えないだろうし、建て直しは不可能だ。解体する他なかった。殆どの死亡者の死体は確認することが出来ず、恐らくはファントムの腹の中に溶けてしまったのだろう。

 翠が自ら切断した左腕は肘から下が無くなっており、帰還後直ちに治療が行われた。骨を削り、血管を縫合し、切断口を塞ぐ。彼が覚醒した頃には既に義手が装着されていた。まるで骨のような義手。指が足りない。親指、人差し指、小指に該当する3本のみだ。軍医が言うにはこれは応急のものであり、翠専用の義手はまだ制作中で完成していない。市販の物ならすぐに取り揃えれるが、軍用で、ましてやハーベスターの身体機能に追い付ける義手は相応に時間が掛かるのだ。あと1週間近くは粗末な義手で我慢しなくてはならない。

 翠は身体を起こして、顔を洗う。今日もやることは同じだ。似たような義手のリハビリと片手で拳銃の射撃訓練、軽くルームランナーで走ってから生温いシャワーを浴びて寝る。それがあと数日は繰り返されるだろう。そう考えると憂鬱になってくる翠だった。

 百合音の葬式はどうなるんだろうか、百合音が住んでいたアパートは、親族はどうなる?色々な思いが頭を過るが、ブルーリーパーが基地の病院に閉じ込めて外に出してもらえない。確認したいことも確認出来ない。もう学校も始まってるだろう、あの事件はきっと皆に知れわたってる。プライベートの連絡端末には優斗からの通知が来てた。自分は大丈夫だ、と返答してそれ以来触る気になれない。

 未だに実感が湧かない。自分の腕が無くなったのは確かだが、百合音が亡くなったこと、モーザが目の前で息絶えたこと、それらすべてが幻のように感じてくるのだ。まるで短い夢だったかのように。

 いつものバリアドレスに着替えて、靴下を履いてスリッパから戦闘靴に履き替える。髭はまだ伸びてない。翠はそそくさと病室を出た。


 長い廊下を抜けて、リハビリルームへ到着する。看護師に導かれて椅子に座る。朝食を摂りに行く前に軽いトレーニングをやるのだ。目の前の様々な形の物体を掴み、動かし、物体を同士を合体させたりと非常に簡単なもの。まるで猿の知能テストだ。翠はただ無心にそれを続け、看護師が各項目をチェックしていく。最後の項目にペンが触れた瞬間、リハビリルームの扉が開いた。

 アンセム少佐だ。キッチリとアイロンが掛けられたズボンに鏡のように磨かれた短靴。汚れひとつない帽子。それを左手で脱帽しながら彼はゆっくりと歩み寄ってきて、翠の前に立った。



「おはよう。調子はどうかな」



 アンセム少佐はそう言った。翠は彼を睨み付けながらそれに答える。



「よくぬけぬけと目の前に出てこれるな」



 翠は立ち上がる。



「あんたのせいで、僕は何もかも失った。全てをだ」



 テーブルに手を乗せて、翠は睨み続ける。



「それは把握している」と少佐。「だが、謝るつもりは無い」



「抜かすなよ。あんた、気は確かか?」



「正気だ。今、私が君に謝罪したところで許してくれそうにないからね。それに、そうしたところで現実は何も変わらん。私が提案した作戦は確かに不備があった。しかし、同時に戦術コンピューターを見直す切欠にもなった。これからの作戦をより効率的に進めれるようになったのだ」



 アンセム少佐は言葉を続ける。



「君は良い成果を出した。喜びたまえ。義手が完成する頃には君は少尉へ昇格だ。本来なら来年に昇格するところを、君は一足早く上がれる」



「いい加減にしろ!」



 翠は怒鳴った。だが、アンセム少佐はそれを制するように話を切った。



「君に伝える事は以上だ。それでは」



「そうだ。最後に1つ」



 彼は扉の前で立ち止まって、翠の方へ視線を流した。



「軍隊というのは上からの命令で動くものだ。下から上は許されん、何があってもだ。通るのは上から下だけだ。一々下の連中の愚痴を聞いていては組織が回らんからね。覚えておくことだ、いいな?」



 彼はそう放った。翠は、何もかも打ち砕かれたような顔になって、静かにその場で敬礼をする。



「肝に銘じます。少佐殿」



 翠がそう言うと、彼はリハビリルームを出ていった。

 悔しい。翠はその場にあったテーブルを殴り付けようとしたが、思い止まる。何かを八つ当たりしたところで、彼の言った通り何か変わる訳ではない。ただ、虚無感が残るだけだ。故に、かつてないほどに悔しい。翠は考えた。そうだ、ブルーリーパーという道を選んだのは紛れもない、自分自身ではないか。超能力者だと発覚した時から戦士としての運命は決まっていたのだ。そう頭では分かっているつもりだったが、それでも堪えきれないものがあった。


 一日のリハビリを終えて、シャワーを済ませた翠はベッドに項垂れる。明日は学校へ向かったらどうだ?と軍医から促された。外に出れば良い気分転換になる。私から許可を出せるように申請しておこう。楽しんでこい。と言われたのだ。だが、学校の連中に顔を出しに行ったところで何が変わる?きっとヘマをやらかした屑野郎と貶されるだけだ。教師達は顔を鬼に変えて、同級生は嘲笑うだろう。

 何もかもが苦しい。全てが憎く感じて来る。それこそ人類は本当に命をとしてまで守るべき存在なのか?と。


 翠は大きなものを失いすぎた。生きる目標が、崩れる音がした。

「まず熟考し、しかる後断行する。」


プロイセン参謀総長 ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ元帥

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