炎に包まれて
原始の記憶。すべての始まり。青年の運命は、その瞬間に決まっていた。
時刻午後2時28分。天候は晴天。気温は34℃。とても夏らしく、真っ青な美しい空を舞うステルス輸送ヘリが1機、微かな羽音を鳴らして。
目指すはFOGセンターだ。最頂部は210m、最上階は48階。特に目立った特徴もないガラス張りのビルだ。フェアリィ・オール・グローバル。通称FOGの本社である。FOGはやや右翼的な傾向に片寄った報道が多いが、基本は出来る限り正確な報道をしている放送局である。大量の取材用車両を所有しており、豊富な人員によって現地取材に力を注いでいる活動的な組織である。そこに高那百合音は働いていた。
百合音がどう殺され、どう死んだのかは分からない。遺体すら残っているのかも怪しい。遺留品が残っている可能性は非常に低い。それだけ、かつてない量のファントムがそこに出現したのだ。
そして、何よりも予測できなかったイレギュラー。違うタイプのファントムが、同時に同じ場所へ出現しているということ。現在確認がとれている限りでは槍を射出する蜥蜴、タイプaに筋骨隆々の首無し、タイプb。そして狡猾な触手、タイプdが確認されている。3種類ものファントムが同時に出現しているのだ。
ファントムが襲来して一度も有り得なかった事態が、そこにはあった。戦闘アンドロイドと共に出撃した偵察ドローンも、まるで優先的に狙われているかのように素早く壊されていった。当然、戦闘アンドロイドも圧倒的な物量に成す術も無く破壊されて残骸と化している。
最初からハーベスターを出撃させておけばこんな事はなかった。少なくとも、救える命はもっと多かった筈だ。ビル内に数百名もの民間人がいて、救えたのは数十名程度。なんとも馬鹿らしい話である。
「現場はどうなっている」
モーザが大型の熱源探知装置を操作しながら、ビル周辺に展開している歩兵部隊へ通信する。
「こちら第3歩兵部隊。戦闘アンドロイドから送られてきたデータによると、ファントムは最上階の方へ進行中。屋上には約12体のタイプb。現在我々は最下層にてバリケードを展開している」
部隊長がそう答えた。
「他の隊は?」
「第1機甲部隊が有脚装甲戦闘車を起動させて待機」
「そのまま守りを固めろ。絶対に下から逃がすな」
「了解」
通信を終えたモーザは熱源探知装置をヘルメットに取り付けて立ち上がる。そしてヘリパイロットへ伝達。
「ジップラインを発射する」
と、モーザ。それにパイロットは不安そうに応えた。
「いけるのか?」
「行ける」
「了解。ヘリを近付ける」
ヘリはゆっくりとFOGセンターの中腹辺りに接近し、モーザがハッチを開けた。リペリング用ジップライン射出装置をガラス張りのビルへ撃ち込み、それにカラビナを引っ掛けた。何度も引っ張って強度を確認し、突撃銃を脇に抱える。
「行くぞ、翠!」
モーザが飛んだ。揺れるワイヤーに続けてカラビナを掛ける翠。そして急ぐように彼の後を追った。ガラスを突き破ってビル内部へ突入したモーザは、周囲に立っていたタイプb達へ発砲。1匹ずつ確実に掃討すると、翠が着地できる領域をカバーする。モーザが突き破った穴を潜り抜けて翠が着地。立ち上がると同時に銃を構え、戦闘開始。彼等に課せられた作戦は単純だ。ビルに出現したファントムを1匹残らず撃滅すること。生存者は既に残っていないということを前提に、作戦が建てられていた。もしもこれが、最初からハーベスターを突入させておけばより多くの人命を救えただろうが、2人が出撃した頃には何もかも遅かった。
広い廊下を抜けて、モーザは熱源探知装置に導かれて足を歩める。銃を構えながら、いつどこから襲ってくるかの緊張が歩く度に高まっていく。かつてタイプcの対策作戦にて、ソルダーが寄せ集まる事で熱源の数を誤魔化そうとしていたことがあった。その頃から、ファントムの変化は現れていたのかもしれない。つまりファントムはこちらの科学や技術を把握しているということになる。そうでなくとも、何かしらの方法でこちらの情報を盗んでいた可能性があるのだ。優位だった人間の立場が崩れていると言うことだ。いつパワーバランスが崩壊しても不思議ではない。
事務室へ突入した二人。見るに堪えぬ光景が広がっていた。地獄だった。至るところに血は飛び散って、足元には死体が転がりまくっている。どう殺されたらそうなるのか?というようなものまである。発狂しそうな光景だ。奥の方には数匹のタイプaが死肉を食い漁っていた。食事に夢中でこちらに気が付いていない。2人は容赦なく突撃銃を放つ。タイプaが死亡。
「次だ」とモーザ。「この階にはいない。上に18匹」
翠はただ黙ってモーザについていく。そして、彼の攻撃を援護。しらみ潰しにファントムを殺し回って、42階へ到達。そこにはこれまでとは違った異常な景色があった。焦げているのだ。コンクリートからタイルから何から何まで。全てが燃やされ、焦げたようになっている。これは一体どういうことだ?とモーザが疎む。火災が起きたにしては局地的すぎる。それに、天井の防火シャワーすらも焼き付いている。ならばもっと燃え広がっている筈なのだ。
そうか、これは燃えたのではない。爆発したのだ。しかし、そうだとしたらこのビルは倒壊している。この焼き付きが爆発による瞬間的な物だとしたら、それこそ大量の爆弾による故意的なものでないとあり得ない。それに、先に出撃している部隊から爆発音が鳴った、なんて聞いていない。ならばこれは何だ?
早歩きだった足が緩やかになる。2人と緊張感で心臓に負担が掛かっていた。脈が聞こえる。自分達の足音が、まるで静寂の中で轟く爆竹のように感じた。翠は手が震えていた。
「どうなっているんだ。ファントムはどこだ?」
翠が痺れを切らして、モーザへ話し掛ける。
「もうすぐ。もうすぐの筈だ」
「ここは何だ。まるで火事の後のようだ」
翠がそう言って、ふと天井を見上げた。その瞬間だった。唐突に何かに首を掴まれ、持ち上げられる。苦しい。咄嗟に自分の首を絞める何かを掴みこんで、懸垂の要領で気道を確保しようとする翠だが、圧倒的な力で体を浮かせそうな気配はない。完全に密着して、確実に絞め上げている。
モーザはそれに瞬時に反応。彼を掴みあげる物体の方へ銃口を向ける。そこには夥しい量の触手が生えていた。タイプdだ。
発砲開始。7.62mm弾が鳴り響く。翠の首を絞めていた触手は外れ、放り出されるように地面へ落ちる。だが、まだタイプdの触手は蠢いている。続けて発砲するモーザ。12発も撃ち込んで、やっとタイプdが沈黙。その場に崩れるように倒れた。翠は自分の首をさすりながら、ゆっくりと起き上がる。
「首が。くそったれが、筋が切れたかも」
「照準器は覗けるか?」
「何とか。だが痛い____助かった。あと少しで下半身不随になっていた」
「おかしい。タイプdは擬態したとしても、熱源探知は出来る。それなのに全く反応しなかった」
モーザはどこか不安げにそう話す。
「壊れたんじゃないのかい。あんたのヘルメットも、それも型が古すぎる」
「いや、まさか」
「タイプdが自分の体温を誤魔化してたって言いたいのか?」
「そうとしか考えられん。もし故障ならば、他の熱源すらまともに映ってない筈だ」
「ああ。くそ、気持ち悪い」
翠は頸をぎこちなく動かす。疼く痛みを堪えて銃を構えた。そして、上の階へ到達したとき、モーザは構えていた銃口を下ろして立ち尽くす。
「どうした」と翠。「まだファントムは見えない」
「装置がおかしい」
モーザはヘルメットに付けた装置を弄る。
「僕の言った通りだな」
「熱源じゃない。こんな動き、生物のものじゃない。これは炎だ。そうに違いない」
「炎?」
「観測ができない。熱が迫ってきてる……不味いぞ、逃げろ!」
モーザが走り出す。
「何処へ逃げる?」
「屋上だ。念のためヘリに救出要請を出す。いつでも来れるようにホバリングさせておくんだ」
彼はそう言って通信を開始した。小走りで焦る様子を見せながらヘリパイロットへ。翠は何が起こってるのか把握しきれず、無心に彼の後を追った。狭い通路で戦闘靴の重たい音が鳴り響く。走ってる途中、何故かファントムは表れなかった。翠はそれが不気味で恐怖を感じ始めていた。
やがて次の階へ上がったとき、急に景色が明るくなる。まるで光が溢れ出すように視界を遮った。
「!」
これは、照明の光でも太陽の光でもない。炎の光だった。
「ああ、くそったれ」
モーザは振り向く。しかし、背後からも炎が迫る。
「こっちだ!」
モーザは翠の肩を掴んで部屋へ飛び込むように入った。雑にドアを開けて翠を先に。
「あれはなんだ」と翠が震えるように声を出す。「あれは……」
「あの炎はカーベックの時と同じ。色も、光も……そうだ、あの炎は」
「あの炎は、僕の家を、親を焼いた」
翠は部屋の外で聞こえる爆発音と共に、遠い過去の霞んだ記憶を思い出した。霧の中を駆け抜け、ずっと奥の方に潜んでいた暗い記憶が、翠の脳へ浮かび上がった。熱気に抱かれながら。それを聞いてモーザはその場へ座り込む。
「思い出したのか」
「あぁ、ああ。僕はそのとき、ハーベスターに助けられた。炎に"睨まれて"いたところを抱き抱えられて、救急車にぶちこまれた。そうだ……あの炎は、僕を見詰めていた」
「僕を助けたハーベスターは、あんただったのか?トン・モーザ」
震える声に、モーザはゆっくりと頷く。
「そうか。そうだったのか」
「俺が初めてお前を見たとき、何処かで見たことある面影だと思った。そして名前を見たとき確信したよ。もう何年も前の話だ。それでも、はっきりと覚えてる。炎に包まれながら、ただ1人だけお前が座り込んでいた。まるで炎がお前を誘っているようだった。俺は、特殊能力でそこらに散らかっていた瓦礫を集め、炎へぶちこんだ。自分でも何をしてるか分からなかったよ。炎へ物体を当てたところでどうにかなるもんじゃないってね。だが、あの炎は違った」
「瓦礫をぶちこんだ途端、まるで生き物のように怯んで下がっていった。恐ろしかった。自分が今まで生きてきて、想像も考えもしなかったことが目の前で起きたんだ。きっと、あの時の俺は本能で危険だと察知したんだろう」
そう語るモーザへ翠は質問する。
「あんたは、あの炎のことを知っているのか」
「いや……だが、アレはただの炎じゃない。きっと、何か意志がある生き物のような、そういった類いに違いない」
モーザはそう言い切ったら、銃を抱えて立ち上がる。恐る恐る外を確認して、翠へ視線を送る。
「ほらな。もしあれが火災ならまだ燃え広がってる筈なのに、まるでどこかへ消えたように焦げ目だけが残ってる。間違いない。あの炎は生き物だ」
翠は引けた腰で彼の後を追って、部屋を出た。確かに、足元に焦げた床が広がっている。不気味だ。2人はゆっくりと歩みを始め、屋上を目指し始めた。そして走り出そうとしたその瞬間だった。
爆発音。聴覚保護装置の上からでも、鼓膜を破壊する勢いで爆音が轟く。後ろからだ。爆音地点は遠いが、飛んでくる破片がまるで意識をもってこちらへ飛んでくるかのようだった。逃げ場ない、どう逃げても身体がバラバラになる。翠は目を瞑ろうとしたとき、ふいに身体が宙を浮く。
モーザがすかさず翠の前へ飛び出て、庇ったのだ。翠を突き飛ばすように離して、とてもつもない速度で飛翔する破片群を受け止めながら、左手の特殊能力でそれを集め、爆発地点へ跳ね返した。だが、そのときには既に炎が燃え広がっていた。
「うっ、うぅ……」
翠は曲がり角に激突する。身体が痛い、バリアドレスの効果が切れている。瞬時に立ち上がろうとしたが、身体が動かない。身体が重い訳ではない、何かに引っ張られている。翠は、自分を壁に打ち付けている何かの方向へ視線を向ける。
「そんな……」
破片が左腕に食い込んで、壁に刺さっていた。翠はその破片を抜こうとする。だが、微動だにしない。今になって感じる痛みが、より一層増すだけだ。血がコンクリートの破片から垂れてくる。そして視線を正面へ。狭い通路の先には、不気味に輝く炎が広がっていた。モーザが倒れこんでいるが全く動かない。血溜まりが流れて来た。
炎はモーザを飲み込もうとしていた。その様子は、まるで口を大きく広げた動物のようだった。ゆっくりと、待ち望んでいたかのようにモーザへ迫っていく。
「……!」
決意。翠はナイフを取り出す。そして自分の腕へ軽く刃を当てる。今から行う行為は、きっと自分の人生を大きく変える行為となるだろう。しかし、それでも良い。そうしなければならないのだ。
自分の腕に目星をつけて、深呼吸。震える右手を堪えて、振り上げた。ナイフの刀身が蒼白く閃光する。
そして、切断した。
骨が断ち切れる音。一気に解放された身体。その反動で身体が浮きかけた。身体の重心が崩れるような感覚。破片に一瞬だけ視線を送ると、そこには間違いなく自分の左腕があった。
溢れ出てくる血を垂らして、ふらつきながらモーザの元へ。そしてボディーアーマーのキャリングハンドルを掴んで引き摺るように運んだ。曲がり角の先へ彼を運んで、壁にもたれさせる。
「おい、おいモーザ。モーザ!」
彼の身体を揺らす。彼の身体は、至るところに破片が突き刺さっていた。助からないと一目で分かる。それでも翠は、彼を助けなければならなかったのだ。
「翠、お前」
微かに、小鳥が息をするような声が聞こえた。
「モーザ。ここを脱出する。早く立て!」
「あ、あぁ。よく見ろ。内蔵が、全部やられちまった。もう助からん」
「弱音を吐くな。お前を担いでても……」
「良いか翠」
モーザは力の限りを振り絞って、翠を抱き寄せた。
「俺のドッグタグと、拳銃を持っていけ。俺が生きてた証だ。そして……」
「今度は、お前が守る番だ」
翠の肩を掴む力が弱まっていく。やがて、腕が滑り落ちて、その場に垂れた。
モーザは動かなくなった。指先一つ、何もかも停止した。翠は、今目の前に起こっている現実を受け止めようとして、深く目を瞑り、そして開眼する。
彼の首をまさぐり、ドッグタグを引き千切る。無造作にポケットへ突っ込んだら、今度は彼のレッグホルスターに下げた拳銃を引き抜いた。タンカラーの、特別なカスタムが施された拳銃が視界に飛び込む。それをしっかりと握りしめた。
ゆっくりと立ち上がって、彼を見詰める。現実は変わることはない。トン・モーザは亡くなったのだ。
横からは炎が迫ってきていた。翠は階段を駆け上がって屋上を目指す。拳銃を握り締めた右手と、無くなった左腕を振って走る。ただひたすら、生き抜くことだけを考えて。
屋上の扉を蹴り破り、飛び出た。目の前には6匹のタイプb。その向こうにステルス輸送ヘリが飛んでいた。
足元には機銃掃射したと思われる痕が残っている。翠は、拳銃を構えて引き金を引き絞った。鋭い発砲音が響いて、次々とタイプbを撃ち抜いていく。最後のタイプbを撃ち殺し、ヘリに向かって全力疾走。ヘリのハッチは既に開いていた。それを目掛けて、翠は跳躍する。
大きな音を立てて、転がるようにヘリに乗る翠。近くにいた救助兵が驚く。
「腕が無い。パイロット、早く下へ。間に合わないぞ」
薄れる意識。閉まっていくハッチの向こうに見えた光景は、ビルが不自然に炎上して、炎に包まれていた。翠、失神。
「人間が最善を尽くせば、他に何が必要だろう? 」
アメリカ陸軍 ジョージ・S・パットン大将