雨に
日本の夏は雨が多い。それ故か、晴れてた心もよく曇る。
午前の校舎。幾度となく襲ってくる通り雨が作る雨天の香り。夏の気温と混ざって心を憂い興醒めさせる。今日は補習日だ。藍深山高校の生徒達は重い気分で教師の声を聞いている。延々と続くチョークを黒板で削る音。濡れた道路を走る車の音。どれもこれも気分が落ちる要因だ。
冷房を起動したばかりで、まだ冷え切っていない暑苦しい教室の中、高那翠はそこにいた。相変わらず戦闘服のままで、腰に下げた拳銃が威圧感を放つ。他の生徒達は雨で身体を濡らし、靴下を乾かしている者もいるが、翠は済ました顔でペンを動かす。
「おい。お前の服、どうなってんだ」
後ろの席の優斗が翠の椅子を掴む。振り返ると気だるそうな顔で、まともに書いてない真っ白なノートが見えた。
「防水」
翠は答える。
「俺にもそれくれよ」
「入隊すれば貰える」
「はぁ……」
優斗が溜め息を吐いた時、教師がこちらを睨んだ。何か言われる前に手を離して、誤魔化すようにノートに書き込む振りをする彼。
そんな憂鬱な時間も過ぎていき、ホームルームが終わって、放課後に差し掛かろうとした時だった。まだ滴が乾いてない鞄に荷物を詰め込んでいる最中、教室の自動ドアが開く。
「やっほー!」
大きな声が教室に響き渡った。皆、その声の方向に視線を流す。
自動ドアから元気よく飛び出してきたのは、高校生らしからぬファッションに身を包んだ長身の女子生徒。名札には松宮 咲華と書かれている。
彼女は教卓の前に立ち、一枚のポスターを広げながら口を開いた。
「みんなさしぶり!来月に夏ライブやりまーす!今からビラ配るから見てね!」
教室に歓喜の声が上がった。ビラを配り終わった後、女友達が咲華を囲んでしまう。
翠は手に持ったビラを無造作にファイルに閉じて、鞄に詰め込みながら優斗に話し掛ける。
「誰?」
「隣のクラスの松宮咲華。アイドルやってるんだってよ」
「そうなんだ」
「学校サボりにサボりまくってんのに、宣伝とか勇気あるぜ。先公共公認だからな」
「怒られないの?」
「そりゃあ、自分の高校から有名なアイドルが出てるんだ。嬉しいだろ」
優斗はそう言って鞄を背負う。ふと翠は窓から外の景色を見た。校門の前には白いワゴンが駐車しており、はっきりとは見えないが派手なロゴが描かれているのが分かった。きっと彼女はこれに乗って来たのだろう。
先に出るぜ。と優斗は言って教室を去った。翠も鞄に荷物を詰め終えて、彼のあとを追おうとした時だった。ふいに声を掛けられる。
「あー!君が高那くん?」
咲華が話し掛けてくる。
「そうだけど」
「マジで軍隊じゃん!銃あるし!」
彼女の金髪に交ざるピンクのメッシュが目立つポニーテールが揺れる。
「何?」
翠は不機嫌そうに応答した。
「あっそうそう。ライブ当日、護衛よろしくね!特等席でアタシのダンス見せたげる!」
彼女はそう言って女子グループの方へ戻っていった。一瞬、突然放たれた言葉に驚いた翠だったが、すぐに気を取り直す。護衛を頼む。とはどういう事だ?
その帰り道、翠はプルート基地に足を運び、モーザを呼びつけた。きっと彼ならば、この事を知っているかもしれない。まず最初に作戦命令が届くのは彼なのだから。
「何か僕に話す事があるんじゃないのか」
翠はロビーでコーヒーを飲むモーザにそう問い掛ける。珍しく私服のモーザは、一口飲み終えてからそれに答えた。
「アイドルの警備の話だろ。俺もさっき聞いたばかりだ」
「どういうことだ?」
「ドルフィンプロダクションが我々に警備の仕事を持ち掛けた。勿論、金は支払うという契約でな。」
それを聞いた翠は呆れたような口調で返す。
「ブルーリーパーがアイドル事務所に買われたのか?」
「そうじゃない。単純に、そうしてほしいっていう依頼だ。まぁ、殆どは権力を見せ付ける為だろうがな」
「冗談じゃないぞ」
コーヒー缶をゴミ箱に投げ捨て、モーザは立ち上がる。
「翠、お前に面倒事を擦り付けるつもりはない。だが、怒らないで聞いてくれよ」
しかめた顔で話を続けようとするモーザ。
「なんだ」
「上官命令だ。俺の部隊を戦術作戦以外で空っぽにする訳にはいかない。だからお前が行ってくれ」
翠は眉を潜めて返答する。
「どうしてわざわざモーザ隊を選んだ。アリーナまで行くんだぞ。近くの駐屯地にいる連中に頼めばいい事だろ」
「俺の部隊は、この日本でも最高戦力の一つだ。装備も作戦遂行力も上位の部隊だ。それを指名して、警備を任すということはそれだけ本気だという意志を見せ付けたいって事じゃないのか。ドルフィンプロダクションが本当にそう考えてるのかは分からんが、恐らくそうだろう。俺はアイドルのことはよく知らん。でも何となく上の連中の考えは分かる」
「モーザ、少し待ってくれよ」
「わかってる。警備部隊を結成するということは、お前は小銃部隊を指揮する事になるだろう。お前はまだ指揮官をやったことがないよな?」
「あぁ」
「ならば、良い機会じゃないか。実戦じゃない、警備だ。訓練と思えばいい」
モーザはそう言い終わると、ポケットから携帯端末を取り出して時刻を確認する。もう午後の8時だ。まだまだ外は完全に暗くなっていないが、夕暮れが終わろうとしてる頃合いだ。
「その地域のファントム情報は?」
翠はモーザに質問する。
「2日前に血塗れの獣が確認された」
「タイプgが?」
「そうだ。現場のハーベスターによって殺害されたが、警戒を強めるべきだろう」
「だから俺達を雇う理由が分かるだろう。もう一度言う、これは上官命令だ。この警備依頼を引き受けてくれ」
「……了解しました。中尉殿」
翠はモーザに対してラフな敬礼。それを同じくラフな敬礼で返す。代わりに何か奢ってやろうとモーザが持ち掛けたが、翠は戦闘員優遇権がまだ残っていると言ってそれを断った。
ブルーリーパーが、アイドルの警備だなんて。どこか馬鹿げている話だ。いくら近隣でファントムが発生したからといって、どうしてわざわざハーベスターを出動させる必要がある?そう翠は考える。確かに、事件は未然に防ぐのが理想だが、それでもたかがアイドル事務所が人類を防衛する軍隊を金で雇うだなんて、些か冗談染みた話ではないか。
家に帰り、ソファーに雪崩れ込む翠。今年も夏は爽快じゃない。いつも憂鬱で、気分が悪くなる季節だ。
「世間の人は、サーベルは軍人を指揮するものだと思っている。それが文人も指揮できることには気がついていない」
中華民国小説家 魯迅