重責
勝手な責任感は、ただ自分を苦しめるのみ。それを理解できない若き心は、きっといつか報われる時が来るのかもしれない。
翠の前に訪れた彼女は、とくに彼を心配しているわけではなく、ただ興味本意でロビーへやって来たようだった。そこで、いつもよりも酷く項垂れている彼を見て、声をかけた次第だった。今の彼を不本意に刺激するものではない。全てを否定され、弁解すら叶わなかった大人への恐怖に気をやられてしまっている。もっとも、それは恐怖というよりは果てしない憤りであるが。
「何したの?」
綾美は単純に興味として質問をしたのだろう。しかし、翠の耳にはそうは届かない。
「……君には」
掠れた声で彼女の問いに答える。
「なんて?」
「君には関係ない」
冷たい一言。
「そう」
綾美も彼の感情を汲み取ったのか、それ以上に関わろうとはしなかった。翠は腰にさげた拳銃を見詰め、それから椅子から立ち上がった。何故拳銃に視線を送ったのか、それは自身でも分からない。邪な気持ちではないのだろう。だが、善な気持ちではない筈だ。
この学校の廊下はよく冷える。窓に映る景色と真反対の気温だ。夏の陽炎と空調の香りが彼の視界と鼻孔を刺激する。これは夏の匂いだ。
放課後、優斗から声をかけられた翠。
「この学校に来て初めて怒鳴られたみたいだな?」
「お前はどうなんだ」
「俺はそろそろ両手で数えれるぜ。どうせテストも赤点だろうしな」
「殴られたらすぐに僕に言えよ。殴った奴の顔を腫らしてやる」
「この学校で生徒を殴れるほど度胸のある先公はいねぇよ。どいつもこいつも腑抜けさ。結局は口だけで、的外れな事ばっかりほざいて指導した気持ちに入り浸ってるだけさ」
優斗は鞄に荷物を詰め込みながら、そう言った。
「なぁ翠。お前は軍人だろ?」
唐突に話題を変えた優斗。
「今更何を」
「だったら、あんな奴等に耳なんか貸すだけ時間の無駄だぜ。だってお前はここの税金潰しより社会に貢献してる。だろ?」
荷物を詰めた優斗は、鞄を背負いながら翠に問い掛ける。
「……そうかもね」
「今日はお前を誉め尽くしてやった。ジュースくらい奢ってくれても良いんだぜ」
彼は笑いながら、冗談混じりにそう言った。その顔を見て翠は心に一つの葛藤が出来る。
自分が守るべき人類とは、何なのかと。
その考えが浮かび上がったのも束の間、自分はブルーリーパーであり、全てを平等に守らなければならない使命があるのだと思い返す。
今日は厄日だ。運が悪い日もある。ただそれだけの事なのだ。
翌日、SNSに拡散された例の写真がニュースで取り上げられていた。案の定、あれは反ブルーリーパー団体による仕業であった。同時に犯罪でもある事が世間に周知された。そして、それ以上に放棄地区の管理について陸上自衛隊に責任転換された。
何故民間人が放棄地区に踏み入れる事が出来たのか、それは単純なことだ。そこまで目が届かなかっただけのことだ。故に問題である。 どちらにしろ入ろうとする者が悪いが、世間というものは常に誰かを悪者にしなければ気が済まないものだ。そんな不愉快なニュースが今日も流れる。
これであの写真が反対団体の策略であることが判明した訳だが、この事実があったとして、学校の教師達が謝るとは思えない。そう思った翠は、学校への憎しみが増していた。
入学する前にカーベック言われた言葉。学校に行くくらいなら、完全兵役してしまえと。この言葉は正しかったのかもしれないと、今になって感じ始めた。
基地の中では最前線の作戦の中核を担う戦闘部隊の一人。人類の中から選ばれた人類を守るための防人。名誉と誇りを胸に銃を撃つ。それが自分。そして、学校の中では教師という存在に屈するただの生徒に過ぎない自分。
この二つの姿が、現実と戦場の解離が、翠の頭を揺さぶっていた。
僕は、何者なんだ?と。
「自分が苦しい時は、相手はもっと苦しんでいる。そこを乗り切った時に勝利がある」
坂井三郎 大日本帝国海軍中尉