再燃
瞳の奥に隠した記憶。燃える炎と仲間の死と共に、再び翠の心を痛め付ける。
二日前の出動から束の間、僕らは再び出撃任務が発動された。時刻は午前10時41分。作戦内容は高速道路にてタイプBファントムに占領された大型バスを首都圏に突入する前に停止。破壊ではない。乗客は偵察ドローンの情報では生存者無し。
ファントムが車両を奪い、そして操縦しているなんて前代未聞なんてレベルではない。歴史が動く。これまでの作戦や対策、戦術が根本的に見直される可能性があるほどの事態だ。故に必ずこの任務を達成して未来の平和へ繋げればならない。
僕はカーベックと共に装甲バイクを全速力で走らせ、目標のバスを追っている。交通機関が完全に停止した高速道路は何処か薄気味悪い。
時速160km/hを越えるか越えないかのところでスピードメーターが震える。とてつもない風切り音が聴覚保護装置越しに聞こえてくるほどだ。
「見えてきたぜ。あれだ」
並走しているカーベックがそう言いながらMK.5をハンドルの上に構える。僕もバイクを自動操縦へ切り替え、腰から銃を回して銃口をハイ・レディ・ポジションに。
僕と彼でバスを挟み込むように接近を開始する。しかし、先にカーベックが接近しようとしたときに、バスが大きく車体を揺さぶって逃げようとする。
「撃て!」
彼は撃ちながら僕に向かって叫ぶ。その言葉を聞いて銃を右手と肩だけで保持してバスに向かって発砲。
「パンクは?」
「無理だ。変なのがタイヤに絡み付いてて弾かれる」
カーベックは一旦スピードを落としてこちらの方へ戻ってくる。バスは加速限界まで達している為これ以上距離は空かないが、逆に言えば首都圏への到達するまでのタイムリミットが縮むということだ。
ドローンで撮影した時にはタイヤに何もついていなかった。しかし、今は謎の触手のような物が確かに絡み付いていた。ほぼタイヤ全体を覆うような灰色の触手だ。想定されていた作戦が一つ崩れてしまった。
「乗り込むぞ」
空になったマガジンを道路へ投げ捨て、ファストマグから新たなマガジンを銃へ押し込みながらカーベックがそう言った。
「危険だ」
僕はすぐに返す。
「窓からは狙えないのか?」
「中から塞がれてる。どうやってそうしたのかは分からない。本当にタイプBなのか怪しくなってきた。」
カーベックはバイクを加速させ、少しずつ立ち上がろうとする。
「乗車口を突き破る」
と、カーベック。既に自動操縦に設定してシートから立ち上がっている。左手の戦闘義手はナイフを握り締めており、バイクを蹴るようにしてバスへ飛び込んだ。
「カーベック!」
最終手段であるバスへの突入を一つも躊躇わず強行した彼に驚きを隠せない。このままでは不味い。直ぐに自分も向かわなければ。
しかし、様子がおかしい。
「なんだ……これは」
彼は通信でまるで恐ろしい物を見たかのような声調で話す。
「ファントムじゃない……見たこともない奴がいる」
「何? どうしたんだ」
「翠、こっちに来るな! 離れろ!」
彼は怒鳴るように叫ぶ。
「来るなだと? 正気か!」
「良いから離れろ!」
次の瞬間、バスの全ての窓から青紫色の触手が生えてくる。その触手は僕に向かってきた。全力でハンドルを切り、バイクを腕力で動かす。しかし、再び振られた触手に対応することができずに直撃してしまう。
鞭に打たれたような音が轟く。身体が浮かび上がり、宙を舞う。恐ろしい速度でバイクとバスの距離が離れる。まるで引っ張ったスリングから射出された弾丸のように過ぎ去っていった。バリアドレスの許容限界が迫っている騒がしい警告音がヘルメットの中に響く。完全に浮かび上がった身体が強く地面に叩き付けられ、反動に耐えれずに転がり続ける。プロテクターがコンクリートを抉って更にバリアドレスを追い込んでいく。
激痛が走る身体を何とかして起こし、視線をバスの方へ向けた。僕は目の前の光景に目を疑ったが、起こっていることは全て現実だった。しかし、唐突すぎるこの光景を受け入れる準備が出来ていなかった。
まだ視界の中に残っているバスは、まるで触手の塊のように気持ちの悪いシルエットになっていたのだ。僕はすぐに通信を試みるが、返ってくるのは静かなノイズ音のみ。彼の声は聞こえてこない。
「カーベック!」
叫んでも何も変わらないのは知っている。だが、そうしないと自分の心が壊れそうになってしまう。例え彼の存在を確認したいという気持ちが無謀なことだと分かっていても諦めきれないものは諦めることは出来ないのだ。
全力で走り込んで何とかしてバスを追いかけるが、人間の足じゃ追い切れる訳もなくただ距離が離れるのみ。やがて、視界から消えそうになったその姿が急に光り出して……。
一瞬にして炎に包まれた。
追いかけていた足が止まる。目の前の現実は、何も変わらない。
ヘルメットの通信ボタンを押そうとする手が止まり、その場に膝をついてしまった。全身の力が抜けたような気がした。
後悔と懺悔の気持ちに浸る暇もなく間髪入れずにそのバスは爆発したのだ。大きく燃え盛り、台風のような熱気が僕を襲う。とても暑い。
この炎。知っている。
あれは僕が小学生だった頃、急に自宅が火事になった。それもただの火事ではない、無数のファントム達が家の周りを取り囲んでいた。詳しいことは覚えていない。だって、ずっと昔のことだから。
とても暑かった。見渡す限り炎に包まれて、意識は殆ど無かった気がする。そんな中でも鮮明に覚えている"炎"がある。幼く力のない僕の前に現れた一際輝く球体の炎。巨大な目玉のような炎が、ずっと僕のことを眺めていたのだ。はっきりと記憶してるのはそれだけだが、今、目の前で燃える炎はそれと同じだ。憎たらしい程に明るくて、僕のことを嘲笑っているようだった。燃える。僕の記憶が再燃した。思い出したく無かった遠い記憶が、再び甦った。
何度も、何度も通信ボタンを押してもカーベックの声は聞こえない。鼓膜に伝わるのはノイズ音と、地獄のように燃え広がっていく炎の音だけだった。
「装甲バイク」
・ハーベスターに支給される軍用オートバイク。最大速度184km/n
後部には各種装備と兵装を収納できるボックスがあり、機体の殆どが装甲に覆われた武骨で厳つい大型のバイクである。自動操縦とリラックス・スタビリティの機能がついており、様々な任務に対応できるように設計されている。
元は米陸軍特殊部隊の偵察用ビークルであり、それをブルーリーパーが改修したもの。