第三話
一応の結論を導き出したアズライトは、根源の解決を図るべく思案を巡らせ、大きく二つの方策でこの問題に取り掛かることとした。
第一に、一門の教師として教育を通じて、次世代の主役たちの意識改革を行うことである。
実行から効果の発現までに幾らかの期間を要するもう一方と比較して、火急度・重要度の面から最優先事項であることは明白であった。
幸い、教師としての引き合いは元老院を辞して以降ひっきりなしに来ていたので、そもそも指揮場に立つことができずに頓挫する、という懸念は払拭された。
どうも、現役時代に良くも悪くも目立つことをせず、大きな敵を作らなかったことが幾らかこういった評価に繋がったようである。
必ずしも満足の行く貢献が出来たとは言えなかったが、他者に評価される事によって、少なくとも無駄な時間では無かったのだ、と感じることはできた。
流石に他門閥から声がかかるほどではなかったが、元より目的が目的であるからして気にする程の事でも無い。自身を納得させることも慣れたものであった。
子女に対する教育は、通常自我が芽生えるとされている3歳頃から、従軍年齢に達する18歳から20歳前後まで継続して行われる。
当然、幼年期から青年期に近づくにつれ、内容は高度となるため必然的に教師の側にも実績が求められる。
しかして、アズライトの目的は幼年期の情操教育を担当する事による価値観の改善である。
如何なアズライトといえども、並居る専門教師たちを押しのけて高度な学問を教える立場につくことは難しいと思われた。
数多の引き合いも、その全てが3歳から6歳頃までの児童の教育であり、それも元老院議員を目指させる上での必要な立ち居振る舞いを主に期待されていた。
兎も角、特段苦労することもなく第一の目的を達成するための土壌造りには、早々に取り掛かることが出来そうであった。
問題はもう一方、付き人に関する改革である。
付き人となる子供は、基本的に仲介業者から調達する場合が大半である。
仲介業者の質によって子供の質もそもそもの選択肢も様変わりするわけであり、セントレア一門はこの点に大きな不安を抱えていた。
先だってのホールストンなどは、仲介業者最大手のうちの一つから譲り受けたもので、7歳の時点で読み書き馬術に剣を扱えるなど、セントレア一門の付き人候補とは文字通り格が違う。
素質を持った若者を見出すことは当然のことながら、付き人になるまでの間の教育も業者の質によって雲泥の差があることは、隠しようもない事実であった。
仲介業者が子供を調達する先は、国内の農村部からであったり、他国の奴隷市場からであったりと多岐に渡るが、最も多いのは戦争の戦利品の横流しであった。
奴隷市場からの調達、これは非常に手間がかかる上、セントライト一門では問題が発生しそうな方法である。
そもそも共和国では他国の奴隷商人からの購入に申請と許可が必要で、その理由は人民税の対象となるからであった。
一門の側が商人へ支払いや人民税等の金銭的負担や、その者の出自を特別問わなければ取っ掛かりとしては悪くない。
しかしながら、人身売買を表立って行うことに対する風評に、同じ一門の人間が耐えられるとはアズライト自身も思わなかった。
戦利品からの取得は違法行為スレスレであり、従軍しているか、知己の従軍者にちょろまかして貰うかしなければならない。
そもそもが国家の財産なのであるから、元よりアズライトにこの選択肢は存在しなかった。
残された手段は国内農村部などからの譲受である。これがあらゆる面で最も良い手段であり、またアズライトの志向にも合致したものであった。
自らの子供が元老院議員を輩出する一門の一員となれる、というのは名誉であると思われている場合が大半であったし、確かホールストンも南西部の小麦農家の四男やらであったと記憶している。
また、教育の開始から一門への引渡の間についても他の手段と異なり、手元に置いておく必要がない。
青空教室のように、無償で子供たちを集めて読み書き乗馬を教え、それ以外は普段通りの家庭で過ごさせれば良い。
つまりは元老院を引退した名士が、戯れと気晴らしに農村の子供たちに学問を教える、という体裁である。
この点、子供好きであり子供にも好かれる彼自身の特性に見事に合致していた。
信頼できる人間や、親しい者がまったくいないわけでは無い。が、金銭面という点に於いて確実な展望がも望めるわけでもないし、そもそもの目的の性質上、必須事項は目標に対する理解と情熱である。
この点に於いて、数少ない友人は良くも悪くも善良な共和国人止まりであった。となれば、最低限の食い扶持を確保しつつ、一門の教育係と人材の発掘・育成を単独で並行して行うことになる。
限界があると彼自身分かってはいたが、残り少ない人生すべてを費やす事に何一つ不都合も不満も無かった。
かくして自身なりに様々な手段を検討して第二の人生を歩み始めたアズライトであったが、最悪何一つ満足にできず無駄に終わることも覚悟していた。
すべては人間、それも子供のかかわる事柄ばかりである。困難は目に見えており、自らの決めた事、不満は無かったが、前途の洋々たるを神に祈らざるを得なかった。
ところが、幸いにもその時は早々に訪れた。それも、一門の側、付き人の側双方で、である。